結論から言うと、文次郎と名前は未だ和解に至っていなかった。
拗れたとかではない。では一体何故か。全ては“間の悪さ”と“ドクタケ”のせいである。
一刻も早く謝ってこい。同輩らに背を押され部屋を出た文次郎は、ちょうど長屋を訪ねてきた安藤に声をかけられた。
告げられたのは「不穏な動きをするドクタケを調査してくるように」という任務の要請。そこからは仮眠やら出立の準備等に追われ、謝るどころではなくなってしまったのだ。
幸いにも、ドクタケの不穏な動きは大したものではなく、人員募集のためのビラ配りだった。
しかし、へっぽこなドクタケ忍者隊、有象無象と言えども、数が集まれば脅威となる。
脅威を未然に防ぐのも重要だ。
文次郎、小平太、長次の3人は、あちこちでビラを撒いていたドクタケ忍者隊の制圧、町中に貼られたビラの回収や破棄に尽力した。
任務を無事に終え、今しがた学園へと戻ってきたのである。
学園長への報告を終え、汚れた身体を清めた3人が向かったのは食堂。
名前との仲違い、ドクタケの迷惑活動にと問題が立て続けに起こったことに苛立つ文次郎の為、茶屋にも寄らずに学園へと帰ってきた。
それゆえ腹が減って減って仕方ない。小平太は我慢の限界と駆け足気味に食堂へと飛び込んだ。
「おばちゃん、ただいま!うどんをお願いします!大盛りで!!」
「……同じく、うどんをお願いします」
昼時を過ぎた食堂に生徒の姿は見えず、小平太の大きな声はもちろん、長次の穏やかな声さえもよく響いた。
「みんな、おかえりなさい」
疲れたでしょうと出迎えてくれたおばちゃんの笑みと労いに、学園へと帰って来た実感が湧く。
2人に続き、食堂へ入りくるりと全体を見回した文次郎は、目当ての姿が見当たらないことに小さく肩を落とした。
帰還の勢いそのままに、名前に謝罪をと思ったが叶わないらしい。
食堂の仕事と事務仕事を兼務するようになり食堂にいる時間が減ったんだ、不在ならば仕方ない。
しかしこうもすれ違いが続くものかと、落胆しながら席に着いた文次郎の前にどんと皿が置かれた。
皿の上に鎮座するのは、文次郎の好物であるおむすびだった。
「潮江くんはいつもどおり、おむすびね」
任務明けは必ずおむすびを食べるのが文次郎の定番だ。願掛けや験担ぎの類いとなりつつあり、他のものは食べる気にならないのだ。
おばちゃんによって運ばれたおむすびを文次郎はじっと見つめた。
腹はすこぶる減っている、口も今か今かとおむすびを欲している。それなのに手が伸びない。
おむすびを前にして思い出したのは名前の顔。怒りの中に悲しみを湛えていたような表情が脳裏に蘇った。
─駄目だ。飯よりも先にあいつだ
眉根を寄せ小さく舌打ちをした文次郎は勢いよく立ち上がった。
険しい顔の文次郎と手つかずのおむすびを見やり、向かいに座っていた小平太は首を傾げた。
「食わないのか文次郎?」
「いや、ちょっと野暮用だ」
そう言って食堂を出ようとした文次郎だったが、すぐさま足を止めた。
通せんぼするように、仁王立ちのおばちゃんが立ちはだかったからだ。
「潮江くん、お残しは絶対に許さないわよ?」
「いえ!残すのではなく!……今、頂きます」
ぱしんぱしんと音を立てるしゃもじ。鋭い眼光で、今にも飛ばさんとしゃもじを構えるおばちゃんに圧され、文次郎は席に戻った。
忍術学園で最恐なのではと言われる食堂のおばちゃん。生徒らはもちろん、教師ですら頭があがらない。
特に練り物嫌いな土井半助、らっきょうと葱が苦手な野村雄三も定期的に叱られては追いかけまわされている。侵入者を包丁やら熱湯で撃退したなどという噂もあるほどだ。
そんなおばちゃんを説得するよりも、食べてしまう方が早いと文次郎は即決した。
─さっさと食べて謝りに行かねぇと。
大口でおにぎりを頬張り始めた文次郎を見やり、おばちゃんは満足そうに頷くと炊事場へと戻った。
1つ目のおむすびを食べ終え、文次郎が2つ目のおむすびへと手を伸ばした時、声がかかった。
「ねぇ潮江くん。どう、おむすびは?」
「え?ああ、はい。おいしいですが……」
般若のような表情から一変、普段どおりのにこやかな表情を浮かべるおばちゃんからの問いかけに、文次郎は戸惑い気味に答えた。
形は少し歪だが、味はいつも通り。いい塩加減である。
しかし、これまで味の感想を聞かれたことなどほぼない。それこそ学園に来たばかりの頃、一年生の時以来ではないだろうか。
なぜ急にそんな問いかけをと文次郎が訝しんでいると、おばちゃんは嬉しそうに声をあげた。
「やったわよ!名前ちゃん!」
おばちゃんの言葉に驚き文次郎が視線をあげれば、そこにはおばちゃんと手を合わせ喜ぶ名前の姿があった。
「おいしいって言ったわよ!」
「はい!ばっちり聞こえました!」
きゃっきゃっとはしゃぐ2人。
一体何なんだ。ぱちくりと目を瞬かせ、呆気にとられている文次郎に向け、おばちゃんが告げた。
「そのおむすびね、名前ちゃんが握ったのよ!」
「たくさん練習したのよねぇ」とおばちゃんは名前に笑いかけ、名前は文次郎に向けにんまりと得意気に笑った。
食べた反応を見るため最初から身を隠していたのか。
いや、そんなことよりもと文次郎は声を発した。
「名前、怒ってたんじゃねぇのか」
「……下手くそって言われて、すごく悲しかったし、怒ってたよ」
そう、すごく腹が立っていた。顔を見るのも嫌だと思うほどにだ。
文次郎と別れたあの後、名前は怒り心頭のまま自室へと戻った。
急な用事で出かけることになったおばちゃんに変わって握ったおむすび。
なかなか綺麗な形にならず、見よう見まねで四苦八苦しながら握った。
それを、あんなに、けちょんけちょんに酷評されるとは。
俺が作ったほうが、なんて嫌味たらしく言うことないのにと憤慨しつつ、おむすびをかじった名前だったが、その顔はだんだんと渋いものへと変わった。
率直に言って、おいしくなかった。
食感悪く、味の薄いおむすび2つをなんとか腹へとおさめると、名前は肩を落とした。
自分が握ったものが、こんなにも不味いのかと。
おばちゃんのおむすびは、口に含めばふんわりほろほろとお米がほどけ、とても美味しいのに。
明くる日。ランチの片付けも終えたタイミングで、名前はおばちゃんにおむすびについて問いかけた。
何が悪かったのか。そう尋ねれば、おばちゃんは少し思案し口を開いた。
「そうねぇ、水の付けすぎと、握りすぎかしら」
ふんわり優しく3回くらい握るくらいがいいのよと笑うおばちゃんに、名前はなるほどと頷いた。
確かに倍以上握っていたかもしれない。しかしだ。
「でも、綺麗な三角の形になかなかならなくて」
「わかるわ。私も形を綺麗にしたくて昔は握りすぎちゃったもの。
でもね、ちょっとくらい歪でもいいのよ。
数をこなしていけばだんだん綺麗な形に握れるようになるわよ」
今から練習してみましょうかと笑うおばちゃんに、名前は是非にと頷いた。
おばちゃんと横並びになり、名前は拳大のご飯を手にとった。
3回3回と心の内で唱えながら、出来るだけふわりと握っていく。
出来上がった4つのおむすび。
慣れた手付きで軽やかに握られたおばちゃん作の綺麗な三角が2つ。その隣に名前が作った、三角というよりも丸に近いおむすびが2つ並ぶ。
出来上がったおむすびと味噌汁で、遅めの昼飯だ。
名前は三角もどきの不恰好なおむすびを頬張った。
「……おいしい」
少々握りがあまく崩れやすいものの、昨日のおむすびとは雲泥の差だった。
さすがおばちゃん、的確なアドバイスだ。
次いで、昨日のはおむすびですらなかったのだなと痛感した。
下手くそという言葉が出るのも当然だと、名前は眉を下げた。
「文次郎くんに悪いことしちゃったな」
「潮江くん?」
名前から零れた詫び言。何があったのかと問われ、事の成り行きを話せば、おばちゃんの顔は途端に険しくなった。
「それは名前ちゃんが謝ることないわ」
味どうこうの前に、作って貰ったことに対する感謝が無いのは駄目よ、と怒るとおばちゃんは言葉を続けた。
「名前ちゃん!潮江くんにおいしいって言わせるのよ!見返してやりましょ!」
「こうなったら今から特訓よ!」となにやらスイッチが入ったおばちゃんの熱意に圧され、名前のおむすび量産生活は始まった。
翌昼、ランチが終わると名前はひたすらおむすびを握った。
余ったご飯を全ておむすびにするように、というおばちゃんからの指令だ。
初めこそ丸っこい形のおむすびだったが、「上達の近道は数をこなせすこと」というおばちゃん言葉どおり、回を重ねるごとに徐々に三角形に近づいてきた。
3日間で握ったおむすびは累計100個ほど。それらは全て教師陣の夜食にまわった。
強制的に不恰好おむすびを食べることになってしまった先生方には申し訳ないが、おかげで人前に出せるほどのおむすびになってきた。
おばちゃんの綺麗な三角おむすびにはまだまだ及ばないが、目標だった「おいしい」が聞けた達成感を胸に名前は笑って言った。
「私も酷い態度とってごめんね、文次郎くん。ささ、どうぞ食べて食べて!」
名前から紡がれた謝罪の言葉。あまりにもさらりとしたそれに、文次郎は困ったように頬をかいた。
本来なら自分から謝るべきところが、先を越されてしまったからだ。
名前は素直に謝意を口にする。当然だというように。
すごいことだと文次郎は思った。
どう謝ればと二の足を踏むような己にはなかなか出来ないから余計にだ。
「俺も悪かった」
そんな彼女が相手だからだろう。数日前とは違い、すんなりと出た謝罪の言葉。
文次郎は少し歪なおむすびを頬張るとゆっくりと噛み締めた。
1つ目よりもおいしく感じる。
なんとも単純。自身でも現金なものだなと思うが、悪い気はしない。
もぐもぐと食べ進めていた文次郎だが、穴が空くのではと思うほどの熱視線に堪らなくなった。
笑みを浮かべ眺めてくる温かなそれは、ひどくくすぐったい。
文次郎はぶっきらぼうに声を発した。
「……なんだよ」
「ううん、おいしいそうに食べてもらえて良かったなって」
嬉しさを隠しもしない名前の柔らかな笑みに、文次郎は面食らった。
どうしてこうも素直な感情をさらけ出せるのか。
感心すると同時に、ひどく厄介だなと思った。
さらけ出された気持ち、それ以上を返したくなってしまうのも彼女だからなのだろうか。
文次郎は照れた心を誤魔化すように、顔をそむけて呟いた。
「名前」
「何?文次郎くん」
「うまい。また握ってくれるか?」
「もちろん!」
もっとおいしく握れるようになるねと答える名前に、柔く口に弧をえがく文次郎。
そんな2人の睦まじいやりとりを、生暖かな目で見守るは小平太と長次である。
文次郎と名前の仲違いが解消されたことに安堵したものの、繰り広げられる会話は恋仲など通り越し、長年連れ添った夫婦のようだ。
「なぁ長次、私ら完全に蚊帳の外だな」
「……そうだな」
嬉しそうに笑う名前は可愛い。だが、それを一身に受けるのが文次郎とは、すこぶる面白くない。
小平太はおむすびを両手にむんずと掴むと、そのまま大口を開け放り込んだ。
それに続いたのは長次。小平太と同じように文次郎のおむすびをかっ拐いがぶりとかじりついた。
「名前!うまいぞ!」
「……あぁ、とてもおいしい」
鎮座していたおむすびが消え、空になった皿を目にし文次郎は声を荒げた。
「おい!小平太!長次!俺のおむすびだろうが!!」
「文次郎だけずるい!腹が立った!」
「もそ」
ムッと眉間に皺を寄せ、おむすびを食べる小平太と長次に、文次郎は眉を上げ怪訝な顔をした。
「は?何がだよ?」
お前らはうどん食ってるだろうがと宣う文次郎に、小平太と長次は呆れた。
本気で分かっていないところが、これまた腹立たしい。
「そういうところだ!」
「どういうところだよ?」
「……そういうところだ」
「いや、だからどういうところだよ」
漫才のような問答は、おばちゃんの「早く食べてしまいなさい!」と雷が落ちるまで続いた。