28

授業の終わりを告げる鐘の音。カーンと高い音が響くやいなや、「ご飯だ!」と慌ただしく教室を出ていく良い子たち。
土井は苦笑を浮かべ「急いでは転ぶぞ」と咎めはするものの、その声は柔らかい。
昼飯は逃げやしないだろうにと思うが、おかずは二択制。早い者勝ちである。
空っぽになった教室で、土井はぐっと背を伸ばしひと息ついた。
いつもどおり小言や脱線などありながらも授業はなんとか無事に終わり、ようやくの休息だ。
腹の虫がぐぅと鳴き空腹を告げる。
さっさと昼飯にありつきたいところではあるが、色とりどりの忍たまらがわんさかとごった返しているであろう食堂が頭に浮かび、土井は生徒らが落ち着いた頃に向かうことに決めた。
今日は珍しく午後から任務予定はなく、急ぎの仕事もない。
教職長屋へ足を進めながら、昼から何をしようかと思案する。貴重な休みだ。ぜひとも有意義に使いたい。

兵法書を読み耽るのもいいかもしれないな。

そう考えながら自室の扉を開けた土井だったが、視界に入った白髪のおかっぱ頭に咄嗟に扉を閉めた。
認識した途端に走った痛み。土井はキリキリと泣く胃を押さえた。もはや反射反応である。
見なかったことに出来ないだろうかと思うものの、そんなこと許されるはずもない。
自身を呼ぶ声に土井は渋々室内へ入ると、茶をすする学園長に向かって座した。

「今度はどんな厄介事ですか、学園長」

見るからにめんどくさそうに眉を寄せる土井。学園長はそんな態度に腹を立てた。

「儂がいつも厄介を招いてるような言い方じゃのう!」
「普段の御自身の言動をよぉく思い返してみてください」

突き放すような言い草に地団駄を踏む学園長を、土井はさらりと流した。
例の障害物競走からまだ10日ほど。そんなに日も経たないうちに、次の厄介事は正直勘弁だ。
いくら雇用主といえど、はた迷惑な突然の思い付きに毎度毎度振り回されては、こちらの身が持たない。
せっかくの休息。一介の雇われ教員といえど、たまにはゆっくり過ごしたいのだ。
どうせ録なことじゃないのでしょう。
そう言わんばかりの土井を前に、学園長は一瞬目を吊り上げるとすぐ表情を変えた。
見ておれと意気込むと、ふさりとした白眉をハの字に下げ、悲しげに言葉を発した。

「せっかくだから土井先生に頼もうと思ったが、やめじゃやめじゃ」

哀愁を漂わせとぼとぼと部屋の外へと出ていく学園長の背を、土井は引き留めることもなく見送った。
これまで何度も見てきた学園長の五車の術。
中でも得意としている哀車の術だが、さすがに引っ掛かりはしない。
まだまだ未熟な忍たまたちならいざ知らず、自分にも通用すると思われているとは心外だと土井は短い溜め息を吐いた。
何はともあれ、これで平穏な休息は守られた。
ひと安心した土井だったが、直後に学園長から投げつけられた言葉に目を剥くことになる。

「名前ちゃんを町に連れていってあげて欲しかったんじゃがのう。土井先生がそーんなに嫌なら仕方ない」

別の者に頼むわいと吐き捨て、扉をピシャリと閉めた学園長を土井は慌てて追った。
彼女が関わってくるなら話は別。待ってくださいと声をあげ、土井は扉を開け放った。
だが左右に目を振れど、すでに学園長の姿はない。
いつもなら相手が頷くまでしつこいほど食い下がるというのに、やけに物分かりよかったのはこのためか。
しまったと思えど手遅れである。落胆に顔を下げた土井だったが、目先の人物に表情が一変した。
己の真下。しゃがみこんだ姿勢で見上げるは学園長だ。
土井が追ってくることは折り込み済み。気配を消し、待ち構えていたのだ。

「まだまだ青いのう、土井先生」

ぶつかったのはにんまりと弧をえがいた眼。
普段の好好爺には程遠い狸爺のような学園長を見下ろし、土井はひくりと口許をひきつらせた。




◇◇◇




芽吹いた新緑が木々を彩り、山の緑は一層鮮やかだ。
緑が映える町までの緩やかな下り道を、名前は意気揚々と進んでいた。
初めての出る学園の外。気持ちが高揚しない訳がない。
そんな名前の周りを囲むは、乱太郎、きり丸、しんべヱの仲良し三人組だ。

「名前さん、町へ行くのは初めてですよね」
「そうなの!だからすごく楽しみなんだ」

乱太郎の問いかけに、名前は弾んだ声で答えた。
歴史の教科書に載っているようなものか、ドラマで見るような風景か。はたまたカレーライスやハンバーグが存在するのと同様に、町も似て非なるものだろうかと、名前は興味津々だった。

「僕、おいしいお団子屋さん知ってるから、名前さんに教えてあげるね!」
「ありがとう。しんべヱくんのお墨付きなら間違いなしだね!」
「おい、しんべヱ。まだ食べるのかよ」

どんぶり飯5杯食べてきたばかりだろと呟く、きり丸の呆れた視線などなんのその。「甘いものは別腹だよー」としんべヱはすでに涎を垂らしている。
そんなやりとりを見やり土井は苦笑いをこぼした。しんべヱが食べ過ぎて動けなくなったことは一度や二度ではない。だが、下手に止めても効果が無いことも知っているため、何事もほどほどが大切だぞと説くに留めた。
さて、なぜ乱太郎、きり丸、しんべヱの3人が一緒なのかというと、それもこれも全ては学園長の仕業である。
昼食後、土井は片付けに励む名前に声をかけた。
町へ出かけることを伝えれば、驚きつつも笑顔で返ってきた色良い返事。
だが、門前での待ち合わせを取り付け、名前を待つ土井の元へと現れたのは乱きりしんだった。

「「ご一緒しまーす!」」

元気よく声をあげる3人に土井は目を丸くした。
どうしてお前達がと問えば、学園長からおつかいを頼まれ、土井と名前が町へ出る為一緒に行くようにと伝えられたのだと言う。
ついでに食堂のおばちゃんからも、味噌作りに使う大豆を買ってきて欲しいと頼まれたと笑う乱太郎らに土井は溜め息を吐いた。
地味に厭らしい学園長の意趣返しである。
やはりすんなりとはいかないかと土井が項垂れているところに名前が合流し、5人で町へ行く流れとなったのだ。


学園から歩くこと半刻ほど。森や田畑を抜けた先に広がる光景に、名前は「わぁ」と感嘆の声をあげた。
明るい黄土色の壁の建物が並び、その入り口には色鮮やかな暖簾が風に揺れている。
「ここが一番近い町だよ」という土井の言葉に耳を傾けつつも、名前の目は初めて見る町並みに釘付けだった。
想像よりも色彩豊かで、人の往来も多く活気に溢れた町にうずうずと気持ちが弾む。
買い物よりもまず先にと立ち寄ったのは、しんべヱお薦めの団子屋だ。お腹が空いた動けないと眉を下げるしんべヱを落ち着かせるためである。
道沿いに設えらた長椅子に土井、名前、きり丸、乱太郎、しんべヱの順で席に腰かけると、すぐさま茶と団子が運ばれてきた。
桃白緑の丸い団子が串に刺さったもの、いわゆる花見団子だ。

「やっぱりここのお団子が一番!」

口いっぱいに団子を詰め幸せそうなしんべヱにならい、名前も団子を頬張った。
もちもちと弾力よく、優しい甘さが口の中に広がる。

「とってもおいしいよ、しんべヱくん」
「でしょー!」

素朴ながら上品な味だ。さすが食べることが大好きなしんべヱが薦めるだけあり、おいしい。
特に今、歩き疲れた身体に甘味と番茶はかなり沁みる。
10人前もの団子を平らげ満足そうなしんべヱをはじめ、団子を満喫した一行はさてとと立ち上がった。
次にやらなければいけないのは、学園長のおつかいだ。
見るからに目減りしてしまった財布に渋い顔をしている土井を背に、乱太郎ときり丸は学園長から渡されたおつかいリストを開いた。
頼まれたのは紙と墨と干菓子。どれも学園長のガールフレンドである楓さんの為のもので、良いものをとの注文付きである。
可愛らしい模様の和紙があるといいねと笑う乱太郎に対し、自他共に認める守銭奴であるきり丸は「紙は紙、なんでも良いだろ」と特段の興味も無い。
それよりも気になったものがある。きり丸はひそりと乱太郎に耳打ちした。

「なあ、乱太郎。名前さん、なんであんなに目を輝かせてるんだろうな。
この町、そんなに物珍しくもないのに」
「ほら、名前さん記憶がって言ってたから。町の記憶も無いのかもしれないよ」

乱太郎の言葉で、確かにそんなこと言ってたなと思い出したきり丸は、ちらりと後ろを見た。
どこにでもいる物売り行商に染め物屋など、きょろきょろとあちこちに目を向け、落ち着き無い名前。
ただし、きり丸が気になったのはそんな名前の隣を歩く土井の方だった。
自分たちに向けるものとも少し違う、これまで見たことないような柔らかい表情だ。

齢25だというのに女の影ひとつ無い土井に、きり丸は常々疑問を持っていた。
掃除や整理整頓を後回しにするなどの生活能力の低さはあるものの、土井半助は同居人という贔屓目なしにしても、背は高く、顔も整っていて、見た目は悪くない。
2人で土井の家へ帰る道中も、すれ違った何人もの女が土井を目で追う様は見ているし、住んでいる長屋でだってすり寄られているのを見たことがある。そのときは、相手にはせずのらりくらりと交わしていた。
モテないわけでも、女が寄ってこないわけでもないのに、特別良い人がいないのはどうしてかと考えた時、まず出てきた要因は己の存在だった。
だが、それを土井に伝えたところ「お前のせいではないよ」と一笑していた。

─名前さんに記憶がないから、土井先生はあんなに世話を焼くのか?

そう思ったきり丸だったが、もしかしてと閃いた。
これまでのことから、土井先生は女嫌いか興味なしかだと思いもしたが、これはもしかするともしかするのかもしれない。
それならばと、きり丸は両側の乱太郎、しんべヱの手を取り一気に駆け出した。
急にどうしたのと驚く2人はそのままに、後ろを振り返ると、きり丸は目を丸くしている土井と名前に向かい声を上げた。

「俺たちで買い出し行ってくるんで、土井先生と名前さんはデートでもしててくださーい!」

あの女っ気ゼロだった土井先生に訪れたかもしれない春の予感。
これは会心の手助けになったに違いない。きり丸は、にししと満足げに笑った。










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