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忍たま長屋を歩いていた土井は遭遇した場面に怪訝な表情を浮かべた。
縁側にいるのは五年の鉢屋と不破の双忍コンビ。そして名前だ。談笑しているのかと思ったが、どうやらそんな雰囲気ではないらしい。
三郎と雷蔵はにこやかだが、名前の表情は違う。二人を見つめるその表情は、怒っているとまでは言えないまでも、むすりと険しいものだった。

─何かあったのだろうか。

これが5年と6年の忍たま同士などであれば喧嘩か揉め事かと案じるが、相手が名前であればその可能性は低い。
だが、念のためと土井は三人に声をかけた。

「どうしたんだ?3人で集まって」
「あ、土井先生。名前さんが急に僕達を見比べさせて欲しいって」
「どっちがどっちか当てたいらしいです」

まぁ、無理だと思いますけど。
そんな煽り言葉を内心で発し三郎と雷蔵は、じいっと見比べてくる名前を見て笑う。
名前は二人のしたり顔に気づきながらも、目鼻立ちから全身に至るまで、くまなく目をやっていた。
これまでよりも真剣に違いを探しているというのに、何度見比べようともどちらも全く同じにしか見えない。
降参とばかりに、名前は土井に問いかけた。

「土井先生はどっちが鉢屋くんか不破くんかすぐに分かるんですか?」
「右が不破、左が鉢屋、だな」

さも当然と土井が即答すると、鉢屋と不破は「正解です」と声を揃えた。

「やっぱり土井先生は分かるんですね」

すごいと言わんばかりの表情を向ける名前に、土井は苦笑いを浮かべた。さすがにこれが見破れないようでは、教職から即刻お払い箱である。
出かける用事があると去っていく双忍の後ろ姿を見ながら、どこに違いがあったんだろうと唸る名前に土井は声をかけた。

「変装術は見た目だけ見ていては判別は難しいんだよ。ちなみにだが、私は手を見たんだ」
「手ですか?」
「そう。鉢屋と不破では扱う道具が違うからね」

鉢屋は鏢刀と呼ばれる三日月形をした手裏剣、不破は印地打ちだ。印地打ちを得意とする不破の人差し指にはその縄の痕が残っている。
今回はそれを1つの目印としたんだ、という土井の丁寧な解説に、名前はなるほどと思うものの、それは忍である土井だから出来ることだと落胆した。
真似しようにも、鋭い観察眼がなければ到底無理である。

「土井先生、もう少し簡単に本物と偽物を見破るにはどうすればいいんでしょうか?」

真剣に悩む様子に、一体何があったのかと土井が問えば、名前は昼下がりにあった山田利吉との一件を説明した。

「そんなことがあったのか。利吉くんらしいな」

一連のやりとりがまざまざと目に浮かび土井は破顔した。
今やプロの忍として名を馳せている利吉だが、好奇心旺盛なところは昔から変わらない。

─それにしても、山田先生からも一本取るほどになってるとは

弟のような存在の成長の著しさたるや。土井はうかうかしていられないなと感心した。
そして名前に対する利吉の指摘ももっともだと思った。
戦の無い時代で生まれ育った彼女は、その育ち故か他者に対する警戒心がいささか、いやかなり低い。そのゆるりとした雰囲気は彼女の魅力ではあるが、弱点だ。
学園内で過ごしているだけならば問題ないが、ひとたび外へと出ればそうはいかない。

─ずっと側にいてくれれば守ってやれるんだが。

浮かんだ考えに土井は自嘲の笑みを浮かべた。
名前が学園の外へと足を踏み出す時は必ず来る。名前も好奇心はある方、興味や行動範囲はだんだんと広がっていくだろう。
彼女を籠の中の鳥にしたいわけではない。これはいい機会なのだろうなと、土井は名前を自室へと誘った。




──




「名字さん、さっきの質問の答えだが、本物と偽物を一目するだけで判断というのはプロでも難しいんだ」

教職長屋の土井と山田の自室。机を挟んで向き合い、名前は土井の話に真剣に耳を傾けていた。
いつもの読本会のゆるりとした雰囲気とは違い、漂うのは授業のような緊張感だ。

「土井先生でも見抜けないんですか?」
「鉢屋ほどの高い技量で変装されてしまえば、それこそ見ただけでは見抜くのは難しいかな。
見た目など視覚情報は真似がしやすい。簡単に例えると、『藍の格子柄の着物を着ていた大きな男』という情報があったとする。私が藍の格子の着物を着れば、一見その情報に当てはまる人物になれるだろう?」

粗はあれど真似はできる。情報が少なければ少ないほど、変装する側は安易、判断する側は厄介なんだ。そのためプロの忍は情報を細かに集め対応するのだと言う土井に、名前はつまりと口を開いた。

「私に判別は難しい、ということですよね」
「まぁ、そういうことになるね。今回のような場合は稀だけど、利吉くんの言ってたとおり、話さないが一番の策かな」

知らない人とは喋らない、ついていかないこと。

名字さんは少し警戒心が薄いから、気をつけるに越したことはない。
真面目な顔つきの土井から告げられた言葉に、名前は、はぁと項垂れた。
小学生にするような注意である。
利吉から赤子のようと言われ、その時は馬鹿にしてとカチンときたが、彼の言うとおりだ。
事実、何も思わずにいろいろ話してしまったのだから、隙だらけと言われても仕方ない。
“忍の要は情報収集”という意味を名前はようやく深く理解できた気がした。
は組の授業で聞いてはいたが、文字通りただ聞いていただけで理解は出来ていなかったのだ。
忍者といえばと苦無や手裏剣とそちらにばかり目がいっていたが、本分はいかなる手段を使っても情報を得ること。その為に言葉や表情を巧みに操る、抜き取られないよういろんな予防策を張るのが忍なのだ。

「忍者ってすごいですね」

そして怖い。
名前からこぼれ落ちた素直な思いを、土井は否定も肯定もしなかった。
恐れることは何も悪いことではない。正しく現状を知ることで、思いや考えが出てくるのは良いことだ。むしろそれよりも無知であることの方が余程恐ろしい。

「偽物か判別できるかなんて聞いたのが恥ずかしいくらいです」

そう言い、目に見えて肩を落とした名前に土井は声を明るくした。

「でもね名字さん、判別する方法がないわけじゃないんだ」

ここからが大切だと、土井はぴんと人差し指を立て笑った。

「名字さんはこちらに知り合いはいない。寄ってくる知らない人間は無視すればいい。気をつけるのは顔見知りの人物だけだ。
真偽の判別は見た目だけでなく、全体の雰囲気を見たり会話のやりとりをすることも大切だよ。そちらの方が、なんか怪しいとか、意外と違和感に気づきやすい」
「そう、なんですか?」

本当に?私でも?と疑わしげな名前に、土井は例を挙げようかと言葉を続けた。

「例えば誰かが、私、土井半助に変装したとする。見た目には瓜二つで本物か偽物か分からない。さて名字さん、どうすれば見抜けると思う?」
「ええっ…………すみません。考えもつきません」
「あまり難しく捉える必要はないよ。
土井半助であれば答えられるであろう質問を投げ掛けるだけでいい。例えば“最近一緒に読んだ本はなんでしたっけ?”とかね。それは偽物には答えられないだろう。忍も万能なわけじゃないからね。
ただの何気ない会話を含め共通の思い出や事柄は立派な情報なんだ」
「……合い言葉と似たような感じですね」

山と言えば川と答えるみたいな。そんな名前の言葉に土井は大きく頷いた。

「その通り。些細なことでも互いの信頼を繋ぐものとなる。
まあ、忍でない名字さんが利吉くんに謀られたみたいに、偽言の術や妖物の術にかけられることはそう無いとは思うが。
知っていると知らないでは大きく違うから、いい機会だと思って伝えたんだ」

怖がらせてしまったならすまない、と眉を下げる土井に名前は首を横に振った。

「いえ、ちゃんと教えていただけて良かったです。知らない、隙だらけじゃ、ダメだと思いましたし。
それに皆との日々の出来事が、私を守ってくれるものになると知れて嬉しいです。
心の支えというか、例えが変だとは思うんですけど、力のあるお守りを貰ったみたいでとても心強いなって」

そう言って微笑んだ名前の笑みに、土井は堪らず、ぐっと口を結んだ。

「あ、土井先生、喉渇きませんか?たくさん話ましたし」
「あ、あぁ、そうだね少し」

今お茶を貰ってきますね。
そう告げ部屋を出る名前を見送るや、土井は途端に机へと顔を突っ伏した。

「言うことがあまりに可愛らしすぎやしないか……」

は組の子どもたちの天真爛漫さとはまた違う愛らしさに堪らなくなる。
心底嬉しそうな名前の柔らかな笑みが再び脳裏に浮かび、土井は口元を手で覆った。
本人の手前、さっきはなんとか平静を装ったが、今は確実に締まりの無い顔をしている自覚がある。

「それにしても、お守りか」

情報は武器だ。時と場合によっては苦無や手裏剣よりも余程脅威となり、たった1つの情報が戦況を一変させることだってあり得るほど。
それを“お守り”などというものの例えが出来るのは、彼女だからなのだろう。
柔らかくくすぐったい感覚に、土井は心がじわりと温かく緩まった。
プロの忍としては、甘い考えだと窘めなければならなかったのだろう。
だが、彼女は─名前はそれでいい。染まらずその柔らかなまま居て欲しいとすら思う。

さて、そろそろ戻ってくる頃だろうか。

いつまでも締まりの無い顔でいるわけにはいかない。緩みきった表情を幾度か締めると土井は居住まいを正した。

次は何の話をしようか。

うずら隠れの術の実習話や聞き間違え話などいいかもしれない。
名前が食いつきそうな話を頭で思い浮かべた土井だったが、無意味に終わることとなった。

笑顔で帰って来た名前の後ろ、てかりと光る男─安藤のにたりとした顔を見るや、土井の顔からは緩みも笑みも何もかもの表情がすんと消えた。




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