29

町中へと駆けて行く乱きりしん。
3人を見ていた名前の表情は、口を開けた呆然としたものから眉を寄せた困惑へと変化した。
デートという言葉がこの時代にあることも、それをきり丸から投げつけられたことも驚きだった。

─なんて爆弾を落としていくんだ、きり丸くん!

名前は内心で嘆いた。
なんでわざわざデートなんて言ったのか。
散策してきてとかじゃ駄目だったのか。
そんな疑問が湧くものの、きり丸の意図など分かるはずもない。
これはデートなど色めいたものではなく、生徒らの引率。2人きりになったとしても相手が生徒から無知な自分に変わっただけで引率に変わりないのだ。

─土井先生もいい迷惑だろうな。

そんなことを思いながら、名前は少し前に立つ土井の背姿に目をやった。
表情は見えないが、同じように困惑の表情を浮かべているのだろう。
浮わついた雰囲気などなるはずもなかったのに、きり丸の言動により生じてしまった妙な空気感に、名前は心底困り果てた。
この状況をどうしろというのか。残された身にもなって欲しいと名前は心の内できり丸に恨みごとを吐く。
ひとまず、きり丸の台詞になぞらえ「デートしましょう」と声をかけることを想像してみたが、頭に浮かんだのは土井の困ったような笑顔だった。
優しい土井のことだ、嫌だと思ったとしても「いいえ」とは言わないだろう。
これはダメだ。余計に困らせてしまうと、名前は案1を却下した。
次は案2、聞こえなかったことにしようと考えるも、あんな大声で言われ聞こえなかったは無理がある。

─かといって、デートをわざわざ違う言葉に言い換えるのも、気にしすぎているようでなんとなく嫌だし……。

どん詰まりした思考に、名前はため息をつき地面へと視線を投げた。
考えても良い策など浮かばず、名前は「デートしましょう!」とストレートに言うことに決め、土井の反応はこの際考えないことにした。
そもそも、デートを意味深に捉えてしまうからおかしなことになるのだ。
たかだか3文字の単なる単語。お出かけや外出と意味は何ら変わりない。
友達同士でデートと使う人もいるしと、名前は自分に言い聞かせた。

─冗談めかして言えば、仮に困った顔をされてもなんとかなる、はず!

よしという意気込みと共に名前が視線を上げると、土井と視線がぱちりと合った。

「名字さん、大丈夫かい?」

体調を崩したのか、足が痛むのかと心配そうに問う土井を前に、名前は慌てた。
いつから見られていたのかわからないが、あれこれ考えているうちに、顔つきが険しいものになっていたらしい。
名前はすぐさま否と手を振った。

「た、体調も足も全然問題ないです!
あの、その。デ、デ……」

意気込みはどこへやら、たったの3文字がなかなか出てこない。
まごつきながら「デートに」と名前が口を開こうとした時だった。

「名字さん」

土井が名を呼ぶと、名前はピタリと動きを止めた。
不思議そうにしながら言葉の続きを待つ名前に、土井は笑って告げた。

「行こうか、デート」




───




隣に並び町中を歩く土井と名前。若い年頃の男女が並び歩く様は、傍から見れば夫婦か恋仲の間柄に見える。
そのせいだろう、小間物屋や露店など方々の店から「そこの若夫婦!」と声がかかった。
よくある呼び込み文句に手を軽く振り遠慮を示す土井の隣で、名前は顔を俯かせていた。
静まれ治まれと深呼吸を繰り返すが、先ほどの余韻を引きずり、頬は熱く、心臓は未だにバクバクと脈打ち落ち着く気配がない。

─土井先生のあれ何!

見惚れるような微笑みと甘い声で紡がれた「デート」。
凄まじい破壊力に、名前はひどく動揺していた。
なんとか「はい」と返事は返したものの、声が上擦ったことは気づかれているに違いない。
何がただの単語と思えばだと、名前は数分前の自身へと突っ込んだ。
そして、勘違いしてはいけないとも、自分に言って聞かせた。
土井のセリフはきり丸のデート発言を受けたから出たのであって、これをデートなどと思っているわけではないのだと。

─デートじゃない!
歴史の探訪!社会科見学のようなもの!

意識しない、平常心、と念じていると視界の端で何かが揺れた。
揺れているのは青色。土井の着物の色だ。
そのまま視線を上げ見えたのは、顔を背け肩を震わせている土井の姿。
声を殺し、笑っている。

「……土井先生、何笑ってるんですか?」
「いや、名字さんのころころと変わる表情が可愛らしくてね」

先程の柔らかなものとは違い、今度はからかうような笑みに、名前の顔は再び赤く染まる。
またもや百面相を見られていた恥ずかしさもあるが、再び土井の笑顔にあてられたのだ。
落ち着きつつあった心臓はまた激しく動きだし、鼓動も聞こえてしまうのではと思うほどにうるさい。

─今日の土井先生、なんか落ち着かない

いつもはその存在に安心感を覚えるのに、今は正反対だ。
どこから案内しようかと呟く土井を、名前は横目でちらりと盗み見た。
先程まで合っていた目線も前へと戻り、土井の様子はいつもと変わらない。
言葉や表情の1つ1つに反応している自身との対比に、さらに恥ずかしさが増し、名前は「ずるい」と内心で呟いた。
自分だけあたふたしている不公平感と照れくささが混ざり心がなんとも騒がしい。


そんなふわふわざわざわとした気持ちも時間が経つとともに落ち着き、ようやく町の説明が頭に入ってきた。
野菜などが売られていた市を越えた先、並び立つ店の説明をしている土井の声に耳を傾ける。
笠売りに麹売りは、そのままの言葉通り。
笠売りの店先には、山型の立山笠、真ん中が盛り上がった市女笠など多数の笠が並んでいる。漬物や味噌に使う麹を売る店の前に商品などは何もないが、甘酒ののぼり旗が立てられていた。
名前はその麹売りの奥にある店が気になった。のれんに書かれた『薫物』の字。字のごとく店先から良い匂いが薫ってくる。
名前は疑問を投げ掛けた。

「土井先生、隣はなんのお店なんですか?」
たきもの売りだね。練香や香木を売っている店だよ」

見てみるかいという土井の誘いに頷き、店内に入った名前は驚いた。
現代にあるお香のようなカラフルなものを想像していたのだが、予想と違い机に並んでいたのは小さな木片とビー玉ほどの大きさの黒い玉。
しかし、地味な見た目とは裏腹に、風に乗って届いた香りは花のように芳しいものだった。

「いい匂い」

名前が声をあげると、恰幅のよい女店主が嬉しそうに相槌を打った。

「だろう!それは梅花ばいかの香だよ。練香は暖かくなる今からの時期が一番よく香るんだ」

季節によって旬の匂いがあり都度調合を変えているのだと語る店主に、名前は声を上げた。

「梅花の他にはどんな匂いがあるんですか?」
「有名なのは6つ。春はその梅花。夏は蓮の香りを模した荷葉かよう、秋は侍従じじゅう、冬は菊花や落葉、黒方くろぼうさ。まあ、作り手の匙加減で変わるから基準はあって無いようなものだけどね」
「じゃあ、梅花の香りでもそれぞれ違うんですね」

興味深そうに練香を眺める名前を土井は少し後ろから見守った。
残念ながら己はこういうものにてんで疎い。
するとそんな土井を一瞥するや、店主はにこにこと愛想の良い笑みを浮かべ耳打ちした。

「可愛らしいお相手さんだねぇ。あの子には梅花でもこの白梅の匂いが似合いだと思うよ」

1つ買っていきなよという売り言葉。なんとも商売上手だと店主に感服しつつ、土井は銭を手に取った。
残念ながら彼女とは恋仲ではないのだが、そんな内情など店主にとってはどうでもいい話である。同じく商売上手なきり丸の言葉を借りるなら「売って儲けにさえなればいい!」だろう。
毎度ありという言葉と共に渡された小さな巾着を土井はこそりと懐へとしまった。


また来ておくれよと手を振る店主に別れを告げ、2人は再び町中へと足を進めた。
土井の説明を聞きながらしばらく歩くと、店が疎らになってきた。町の終いだ。

「大きい町ですね!想像していたよりもお店もたくさんあって驚きました」
「そうだね、宿場町の中では大きい方かもしれないな」

ここは2つの大きな城下町の間にある町。規模としてはこれでも中程度だ。
城下町はここよりも大きく栄え、鍛冶屋などここには無い店もあるという土井の言葉に名前は目を輝かせた。

「城下町!見てみたいです」
「機会はあると思うよ。その時はまた一緒に行こうか」
「ぜひ!」

楽しみですと笑みを浮かべる名前に、土井は目尻を緩めた。
さてと、と土井は空を見上げた。太陽もだいぶ傾いてきた。
そろそろ戻らないと日が暮れてしまう。
乱太郎らと合流するべく町中へと戻る道中、土井は名前へと問いかけた。

「名字さん、事務員の仕事はどうだい?」
「まだ数回ですけど、楽しいです!
吉野先生にも小松田さんにも、とても良くしていただいて」

少し前から始まった事務員業務。
食堂の手伝いと兼業のため、小松田のように常時というわけではなく、その日の仕事具合など食堂のおばちゃんと吉野の相談の上、名前は仕事を割り振られている。
近頃忙しく読本会が出来ていなかったためにゆっくりと聞く機会がなく、どうなのだろうかと土井は気にかかっていた。

「そうか、それは良かった」
「とは言っても、吉野先生が整理した書類を先生方に運ぶとか簡単なことしかまだ出来てないんですけどね」
「いや、立派な仕事だよ」

そう十分過ぎるほどに立派な仕事。
その簡単なことが出来るだけで、吉野がどれだけ救われているか名前は知らないのだ。
おっちょこちょい小松田の書類ぶちまけ騒動はもはや通常運転。持ち前の愛嬌のよさと侵入者感知能力が群を抜いて高いため、吉野はぶちまけには目をつむり、諦めていた。
そのため吉野は“ぶちまけられない”という通常ならば当たり前のことを大変喜んでいる。
他の仕事も早く覚えて頑張りたいと言う名前に、土井は笑みを浮かべると懐へと手を伸ばした。

「名字さん、掌を見せてくれるかい」

名前は首を傾げながらも素直に掌をさし出した。
どうしたのかと思っていると、乗せられたのは薄桃色の小さな巾着。
そこからふわりと届いた香りに名前は目を丸くした。

「これ、さっきのお店の」
「香り袋として持ち歩くもいいし、部屋に置いて楽しむのもいいそうだよ」
「頂いていいんですか?」
「もちろん。貰ってくれたほうが私も嬉しい」
「ありがとうございます!気になっていたので嬉しいです」

巾着に鼻を寄せ「この匂い、とても好きです」と嬉しそうに顔を綻ばせる名前に土井は目を細めた。
断られた時のために、泣かせてしまった詫びだとか、障害物競走を頑張った労いだとか本音を混ぜた建前を考えていたが、不要だったことに安堵する。
女性に贈り物するなんて初めてだが、こんなにも心がくすぐったくなるものかと土井は頬をかいた。

─きり丸に感謝しないといけないな

きり丸の突飛な気遣いに、困ったと思ったのは最初だけ。なんとも良い時間だった。
だが、その穏やかな一時はもうおしまい。行きと同じく、賑やかな帰路となるのだろう。
遠くに見えた3人組の姿を土井は指差して、名前に伝えた。

「乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくん!」

3人に向かい歩みを進めた名前から届いた白梅の香りが、土井の鼻腔をくすぐった。
春の訪れのような甘い香りは、確かに彼女によく似合っている。

「「土井先生ー!帰りましょー!」」

名を呼ぶ元気な声。見れば乱きりしんの3人と、名前が朗らかな笑みを浮かべ手を招いている。
本当に、良い休息になった。
陽だまりのようにあたたかな光景に土井は優しく笑った。










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