だが、それらよりも騒がしかしかったのは、ぞろぞろと列をなし、賑やかに長屋の廊下を闊歩する1年は組だ。
「どうする?町に行く?」
「裏山で鬼ごっこはどう?」
「おやつ食べて日向ぼっこしてお昼寝もいいかも!」
補習なし、宿題もなしという貴重な今日をどう過ごすかで話はおおいに盛り上がる。
次々と案があがる中、先頭を歩いていた学級委員長の黒木庄左衛門はある事に気づき声をあげた。
「みんな、ストップ!」
小声で告げられた庄左衛門の急な号令に、戸惑いながらも止まるは組の面々。しかし、突然のことに対応が遅れた後方からは、ごちんごちんと頭がぶつかる音が響いた。
最後尾の兵太夫と三治郎は「よい子は急に止まれないんだぞ!」と非難の声を上げるも、庄左衛門は「しぃ、静かに」と指を口に当てた。
一体何事か。そう思いつつ、は組の皆は庄左衛門に倣って耳をそばだてる。
すると聞こえてきたのは誰かの呼び掛け声。それに真っ先に反応したのは団蔵だった。
聞き覚えのありすぎるその声は、所属する会計委員会の委員長である潮江文次郎のもの。
だが、いつもよりも声に覇気がないように聞こえ、団蔵は首を傾げた。
普段からギンギンに忍者をし、いつも気概に溢れている先輩にしては珍しい。
「なぁ」やら「おい」やら、だんだんと近づいてくる文次郎の声に耳を澄ませながら、は組の皆は様子を伺う。
すると姿を見せたのは、予想通りの文次郎、そして名前だった。
すたすたと歩く名前の後を文次郎が追っている。
は組が気になったのは2人の表情だった。
名前にいつもの笑みはなく、眉間に皺、口はへの字となんとも不機嫌そうだ。
反対に、文次郎は眉根が寄り、困ったような焦ったような表情で、いつもの凛々しい表情とは程遠い。
「待ってくれ」と文次郎が声をかけるも、名前は一切を無視し、止まることはおろか振り向くことさえない。
いつもと違いすぎる様子を目の当たりにしたは組は、「ケンカでもしたのかな?」とひそひそ声で呟き合う。
様子を伺うことしばらく、「あの、名前…」という文次郎の呼び掛けに名前はようやく反応を示した。
しかしだ。
「ごめんね下手くそで」
聞こえてきた言葉はひやりと冷たいものだった。
踵を返し去っていく名前。
そんな名前を追うことなく、立ち尽くす文次郎。
は組の皆は呆然とその様子を見ていた。
あんな名前さん見たことない。
あんな潮江先輩見たことない。
驚きのあまり、しばし固まっていたは組だが、ちらりと互いに視線を合わせた。
─これは一大事だ!
真剣だったり面白げだったりと、さまざまな表情で頷き合ったは組の良い子達はすぐさま方々へと散った。
◇◇◇
自室の机に向かい帳簿を睨み付ける文次郎の眉間には深い深い皺が刻まれていた。
左右で形の違う目の下に居座る隈は普段よりも濃い。鋭い目付きは、見るからに機嫌が悪そうだった。
厳しいやりくりを迫る帳簿の数字に、4徹目による寝不足など要因はあれど、一番の原因は目の前に陣取る小平太と長次だ。
文次郎は鬱陶しげに2人をじとりと睨んだ。
「邪魔するぞ!」と部屋に入ってくるなり、何を言うでもなく視線を注いでくるろ組。
いるだけでも気が散るのに、にやにやとした意味深な視線に余計に気が散る。
普段であれば「なんの用だ?」と問いかけるところだが、文次郎は理由に心当たりがあった。
十中八九、あの件だ。だがそれには触れたくないし、触れられたくもない。
ろ組は無視し、予算組みへと思考を没頭すべく筆を握った文次郎だったが、近づいてくるドタドタという足音が集中を遮った。
「文次郎、名前さん怒らせたんだって!?」
「お前、名前さんに何したんだ!!」
部屋に来るなり大声をあげた伊作と留三郎。
狭い自室に、ろ組、は組と勢揃いである。文次郎は眉間の皺をさらに深めると、苛立たしげに筆を机へと叩きつけた。
「やかましい!暇なのか、お前ら!!」
こぞって部屋に押し寄せてきやがってと文次郎が吠えるも、「そんなことはどうでもいい、早く話せ!」と留三郎も負けじと吠え返した。
留三郎を援護するように、伊作と小平太も「そうだそうだ」と声を上げる。
「外野は黙ってろ!」と言いかけ、文次郎は口を閉ざした。
言ったところで彼らがすんなり聞くはずもないのは長年の付き合いでわかっている。
文次郎は無駄な問答と諦め、文机を部屋の端へと追いやると、小平太、長次、伊作と留三郎らが並び座る前にどかりと腰をおろした。
うずうずと興味津々の同輩らの表情に、文次郎は堪らず苦い顔をした。
名前とのいざこざをなぜ知っているのか。
投げ掛けた疑問に対し、各々の返答は、金吾、きり丸、乱太郎、しんべえから聞いたというものだった。
文次郎は「なるほどな」と溜め息をついた。
一件からまだ半刻ほどしか経っていないのに、同輩達に知れ渡っているのは1年は組のせいかと合点した。
6年どころか学園中にこの話は広まってしまっているに違いない。
恐ろしいほどの拡散力だなと感心している文次郎へと、小平太が急かすように声をあげた。
「で?何をしでかしたんだ、文次郎」
「……俺がやらかした側なのは確定なのかよ」
ぼそりとこぼしたぼやきだったが、それを拾ったのは長次だった。
「違うのか?」という返しに文次郎はぐうと言葉を詰まらせた。
その反応に、やっぱりなと言わんばかりの顔でせっつく同輩たち。
文次郎はぐっと眉間に皺を寄せたばつの悪そうな顔をすると、重い口を開いた。
名前と文次郎のいざこざ。それは昼過ぎに起こった。
「……不味い」
それが文次郎がおむすびに対し抱いた率直な感想だった。
握り方が強すぎたためか、おむすびの米は潰れていて、もはや食感は団子に近い。
味は塩気が足りておらず、なんともぼんやりとしたものだった。
「下手くそだな……」
これなら俺が作ったやつのほうがましだ、などと酷評する文次郎だが、目の前にあったおむすびが消えたことで、はっと我に返った。
予算立てに審議に検証にと、逼迫する委員会仕事をこなすため自室で帳簿に向き合っていたはず。それなのに、何故おむすびを咀嚼しているのか。
消えたおむすびを探し、ぼんやりとしながらも視線をあげた文次郎は、ただならぬ雰囲気を漂わせる名前の姿にひくりと顔を強張らせた。
4徹目で疲弊していた思考と意識がだんだんと輪郭を取り戻し、頭が働きだす。
昼時、名前、おむすびという要素に、文次郎はようやく現状を把握した。
数日前から続いている、名前から差し出されたおむすびを食べるというこの行為。
最初こそ文次郎は抵抗をした。1年ならいざ知らず、この年で食事の介助など恥ずかしくて出来るかと。
だが、「『私が留守の間よろしく頼む』っていう仙蔵くんからの依頼だよ」と言われれば、大人しく従うほかなかった。
「置いておいてもお前は食べないのだろう?ならば無理やり口に突っ込むが最善だ」
呆れたような白い目付きで言葉を吐き捨てた同室に、おむすびを押し込まれたのは数年ほど前。
以降、徹夜をする度におむすびを強制的に食わされてきた。
おむすびを届けるだけでなく口にまで運ぶように、と仙蔵が名前に依頼しただろうことは容易に察せた。
だが昨日までと違うのは、今食べたおむすびが“いつものおばちゃんのおむすび”ではないことだった。
これは誰が握ったおむすびか──。そんなものは考えるまでもなく明白だ。
次いで己が吐き出した言葉を思いだし、文次郎は急速に頭が覚めた。
何か声をかけなければと口を開こうとした文次郎だったが、それよりも早く行動を起こしたのは名前の方。
無言でおむすびを回収し、さっと部屋を出ていってしまったのだ。
慌てて追いかけ、すぐに名前に追い付いたは良かったものの、文次郎の口から出るのは「あの」やら「なぁ」という意味を持たない言葉ばかり。
だんまりのまま足だけが進み、6年長屋から離れ忍たま長屋の終わりにさしかかる。
「待ってくれ」と言えども、名前はなんの反応も示さない。怒っているであろうその背を文次郎はただただ追う。
ひとまず謝らなければ。文次郎は声をあげた。
「あの、名前…」
「ごめんね下手くそで」
振り向いてくれたことにほっとしたのも束の間。
表情無く紡がれた言葉はこれまでにないくらいに冷ややかだった。
───
文次郎から語られた事のあらまし。
静かに聞いていた同輩たちは、ギンギン忍者馬鹿を呆れ顔で見やった。
「……全面的に文次郎に非がある」
「もう、無駄に徹夜するのはやめろっていつも言ってるだろう」
真剣な表情で諌める長次と伊作に、文次郎は項垂れた。
気遣いがなさすぎる。相手が名前であろうが誰であろうが、最悪な応対だ。
徹夜で思考が鈍っていたなぞ言い訳にもならない、という2人からの至極全うな指摘に返す言葉もない。
かたや留三郎と小平太は、にやにやとからかいの表情を浮かべていた。
「ったく、馬鹿文だな。女心が分かってねぇ」
「全くだ!」
三禁馬鹿だから仕方ないと笑う2人に、文次郎は声を荒げた。
「お前らだって分かってねぇだろうが!!」
険しい顔で吠える文次郎に、小平太は快活に笑った。
「私は分かるぞ!妹がいるお兄ちゃんだからな!」
「「妹と一緒にするなよ」」
仲良く声を揃えた文次郎と留三郎に、小平太はいやいやと言葉を返した。
「そんなんだから文次郎も留三郎も色の成績が悪いんだ」
そう豪語する小平太に、文次郎と留三郎は黙り込んだ。
町娘を相手にした実習の成績は、一番が仙蔵。これはわかる、見目振る舞いが良い。いつものことだ。
二番は長次。これもわかる、彼は気遣いのできる男だ。
三番手が小平太。これが本当に解せない。
いつも人を振り回すお前が何故上位組なのか、と不満をもらす文次郎に小平太は胸を張って言った。
「私は妹の扱いには慣れているし優しいぞ。
妹と言えど女だからな。家に帰る度に手伝いやら料理を誉めている!」
下位争いしているお前達とは違う、と笑う小平太に文次郎と留三郎は悔しさを滲ませた。
しかし実績があるため、何も言い返せない。
余談だが、見目振る舞いは問題ないものの、くノ一やら癖の強い女やらを毎度を引き当て実習にすら至らない善法寺伊作は最下位である。
どちらがましかと五十歩百歩の言い合いをする犬猿を、長次は呆れ顔で嗜めた。
「……文次郎、そんなことよりも早く謝るほうが良いんじゃないか」
「確かに。名前は傷ついたに違いないしな」
長次の助言に小平太が賛同した。妹にそんなことを言った日には1日中泣かれてしまうこと確定だ。
小競り合いをしている場合ではないという指摘はその通り。文次郎も重々理解していた。
早く謝らなければならないと分かっているが、名前にかける適切な言葉が浮かばないのだ。
徹夜で明けで頭が働いていなかったなど、言い訳じみた弁明をしたところで意味はない。
無意識だったと言ったところで、ならばあれは本心だったんだなと捉えられる。
何をどう言おうとも傷つけてしまうのだろう。
─どう謝ったらいいんだよ
八方塞がりの状況に、文次郎は困り顔で頭をかいた。