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就職。それは人生の岐路の1つである。大手に中小。給与にやりがいと選択基準は様々だ。
今は売り手市場と言われはするが、人気の就職先は倍率も難易度も高い。
試験や面接をクリアし、限られた椅子を奪取しなければならないのだ。
本格的な活動を始めていない名前ですら、情報はいろいろと耳にしていた。
よくわからない適性検査に大人数での論議面接などなど大変だと。
そんな就職試験を戦国時代で受けることになるとは、名前も想像だにしていなかった。

出茂鹿之介、通称「出茂鹿」との忍術学園の事務員の座を賭けた戦いに勝つべく、名前は試験日までの5日間、猛勉強に明け暮れた。
そしてそれは想像以上に大変な日々だった。
理由は2つある。まず1つ目は潮江文次郎への誤算だ。



「名前、阿呆ではなかったんだな」

思った以上にすらすらと問題を解く名前に文次郎はそう宣った。
これまでの名前の無知さ具合を知っている文次郎からしてみれば、驚くのも無理もない。
だが、そんな文次郎の驚嘆の表情に、心外だと憤ったのは名前の方だ。
確かにこの時代の一般常識には疎い。しかし、現代では中のちょい上。所謂平均程度、おバカ認定されるほどに酷くはないはずと自認している。この時代の文字にも多少は慣れてきた。
利吉に続き、最近はこんなやりとりばかり。
塵も積もればなんとやら。ムカムカ悶々とした名前は、ここは見返す時と、1日目の夜遅くまで問題集を解いた。そして翌日、文次郎へと見せつけた。

「見て、文次郎くん!」

どうだ、こんなに進んだと名前は得意気に問題集を掲げた。見直しもして答えもばっちりだと。
しかしそれが仇となるなど、この時の名前は知る由もない。相手の気概が強ければ強いほど燃え上がるのが潮江文次郎という男なのである。

「いい心意気だ、名前!なら、もっとやるか!」

優しかったのは初日のみ。だんだんと熱が入り、連日のスパルタ指導となった。
文次郎のギンギンな扱きを受けても名前が無事だったのは、監視役の仙蔵のおかげだ。

「文次郎、留三郎の懸念した通りとなるが、いいのか?」

それ見たことかと嘲弄されるな、と半笑いで告げれば効果覿面。文次郎はすぐに鎮火した。
文次郎にとって留三郎にやんや言われることほど嫌なことはないのだ。
文次郎が燃える度に仙蔵の冷や水が入り、事なきを得た訳である。

2つ目は方々からかかる激励と重圧だ。
忍たまやくのたまはもちろんのこと。「ちゃんと見れずにすまないが、頑張って」と申し訳なさそうにする土井をはじめ、「学園長がすまないな」など他の教師陣からも労いの言葉がかけられた。
特に熱がこもっていたのは、“出茂鹿、絶対嫌”と毛嫌いしている1年は組だ。

「「名前さん、頑張ってね!」」

野営実習に発つ1年生を見送るため名前が門前まで出た際には、皆を鼓舞するつもりだったというのに、逆には組から激励が飛んだ。
中でも不義理なことを嫌う実直な性格の金吾は特に出茂鹿のことが生理的に駄目らしく、

「出茂鹿なんかが事務員になったら、俺、学園に来れないかもしれない」

だから本当の本当に頑張ってください、などと真剣な表情で言うものだから、名前は首を縦に振るしかなかった。
そしてその金吾よりも凄かったのが、吉野作造だ。
連日進捗具合を確認しに6年長屋を訪ね来るほど。
それほどに吉野にとっては喫緊の問題。今でさえ、おっちょこちょいの小松田で手一杯だというのに、苦手な出茂鹿までもの面倒を見るのは到底無理だった。

「頑張ってくださいね!期待してますからね!」

私の平穏と安寧は名字さんにかかっていますので、などと脅しのような言葉までもが飛んだ。文次郎と仙蔵が、あんな必死な吉野先生は見たことないと驚いていたほどだった。
そんな重い思いに応えるため、ひたむきに問題集に向き合い迎えた当日。
皆の期待と金吾と吉野の平穏を背負い、名前は気合い十分だった。
自室へとやってきた仙蔵から試験の内容を聞くまでは。

「『名字名前 対 出茂鹿之介 障害物競走』だそうです」

仙蔵から告げられた言葉をうまく理解できず、名前は一瞬思考が止まった。
必死に解いた問題集は?就職試験のはずでは?である。

「……えっと、仙蔵くん。どういうことかな?」
「私たちも昨晩聞かされたんです」

目を点にしている名前を見やり、仙蔵は苦笑を浮かべた。
文次郎の「バカタレ」に耐え、勉学に真剣に取り組んでいたのは重々知っているが、残念ながらこればかりは学園長の一声で決まるのだ。

「すまない、名前さん。もう少し早く情報を掴めていれば良かったんだが」

そう眉を下げる仙蔵に、名前はゆるゆると首を振った。

「いやいや、仙蔵くんは悪くないよ!
あまりに唐突だったからびっくりしちゃった。障害物競走が試験ってことなのかな?」
「そうなるな。小袖では走りにくいだろうから、私の服を貸そう」

外に居ますので着替えたら出てきてください。そう言い部屋を出る仙蔵を見送り、名前は渡された上衣に袖を通した。
綺麗な青藤色のそれからは楠の清涼感のある匂いが漂った。
袴も見真似で穿き腰紐を締める。男物ということもあり、少しダボつき大きいが許容範囲だろう。

「それにしても、障害物競走が就職試験って」

皆が言ってた通りだなと、名前は独りごちた。
高校卒業と同時に就職した友人、絶賛活動中の先輩などが口を揃えて言っていたのだ。
就職試験はな、行くまで何が起こるかわからないこともある─と。



◇◇◇



「ではこれより、名前ちゃんと出茂鹿くんの試験を始める!
忍たま諸君、名前ちゃんと出茂鹿くんからの救援要請には応えるべからずじゃ!
なお、結果に対する不服申し立ても受け付けんぞ」

校庭の真ん中、学園長の始まりの言葉を聞きつつ、名前は隣に並び立つ男を見やった。

─悪名高い、性格のすこぶる悪い出茂鹿さん……ぱっと見いい人そうに見えるけど

先日食堂で抱いた感想通り。溌剌とした顔つきで仕事が出来そうな印象を受ける。
しかし、は組や吉野の反応もさることながら、聞く人聞く人から良い話が全く出ない。
人は見かけによらないのかなと思いながら見ていた名前だったが、その視線に気づいたのか、出茂鹿之介と視線がかち合った。
無言で見つめあうのも居心地が悪い。
とりあえずと名前は軽く会釈をしたのだが、出茂鹿之介はそれに返すことなく声を上げた。

「き、君は食堂のお姉さんじゃないか!」

耳をつんざくような大声に名前は顔が歪んだ。じーんと耳が痛い。
かたや出茂鹿之介はまさかの対戦相手に驚いたが、その表情はすぐにほくそ笑んだものに変わった。
これは好機。忍でもなんでもない、ただの女ならばこの勝負楽勝だ。

「まさか対戦するのが食堂の君だとは。悪いことは言わない、怪我をしないうちに棄権した方がいいぞ!」

念願の忍術学園事務員。これはもうなったも同然だな!
そう高らかに告げ、ははははは!と高笑いする出茂鹿之介を名前は冷めた目で見つめた。
どれだけ人望が無いのだろうかと思っていたが、なるほどこれは嫌がられるのも納得だ。
弱そうと思うのも、とるに足らない相手と見下すのも自由。
だが、あまりにも馬鹿にしたその態度を前にし腹が立たない者はいないだろう。

「棄権なんてしません」

こちらも負ける気などさらさらないのだ。
名前は目を据え、強く言い返した。



──



向かい合う名前と出茂鹿。
その様を苛立たしげに見るは、深緑の集団だ。
未だ高笑いを続ける出茂鹿にむかっ腹を立てているのだろう。長次は腕組みで静観し、小平太の眉間には深い皺が寄っていた。

「……相変わらずの性格だ」
「だな。名前のことを馬鹿にして。腕の1本くらいなら折ってもいいんじゃないか?」
「いや、やるなら足だろ。ギンギンにやるぞ」
「抑えろ小平太も文次郎も。気持ちはわかるが、出茂鹿にはあのまま気づかず競走してもらわねば」

あの態度からするに、学園長の真意を全く理解してないだろうと仙蔵が言えば、小平太はくるくると玩んでいた苦無をしまい、文次郎もふんと鼻息を出すに留まった。
余裕だと本気で出茂鹿が思っているのならばお門違いも良いところ。
ここは忍の学校だというのに、裏を疑わないところが奴が未だに定職にありつけていない理由だなと仙蔵は出茂鹿を呆れ見る。
その時、土煙と共に見知った顔が戻ってきた。

「「間に合った…!!」」
「伊作に留三郎、無事で何よりだ。しかし奇跡だな。今回は不運は発動しなかったのか?」

予定通り帰還した二人に仙蔵が嘲るように問い掛けるや、ボロボロの姿の留三郎と伊作は深く息をつき答えた。

「この成りを見てよく言えたな!猪の親子、山賊にまで遭ったわ!まぁ、山賊は速攻で蹴散らしたがな!」
「あとは徹夜で走ってなんとかね。……ところで仙蔵。なんで名前さんが仙蔵の服を着てるのかな?」

久方ぶりの名前の姿に目をやれば、まさかの袴姿。しかもそれがよく知る男の物で、伊作は面白くなさそうに顔をしかめた。

「サイズ感が私のものが丁度良かったからだ。よく似合っているだろう」

いやなに、他意はないぞ。
そうしたり顔で笑う仙蔵に伊作は嘘つけと言い返した。

「他意しか感じないよ!」

くのたまの子にでも借りれただろうと伊作が問うも、仙蔵はどこ吹く風だ。
そう言うなら僕のでも良かったんじゃないか。いやいや居ない者の服を勝手には拝借できまい。そんな会話に横やりを入れたのは小平太だ。

「袴の名前も悪くはないが、私はいつもの小袖の方が愛らしくて好きだぞ!
私の服も着て貰いたいが、名前には大きすぎるからな!肉付きの薄い仙蔵や伊作ぐらいで丁度いいのだろうな」
「……安い挑発だが乗ってやるぞ、小平太」

暗に「ひょろいからなお前たちは」という小平太の口撃に、仙蔵と伊作は顔を引きつらせた。
人が気にしていることをずけずけとである。
宝禄火矢と得体の知れない丸薬を手ににじり寄る二人に小平太は苦無を構え、やるかと好戦的に笑う。
すると側で見ていた文次郎が呆れ気味に言葉を発した。

「服など誰のを着ようが変わらんだろうが」

何を争っているのか心底理解できんという文次郎の表情に、仙蔵、伊作、小平太だけでなく長次と留三郎も驚き目を丸くした。

「「……はぁー。これだから文次郎は」」

あのだぼついた上衣の良さが何故わからないのか。
見ろ、名前さんの腰紐の余り具合を。
女が男の服を纏うなど夢が詰まっているだろうが。
浪漫だなんだと熱弁する4人。
そんな同輩達を、文次郎はちんぷんかんぷん分からんと言わんばかりの表情で眺めた。

「長次、あいつらは何を言っとるんだ」

名前は俺らに比べ小柄。当たり前だろうがと呟く。
忍の三禁を徹底している男はこの手の話に酷く疎い。
説明も面倒で野暮だ。長次は何も言葉を発することなく、未だ何一つ理解できていない文次郎の肩をぽんぽんと叩くに留め置いた。







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