21

足りなかった薬草を手に入れた伊作は、静かな医務室の中、一人黙々と作業に没頭していた。
この河原よもぎを手に入れるため、朝から裏山へと出向き、つい先ほど学園へと戻ってきたばかりだ。
鉄の板に河原蓬を敷き空煎りする作業を繰り返す。本当は天日干しのほうがいいが、時間が無いため苦肉の策である。
煎った河原蓬を薬缶に入れ、そこに棚から取り出した秋の忘れ草の葉、クコの実、ねずみもちの葉、水を入れ煎じる。
熱が入り、ふつふつと水が湯に変わる音が聞こえ始め、苦い匂いが室内に香り始めた。
吹き零れないよう薬缶を注視しながら、伊作は名前のことを思い出していた。




昨晩、実習は無事終わったものの、鹿に狸に猪にと次々と動物に追いかけられる不運により、伊作が学園へと戻ってきたのは夜半前。
6年長屋へと向かう途中の教務棟の側で、偶然聞いてしまったのは慟哭だった。
哀しみと怒りに満ちたそれが、名前の声だとすぐに気づいた。
一体どこでと見回せば、暗闇の中ぼんやりと明かりが漏れているのは医務室。
そして次いで聞こえてきた土井の声。
離れているため、何を言っているかまでは聞き取れなかったが、漏れ聞こえてきた泣き声は痛々しいものだった。
そして今朝だ。食堂で見かけた名前の顔に伊作は眉が寄った。
目が幾分か腫れているのはまだ分かる。だが、笑顔に似つかわしくないその隈はなんだろうかと。実習に出る直前、3日前に会った時には無かったはずなのだ。
その後、新野から名前が睡眠不足で倒れたことを聞き、ようやく事を理解した。




そろそろ頃合いかな。
伊作は薬缶を火から外すと水桶につけた。出来た湯薬からは、なんとも形容し難い匂いがあがるが仕方ない。

「これで眠れるようになるかな」

少しでも効いてくれればいいな、と伊作は薄く笑ったがその笑みはすぐに消えた。

「名前さんの心までは、僕ではどうしようもなかったのかな…」

自身の情けない呟きと共に伊作は溜め息を吐き出した。
彼女が心配をかけまいとして、黙っていたことや隠そうとした心は理解は出来る。
しかしそれに憤りを感じないわけもなく、隠されたこと、頼って貰えなかったことに対する落胆は大きい。
名前があれほどの感情を抱えているなど気づきもしなかった。
もっと精進しなければいけないなと伊作は思った。

「心と身体は繋がっているんだ。身体が元気でも心が健康でなければ、次第に身体にも不調が現れる。逆もまた然り。
だから、どちらも見ていかなければいけないんだよ」

新野のこの言葉を大切にし、伊作は保健委員として携わってきた。
出会った時から彼女は怪我をしていた。その後も何かと傷が絶えない。
しっかりと名前のことを見ていなければと注意していたはずだった。それなのにだ。
偶然が無ければ、知ることも無かったかもしれない事実に伊作はぎゅっと拳を握った。

─悔しい

内から湧いた自身のそれにぎょっと目を見開いた。
お門違いな感情を横へと放り投げ自分を戒めると、伊作は籠の中へと手を突っ込んだ。
河原蓬と一緒に採ってきた薬草を手際よく仕分けていく。
蓬、赤矢地黄の根、鳴子百合の根茎。どれもこれも滋養や血流に効く薬草である。
隈は主に睡眠不足や血行不良により起こる。
改善の方法としては規則正しい生活、身体を温めること、マッサージだ。

「僕は保健委員なんだから」

保健委員会委員長として彼女に出来ること、ただそれだけを考えろ。
伊作はそう自身に念じた。



◇◇◇



こんこんと叩く音に扉を開けたは良かったが、見えた人物に名前は驚いた。
真剣な顔付きの伊作。その手には寝具と何やら凄い臭いを放つ湯呑みが握られている。
突然の訪問に驚きつつ、名前は疑問を投げ掛けた。

「伊作くん、こんな夜にどうしたの?」
「一緒に寝よう、名前さん」
「えっ?!……えっと伊作くんと私でここで寝るの?」
「そう」

当たり前だと言わんばかりに室内に入り、せっせと布団を敷く伊作を名前は呆然と見つめた。
並べられた布団のくっつき具合を見て、なんともな気持ちになる。部屋が狭いため仕方がないのだが、それにしても近い。
何かが起こるとも、もちろん起こそうとも思っていないが、名前は一緒に寝るのはさすがにまずいのではと、躊躇った。
誑かしたまでは言われないかもしれないが、彼は大事な忍のたまごであり、15歳。現代でいう未成年ほにゃらら罪が頭を過った。
こんな時に限って土井も山田も職員会議で不在の為、頼る術もない。

どうして急に一緒に寝るなんて発想になったのか。
そう考えたところで、名前はもしかしてと言葉を発した。

「伊作くん、隈のこと心配してくれたの?」
「そうだよ。これ薬だから飲んで」

伊作の声の刺々しさと、手渡された湯飲みから漂う良薬ですと言わんばかりの苦い匂い。
怪我などに敏感な伊作が気付かないはずないかと、名前は眉を下げた。
黙っていたことを謝れば、険しさは幾分かやわらいだものの、いつもの柔らかな表情には遠い。
伊作がわざわざ用意してくれたのだからと、名前は覚悟を決め、ぐっと湯飲みをあおり薬を一気に喉へと流し込んだ。
広がる苦味に耐え、なんとか喉を通す。
うぬぼれているわけではないが、伊作が気に掛けてくれていることを名前自身も分かっていた。保健委員だからと言いはするが、彼が元来持つ優しい心からだろう。
薬は苦くともありがたく受け取れるが、一緒に寝るのはやはり駄目だと名前は思った。
彼は忍たま、謂わば学生だ。
学ぶことが第一。こんなことで伊作に負担をかけるのはいけないと、名前は口を開いた。

「心配かけてごめんね。でも私は大丈夫だから、伊作くんは自分の部屋でちゃんと寝て欲しいな」

入れられた断りの言葉。微笑む名前を目の前に、伊作は昼間同様にぎゅっと胸が苦しくなった。

─土井先生にはあんなに感情をさらけ出していたのに

沸き上がった思いに、「ああ、そうか」と腑に落ちた。
自認した途端に繋がったのだ。この前、仙蔵が口説かんと彼女の手を握った時に感じた心の靄も、昼間の感情も全てそれだと。

「僕じゃ頼りない?」
「伊作くん?」

伊作は作業の手を止め、名前に向き合った。
目の下の青紫色はまだ濃い。そしてほんの少しだけ浮腫んでいる目蓋に眉が寄る。

─ただ悔しいだけじゃない。僕は土井先生が羨ましかったんだ

彼女から一定の信頼は得ていると思う。
会えば「伊作くん」と名を呼んでくれる。目が合えば微笑んでくれる。たまにからかいすぎた時などは叱られることはある。
だが、それ止まりなのだ。
声を荒げたりだとか、昨晩のような激しい感情を露にされたことも無ければ、見せる素振りすらない。
それが寂しく、悔しく、とてももどかしい。
伊作は名前の手をぎゅっと握った。
逃げられないように。逸らされないように。

「昨日、土井先生と何があったの?」
「え?」

思ってもなかった質問に名前は固まった。
どうして伊作が昨晩のことを知ってるのか、何故それを聞いてくるのか。
ただ質問し返せる雰囲気ではない。どうしようかと名前は悩んだ。
いい年して大泣きしたことなど恥ずかしく言い辛い。
何とか取り繕おう思った名前だったが、伊作の視線に一度開いた口を閉ざした。
ひどく真剣なそれは、昨日の土井と同じだ。
取り繕ってもきっと見透かされる。目の前の伊作を傷付けてしまうような気さえした。
自分の恥ずかしさなど二の次だ。
ずっと立ち話も疲れるねと、伊作と二人布団の上に腰を下ろし、名前は口を開いた。

「この隈、お化粧で隠してたんだ。
眠れなくなったことを知られたくなくて、迷惑をかけたくなくて。隈だけじゃなくて、こっちに来てから寂しいとか不安だとかの自分の気持ちもずっと隠してた。でも、そんな方法は間違いだって、土井先生に叱られたの」

それが昨日の夜の事と、へにゃりと眉を下げる名前に伊作は問いかけた。

「どうして眠れなくなったのかは聞いてもいい?」

話したくないことなら無理には、と告げる伊作に名前は平気だよと笑うと、昨日の土井との会話の内容をかいつまんで伝えた。

「最初は本当に大丈夫だって思ってた。それがだんだん“大丈夫でいなきゃ”になっちゃった感じかな。吐き出すことも出来なくなって、気持ちがいっぱいいっぱいで、眠れなくなって。それで皆に迷惑をかけちゃった。
今の伊作くんもだよね。ごめんね」

申し訳なさそうに言葉をこぼす名前に、伊作はすかさず反論した。

「迷惑なんて思ってない!心配なんだ、名前さんのこと」
「伊作くん。ありがとう、さすが保健委員さんだね」

優しいねと笑う名前に、伊作は落胆した。
そうだけど、そうじゃない。
伊作は内心で「あー、もう!」と叫んだ。
言ってやりたい。保健委員という冠があろうとなかろうと心配するよ、名前さんが好きだからだよと。
だが、言えるはずもない。
自分で言うのは虚しいが、明らかそういう対象として見られていない現状で告げても、完全に悪手だ。下手をすれば変な壁を作られてしまう。
それよりは、今は良き保健委員と振舞い、距離を詰める方が得だと伊作は切り替えた。

「名前さん、約束して欲しい。身体でも心でも辛くなった時は真っ先に僕に教えて欲しいんだ」
「気持ちは嬉しいけど、伊作くん学生さんだから。やっぱり自分のことに時間を使って欲しいって思う」

ぐうの音も出せないど正論に伊作は口をつぐんだ。ただ、ここで引くつもりはないのだ。
あまり使いたくは無かったが仕方がない。伊作は眉を寄せると悲しげに項垂れた。

「でも名前さん、僕言ったよね。隠すのはご法度だよって。それなのにずっと隠してた。またそうならないとは言いきれないでしょ……」

伊作は前髪の隙間からちらりと名前の顔を伺った。
申し訳なさそうな表情で「それは本当にごめんなさい」と必死に謝る様に、もう一押しと伊作は言葉を続けた。

「今日はどうだったかな、大丈夫かなって、そうやきもきしちゃう方が、集中出来なくなりそうだよ。だから約束してもらえると嬉しい。その方が僕が安心出来るんだ」

困らせたいわけじゃないんだけど、と憂う伊作に名前は心が痛んだ。
確かに先に約束を破ってしまったのは自分の方。負い目もあるが、約束することで伊作が安心出来るのならと、了承を決めた。

「分かったよ、伊作くん。今度からはちゃんと言うね。約束する」
「ありがとう、約束だよ」

もちろん、言うような状況にならないようにも頑張るよと言う名前に、伊作は悲哀の表情を解き微笑んだ。
思った通りに事が運び、内心ほっとした。
滅多に使わない哀車の術。いつもなら言うことを聞かない相手には恐車の術一択だが、好きな子に恐がられたくも嫌われたくもない。予想通り、今の名前にこの術は効果覿面である。

ただ、長々としたやり取りのおかげで、いい頃合いだ。
薬が効いてきたのだろう。うとうととし始めた名前を見やり、伊作は良かったと思った。
今の彼女に必要なのは睡眠。そして眠れたという成功体験だ。
舟をこぎだした身体を支え、優しく布団へと誘えば、すぐに穏やかな寝息が聞こえた。

「おやすみ、名前さん」

早く無くなるように願いながら、伊作は眠る名前の目元を優しく一撫ですると、灯火を吹き消した。






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