18

「酷い顔……」

鏡に映るげそりとした自分の顔に落胆しながら、名前は慣れた手付きでメイクを施していく。
目の下で存在を主張している青紫色をなんとか誤魔化し、ほっと息を吐いた。

自分でも分かっているのだ。
血色の悪い顔や酷い隈を必死に化粧で覆い隠したところで、無意味なことも。
押し込めたところで、この気持ちが消えて無くなるはずなんてないことも。
それでも。

──大丈夫、大丈夫

何度も自分に言い聞かせる。
そうする以外、何も思い付かないのだからと。








「もういいかーい?」
「「もういいよー!」」

実技の授業のない午後の時間。
校庭に響くのは、始まりを告げる1年は組のはしゃぎ声だ。
ある者は木の上に、またある者は物陰に隠れ、鬼である庄左衛門に見つからないよう息を潜めている。
かくれんぼの参加者である名前も、少し離れた草の茂みの中にいた。
だが、その顔に楽しさは微塵も無く、眉を寄せ、苦悶に満ちた表情だ。

「名前さん、かくれんぼしましょー!」という可愛らしい誘いに安易に頷いたことを、名前は今さらながらに後悔していた。
一人でいて変に考え込んでしまうよりも、皆といる方がいいと思ったからだったが、今は明らかにそんな状況では無い。
不調の予感は朝からあった。
だが、少し頭がぼんやりするな程度。大学やらバイトやらで多忙だった時にたまに起きていた偏頭痛と似たようなものだったため、そこまで気にも留めていなかった。
それがズキンズキンと脈打つような痛みに変わり、身体の倦怠感が現れたのはついさっき。草かげに隠れてすぐのこと。
ちょっと経てば治まると思ったものの、症状は悪化するばかりで、今は木の幹に寄りかからないといられない程だ。

名前はこの不調の原因に心当たりがあった。
ここ最近、眠れない日が続いていた。
繰り返す中途覚醒に、寝なければいけないと思えば思うほどぐるぐると思考が巡り朝を迎えるという悪循環。
寝不足により肌は血色悪く、文次郎顔負けの隈まで出来てしまった。
正直に言うと、名前は体調よりも顔の不調の方を問題視していた。
一目見て体調不良と分かるほどに、鏡に映る名前の顔は酷かった。
心配をかけまいと、メイクでなんとか隠してきたが、日に日に濃くなるそれに誤魔化すのも限界かなと感じていたところだ。

「体調もこんなに悪くなるなんて思ってなかったな……」

誤算だったと名前は溜め息を溢した。
しばらく経てばまた眠れるようになるだろうと高を括り、放置していたつけが回ってきたのだ。
このままここに居ても仕方ない。
は組の皆ごめんねと思いながら、名前が部屋へ戻るべく立ち上がろうとした時だった。
ぐにゃりと視界が歪み、意識が遠退く感覚に襲われた。
まずい……。そう思ったときにはもう遅い。
がくんと力無く膝から崩れ落ちた名前の身体は、そのまま地面に転がった。




───




「あー、つまらない」

鉢屋三郎は退屈な表情を隠すこと無く独りごちた。
ニコイチの相棒である雷蔵は図書当番。兵助は勘右衛門を連行し恒例の豆腐行脚に出かけた。
残る八左ヱ門も、太郎だか花子だか毒蜘蛛が逃げたした知らせに、飛び出していってしまった。
こんな時いつもなら新しい面でも作るかとなるのだが、生憎今作りたいと思える顔も無い。
強制豆腐巡りも毒虫探しも御免だが、暇や退屈も嫌いだ。
何かないかと散歩がてら学園内をふらつく三郎の目に入ったのは水色井桁模様。
キョロキョロと目や首を忙しなく動かす後輩の様子に、三郎は首をかしげた。

「庄左衛門どうしたんだ?」
「あ、鉢屋先輩」

探し物だろうか。
しっかり者の庄左衛門にしては珍しいなと声をかければ、その表情は普段の利発そうなものではなく眉を寄せ困ったような顔をしていた。

「は組でかくれんぼをしてたんですが、名前さんが見つからないんです」

呼び掛けても出てこなくて、という庄左衛門の言葉に三郎はふうんと唸った。
へらりと笑う名前を思い浮かべる。
どう見てもかくれんぼが上手なタイプではない。
人を疑うことをしない、超がつくほどのお人好しだ。ちょくちょく雷蔵のふりをしたり変装で騙して遊んでいるのだが、数日前もまた疑うことなく騙されてくれた。
しかも怒りもしない。むしろ、いつもすごいねと感動の表情を浮かべるのだ。
そんな彼女が、は組相手に意地の悪い場所に隠れるようなことはしないだろう。
三郎は頭に思い浮かべた学園の危険地帯、生物小屋などに頭の中でペケをつけた。

「なあ庄左衛門、かくれんぼはどこらへんで始めたんだ?」
「教室棟のすぐ横からです」

となればだ。忍たまみたいに木に登ったり出来ない名前が隠れられそうな場所は限られる、建物の陰か草かげか。返事が無いということはうたた寝でもしているのだろう。
建物の陰で寝ているならば、いくらなんでも通った誰かが気づく。つまり残る選択肢は1つだ。
隠れ場所の目星がつき、三郎は庄左衛門に行くぞと声をかけるとスタスタと歩みを進めた。
ほどなくして着いた目的地。
教室棟から少し離れた草の生い茂るそこで、三郎は当たりと口角をあげた。
草むらからちらりと覗く小袖の裾。紛れもなく名前のものだ。

「こんなところでお昼寝ですか、お姉さん?」

にやつきながら草むらを覗き込んだ三郎だったが、ぐたりと横たわり浅い呼吸を繰り返す名前の姿に目を剥いた。
顔は病的に青白く、目は瞑っているが眉間に皺が寄っていて明らかに様子がおかしい。
さっと名前の頭部を見回し、外傷が無いことを確認すると、三郎は声を張り上げた。

「庄左衛門、土井先生を医務室まで頼む!
私は名前さんを連れて先に行く!」

抱えあげられた名前の姿と三郎の深刻な声色に、庄左衛門は大きく頷くと教職長屋へと駆け出した。





◇◇◇





「新野先生!」

庄左衛門から名前の知らせを受け、医務室へと駆け付けた土井は部屋の前で待機している校医である新野に声をかけた。

「名字さんは」
「今、念の為に山本先生にも見て貰っていますよ。倒れた際に出来た打ち身はありますが身体は問題ないでしょう」

倒れたのが草むらだったのが幸い、頭を打った形跡もないという新野の言葉に土井はほっと息を吐いた。
庄左衛門から伝え聞いた様子では酷そうな状況だった為だ。

「そうですか。大事に至らなくて良かった」

土井の溢した安堵の言葉に、新野は表情を曇らせた。
それなんですが、と言う新野に土井が怪訝な顔をしていると、すっと医務室の扉が開いた。
中から顔を出した山本は静かに告げた。

「新野先生、もう中へ入ってもらって大丈夫です。土井先生も」

室内へと促され目に入った名前の姿に、土井は眉をひそめた。

─彼女はこんなに白かっただろうか。

元々色白ではあった。だが、そんな次元ではない。血の気がなく青白い。
新野の言いよどんだ様も気にかかる。土井は慎重に言葉を選んで尋ねた。

「名字さんは、午前中の授業時に見た時はいつもと変わらない様子でしたが、その、何か病を?」
「いえ、名字さんは病ではありませんよ。おそらくですが、うまく眠れていないのだと思います」

新野の言葉に山本は名前の目元を手拭いで優しく拭った。
化粧の下に潜む青紫色。
全く気づかなかったと驚いている土井に山本は当然だと言い放った。

「女の化粧は着飾る為だけにするわけではありません。殿方が女に化けるのとはわけが違いますから。
彼女は特に隠すのが上手ですね。貴方やは組の子達はもちろん、誰にも知られたくなかったのでしょう」

気づかなかった土井に落ち度はない。
だが、土井自身はそう思っていないのだろう。険しい表情の土井を一瞥すると山本は眠る名前の頭をそっと撫で付けた。
心配をかけまいとする優しさは分かるが、愚かな娘だと内心で思った。
起きていたら説教でもしたいところだったが、その役目は自分ではないと、山本は土井を見据えた。

「土井先生、貴方から見て名前さんはいつもどうでしたか?」

山本の言葉に土井はここしばらくの名前の様子を思い返した。
正直に言って、いつも笑っている印象しかなかった。は組の脱線しまくりの授業の時も。本の感想を言い合っている時も。今日1日何があったという報告やなんでもない会話の時もだ。

「彼女はいつも笑っていました。楽しそうだったり嬉しそうだったり。その、お恥ずかしい話、それ以外思いつきません」

土井の答えに新野はやはりと呟いた。

「土井先生、多分ですが名字さんは心を痛めているのかと」
「心、ですか……」
「ええ、端から見ていて名字さんは土井先生に一番心を開いているように思えましたよ。
そんな土井先生の前でもずっと笑っている様子しかないということは、彼女は哀しみや不安を誰にも見せないようにしていたのではないでしょうか」

名前の事情も知る新野は言葉を続けた。
急な環境の変化が起きれば、人は順応しようとする。そこには当然、戸惑いや不安が湧くものだ。
それが一切表に出てきてないということは、彼女はそれらを全て自分の中で押し殺しているに違いない。
その新野の推察に、土井は言葉を発せなかった。
遠い未来からこの学園へとやって来た名前。それも自分の意思とは全く関係なしにだ。不安や恐れがないはずなどない。
彼女は未だに帰る場所も手立ても無い、ただの迷子のままなのだ。
笑顔やひたむきさに覆われたそれを、まんまと見落とした。

─彼女が笑顔で良かったなど、なんて酷い思いあがりだろうか

静かに横たわる名前を前に、土井はただただ首を垂れた。





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