20

夜明けすぐ、太陽はまだ顔を出したばかりで障子の向こうは薄明るい。
起き抜けの医務室のふとんの上で、名前は小さく丸まり一人悶えていた。
昨晩のことを思い出し、ふつふつと羞恥心が沸き上がる。
一人だったならば「うわぁー!」と叫び声を上げたいほどだ。
大人になって声をあげ泣いたことなど初めてだ。それももちろんなのだが、一番恥ずかしいのは土井に抱き締められたまま寝てしまったことだった。
人肌の温もりと背を撫でられる心地よさが眠気を誘った。
しかしだ、抗えなかったとはいえ、あんな状態でよく寝れたなと名前は自分に突っ込んだ。
目は腫れ、顔は真っ赤とひどい有り様になっていることは、鏡で見ずとも分かる。
しばらく気持ちを落ち着かせた後、名前は薬を煎じる新野に礼を告げると、医務室を後にした。
行き先は教職長屋。朝一番、やらなければいけないことは決まっている。
寝起きそのままというのはさすがに気が引け、名前は自室で軽く身支度を整えると、深呼吸を1つして隣部屋の扉を叩いた。

「名字です」
「どうぞ」

いつもと変わり無い土井の声に名前はほっと息をついた。
扉を開ければ、土井と山田が頭巾を締め朝支度を終えんとしていた。

「お、おはようございます。土井先生、昨日はありがとうございました」
「おはよう、名字さん。うん、ぐっすり眠れたようだね」

顔を覗き込んできた土井と目が合った瞬間、昨晩のことが一気に甦る。
手や体が大きかったことやら匂いやら。感情の高ぶりがない分、余計な情報までくっついてきた。
名前はぶわりと顔に熱が集まったのが自分でも分かり、咄嗟に頭を下げた。
いろんな恥ずかしさで真っ直ぐに土井を直視出来ない。
本当にお手数をおかけしましてと、もごもごと口ごもる名前の挙動不審さに土井は目を丸くしたが、耳まで赤く染まった様に心情を察した。
持ち前の精神力でなんとか体裁を保つ土井だが、照れる名前につられたのか「いや、とんでもない」と小さな声でもそっと返すのみ。
もじもじもだもだの二人を勘弁してくれと言わんばかりの表情で見ているのは山田伝蔵だ。
これが惚れたはれたならば、それいけと応援も出来るが、そんなものではないと知っているからだ。
このゆるい雰囲気を変えるべく、山田はこほんと咳払いをした。

「名前ちゃん、体調はもういいのか?」
「はい。山田先生にもご心配をおかけしてすみませんでした。あと、色々と調べてくださったことありがとうございます」
「なに、構わんよ」

あまり無理はしないようにな、と言った山田の言葉に名前はしっかりと頷くと、改めて二人に礼をして部屋を出た。
次に向かうは食堂、そろそろ仕事開始の時間である。
道中、忍たまらの朝鍛練が始まったのだろう掛け声が遠くから聞こえた。
「いっちにっ」と元気いっぱいの声だ。
たくさん泣いて吐き出したおかげか、昨日までとは違い心は軽い。
久々の心晴れやかな朝に、名前の足取りも自然と軽くなった。




朝の食堂は鍛練終わりの腹をすかせた忍たまらでひどく賑やかだ。
あちこちで「おはよう」と「いただきます」の元気な声が飛んでいる。
包帯が取れた翌日から再開した食堂の手伝い。しばらくぶりだったものの、すぐに慣れた。
今日の献立はだし巻き玉子と菜の花の煮浸し。なんとも春らしい色合いのおかずである。
黄色のだし巻き玉子をくるりくるりと綺麗に仕上げていく食堂のおばちゃんに負けじと、名前もてきぱきと配膳していく。
昼とは違い、おかずが選択制ではないため、少し楽である。

「「おはようございまーす」」

一際元気な1年は組の声が響き、名前は笑みを浮かべて出迎えた。

「みんなおはよう。昨日はかくれんぼの途中でごめんね」

まず謝罪をと思い告げた名前だったが、は組の皆の表情はなぜかぽかんとしていた。

「名前さんに謝られるようなことあったっけ?」
「あれじゃない?寝ちゃってたってやつ」
「でも昨日も謝ってたよな」

乱太郎、しんべヱ、きり丸の順で交わされる会話に、他の皆もうんうんと頷いている。
まだ寝ぼけてますかと言わんばかりのは組たちの視線を浴びながら、名前は困惑した。
全く身に覚えがないのだ。草むらで気を失い医務室で覚醒するまで、その間の記憶は一切ない。夢遊病の説も捨てきれないが、そんな経験はこれまでなかった。
どういうことだろうかと、名前とは組が互いに怪訝な顔をしていると、後ろから声が飛んできた。

「おーい、詰まってるぞー」

声の主は藤色の忍装束。
ごめんなさいと声をあげ、皆慌てて配膳を再開した。
は組の列が終わり、最後尾は5年生だ。その先頭にいた竹谷八左ヱ門に名前は声をかけた。

「ごめんね、お待たせしました」
「いいですけど、は組と何話してたんですか?」

すごい顔してましたけど、と尋ねる八左ヱ門に名前がは組との会話を説明する。
すると、八左ヱ門の後ろにいた勘右衛門がなるほどと声をあげ、丸い目を後方へと目配せした。

「それは、うちの三郎くんだな」

にんまりとした笑みを浮かべ視線を寄越した勘右衛門に、三郎は「なんでくん付けなんだよ」と気色悪そうに顔をしかめた。

「鉢屋くんの変装?」
「……あいつらをむやみに心配させるのも嫌でしょう」

余計なお世話だったかもしれませんけど、と顔を逸らした三郎に名前ははっと気付いた。
昨日医務室まで運んでくれたのは三郎なのだと。

「ううん、心配かけちゃったと思ってたから、とてもありがたいよ!私を運んでくれたのも鉢屋くんだったんだね」
「感謝してくださいよ。次あんなとこで寝てたらどうなっても知りませんから。それで、もう平気なんですか?」
「うん、平気だよ。心配かけてごめんね」

そうか、声をかけてくれていたのは彼なのかと名前は嬉しくなった。
お礼に私の分のだし巻き玉子をと言う名前に三郎は間髪いれずに拒否を示した。

「いや、それは自分で食べてくださいよ。また倒れられたらかなわないんで。また別の事でお願いします」
「わかった。何でも言ってね、鉢屋くん」

名前のその言葉に、三郎と勘右衛門はにんまりと笑みを浮かべた。
しめしめと目配せをしている2人を見ていた八左ヱ門、三郎の後ろにいた雷蔵と兵助はあーあと苦笑した。
“何でも”なんて都合の良い言葉は危険。特にこの2人にそんな言葉を軽々しく口にするもんじゃないと、そろそろ本気で忠告した方が良さそうだと。



◇◇◇



午前の授業、ランチの配膳も無事に終わった午後の時間。
食器洗いの当番でもなく、暇をもて余した名前は図書室へと向かっていた。
本来であれば今は実技授業の時間だったのだが、名前が一人でいるのには理由があった。
は組の今日の実技授業は手裏剣と聞き、名前は密かに楽しみにしていた。
小平太に馬鹿にされた手裏剣さばき。皆と授業を受ければ少しはましになるのではないかと期待に溢れた。小平太のようにとまでは無理としても、大笑いされない程度までにはなりたいと。
だが実習場に着くなり、「は組の手裏剣はかなり危険だ。出なくても良い。いやむしろ出ないでくれ」と土井と山田2人から懇願され、しぶしぶ諦めた次第である。

開け放たれた図書室の扉をくぐれば、紙と墨の匂いが鼻をくすぐる。
受付台にて本を点検している長次を見て、名前は笑みを浮かべた。

「長次くん、お疲れ様」

図書室では静かにという触れ書きを守り、名前が小さな声で挨拶を告げると、長次は目線を本から名前に移し、薄く笑った。
次の本をお願いしますという願い出に長次は少しばかり表情を動かした。

「……もう読んだのか」
「土井先生と一緒に読むようになって、すいすいと進んじゃった」

土井先生の教え方が上手でと言う名前に、長次は同意し頷いた。
6年ともなれば実践が主なため、教科授業こそ長らく受けてはいないが、土井が教え上手なことは昔からよく知っている。
長次は用意していた本を2つ、すっと名前に差し出した。
1つは虫愛づる姫などが収録されたお伽噺短編集。もう1つは漢字帳だ。
楽しい漢字帳1というタイトルを見て首を傾げる名前に長次は口許を緩ませて言った。

「……文字も書けると尚楽しい、練習するといい」

長次のその言葉に、名前は確かにその通りだと表情を輝かせた。
今まで読んでばかりだったが、崩し文字が書けるようになれば何かしらの役に立つ。

「ありがとう、長次くん」
「……ああ。ただし、無理は禁物だ」

ちょんちょんと目の下を指差す長次に、名前は苦笑いを返した。

「やっぱり目立つ?」
「少しな」

文次郎と比べれば可愛らしいものだが、色の白い名前の肌にはその隈はひどく目立って見えた。
なにかしらの理由で眠れていなかったのだろうと長次は察した。
理由は気にはなるところだが、あまり指摘してもいい気分では無いだろうと、それ以上は言及しなかった。
それに彼女の隈は数日内に解消されるのは決定事項だ。
隈に気付いているのは己だけではない。
すでに動き出している男がいるのだ。朝食後すぐに裏山へと向かい、つい先ほど帰ってきたのを長屋で見かけた。背の籠にこれでもかと薬草を積んで。

「……覚悟しておいたほうがいい」

手鏡を手に目の下の隈と戦う名前を見ながら、長次はもそりと呟いた。
普段温厚な者ほど怒らせると厄介なのは通例だ。
だが、こればかりは仕方ない、隠していた彼女が悪いのだ。






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