彼らだけが知るおいしい何かがそこにあるのかもしれないな。
そう雀に思いを馳せるほどに、名前は暇をもて余していた。部屋の中をうろうろし、縁側に腰掛け流れる雲も見飽きて、現在は雀。
長閑なせいか時間の経過がかなり緩やかに感じられた。
昨日がいろいろと濃い一日だった為に、余計にだ。医務室から帰った後が一番大変だった。
「誰と、どうなって、どんな怪我をしたのか私にきちんと話してください」
増えた右手の包帯を見た途端、土井の表情が変わった。
怪我の理由を問うその恐ろしさたるや「水汲みと皿洗いによる擦り傷です!」と名前が答えるより早く伊作が吐露してしまったほどだ。
皿洗い?とすっとんきょうな声をあげた土井だったが、名前が経緯を話せば、険しかったその顔はだんだんと青くなっていった。
「名字さんをちゃんと連れていくようあれだけ言い聞かせたのに」と嘆き、しまいには、は組の生徒らが申し訳ないと深く頭まで下げてしまったのだ。
名前はうろたえた。
置いてきぼりは外出していた土井にはどうしようもなく、怪我は自身の非力さが原因である。
大丈夫ですやら謝らないでくださいやら、名前が何度も声をかけるも、責任感の強さゆえか土井はなかなか聞き入れない。
おろおろする名前、項垂れる土井、そして帰る機会を逃し二人のやり取りを傍観する伊作という混沌とした状況は、「いつまでやっとるんだ」と山田伝蔵が呆れて間に入るまで続いたのだ。
そんな昨日とは一変、今日はなにもない。
は組での授業は抜き打ちテストのためなし。食堂のおばちゃんの手伝いを進言するも、土井から右手の怪我を指摘され、「今日はゆっくりしててください」と言われてしまっては、大人しくする他なかった。
しかし、時間潰しの日向ぼっこもそろそろ限界である。
他にやれることはないか、もう一度土井にお願いしてみようと名前が立ち上がろうとした時、声が聞こえた。
「お!いたいた」
手を上げ近づいてくる長身の二人組。
昨日から縁のある深い緑色だが、二人は初めて見る顔だった。
もしかしてと名前は後ろを振り返ったが、人は居なかった。
「あの、私にご用でしょうか?」
「そうだ!私と長次以外は会ったと聞いてな。ずるいから会いに来た!」
名前の問い掛けに、快活な声を返したのは丸い目に凛々しい眉の男─七松小平太だ。
小平太は縁側に座る名前の前へとしゃがみ込むと、じぃと名前の目を見つめた。
穴があくのではと思うほどの熱視線。そらすタイミングを逃し、ぶつかり続ける視線にさすがに名前は恥ずかしさと気まずさを感じる。
すると、隣から「見すぎだ、怯えている」と静かに嗜める声がかかった。
声の主は小平太から長次と呼ばれた顔に傷のある少し強面の男─中在家長次である。
長次の指摘に、目を見ることはやめ、小平太は名前の全体を眺めた。
瞳に戦意はなし、弱く柔そうな身体つき。先日言った「ありえない」の直感は当たりだ。
小平太は満足げに笑った。
「やっぱりな!」
「もそ」
小平太の言葉に同調するように長次が小さく相槌を打った。
名前は、彼らが何に納得したかはわからなかったが、小平太の気が済んだ様子にほっと胸を撫で下ろした。
あれ以上見つめられるのはさすがに耐えられそうもない。
「あの、はじめまして。名字名前です」
「私は七松小平太。そして隣にいるのが中在家長次だ!
ところで、さっきはなんで後ろを向いたんだ?」
「えっと、私が相手じゃないだろうと思ったので、誰か後ろに居るのかなと」
名前の答えに、小平太はぱちくりとドングリ眼を瞬かせた。
振り返らずともすぐ気配を察せる己にはない感覚だ。
名前は気配を探れないと合点した小平太はそうかとだけ返すと、名前の隣へと腰掛けた。
小平太につづき長次も腰を下ろすと、抱いた疑問をぼそりと名前へと投げかけた。
「それで、ここで何を?」
「暇つぶしの日向ぼっこです。何もやることがなくてですね。さすがに暇過ぎるので、土井先生に何か出来ることは無いかもう一回頼んでみようとは思ってるんですけど」
怪我を心配してだろうが、いささか子ども扱いのような気がするのだ。一緒に授業を受けているからなのか、は組の皆と同じような感覚なのかもしれないなと名前は思った。
「でも、名前は手を怪我してるんじゃないのか?しかも右手、利き手だろう?」
手だけでなく腕にも。小袖から覗く包帯を見て、小平太が問い掛けた。
指摘された包帯を見て、名前は苦笑いをこぼした。ミイラ男のような右腕。大怪我をしたように見えてしまっても仕方ない。
「見た目は酷いですが、怪我は本当に大したことないんです。もう痛くもないですし、伊作くんも包帯は明日には外していいと言ってましたし」
そう笑顔で告げるも、なぜか小平太と長次はぎょっと顔をしかめた。
そして重々しい声で言葉を紡いだ。
「名前、伊作が明日と言ったなら明日まではダメだ。包帯は絶対に外すなよ。伊作は普段は温和なんだが、怪我のこととなると鬼のように恐ろしいんだ!」
熱弁する小平太とそれに同意し長次は深く頷く。
名前は伊作がそのようになる想像は出来ず、まさかと呟く。
しょうがないと小平太は経験談を語り始めた。
それは二ヶ月ほど前のこと。腕のヒビの治療後、もう治っただろうと勝手に鍛練を再開させたがそれがまずかった。伊作から強力な痺れ薬盛られ、丸三日動けなくなったと。
──やっぱり熊用の痺れ薬は強力だね。ああ、分かってると思うけど、次勝手に動いたら……ね?
笑顔なのに目が全く笑っていない伊作の表情を思い出し、小平太はげんなりと顔をしかめた。
「だから、今日は何もしない方がいい」
「そうします。ありがとうございます」
続いた長次の真剣な声に名前は即答した。
昨日、仙蔵が言っていた「その類いにめんどくさいの」は伊作のことだったのだと、名前は理解する。
しかし困った。この後の時間をどう過ごそうか。
名前が思案していると、隣にいた長次が立ち上がった。
「図書室に行くのか?」
小平太の問いに、長次は無言で頷く。
すると、小平太とは違う視線に長次は気がついた。
視線の元は名前。興味深そうに目を輝かせている。
行くかと問えば、その目はさらに輝いた。
「ここが図書室だ」
「長次になんでも聞くといい!図書委員会委員長だからな!」
二人の言葉を背にし、名前はずらりと並ぶたくさんの本に目が釘付けになった。
手に取ってみてもいいか尋ねれば、長次から返ってきた了承の相槌。
早速と本を開いて、ああそうかと名前は納得した。
さらさらと書かれた墨文字。図書館独特のあの紙の匂いとはまた少し違うなと感じた要因はこの墨の香りだ。
そしてもう一つ気づいたこと、そちらの方が重要だった。
「中在家さん、これって何年生向けとかありますか?」
「これは6年向けの術書だが」
「……あの、1年生向けの本とか紹介してもらえるととても嬉しいです」
名前は恥を忍んで長次に理由を告げた。連綿と続く文字を読むことが出来ないと。平仮名はかろうじてわかるが、漢字が全くわからなかった。
長次は一瞬目を見開いたが、何を言うでもなく奥へ行くと、1冊の本を持って戻ってきた。
「これならどうだ?」
「あ、竹取物語」
手渡された本の題名を見て名前は驚いた。
それは名前も知っている、現代では『かぐや姫』と呼ばれる童話だ。
名前が未来人など長次が知るはずもないため偶然だが、ひょんなことから歴史の繋がりを感じ、名前はなんだか不思議な感覚になった。
中を見れば、字体は少し崩れているが読むことは出来そうだ。
「大丈夫です。これ借りたいです」
「貸出期間は二週間、無理だったらまた言えばいい」
続いて渡された短冊には、貸本札、名字名前、竹取物語の順番で達筆な文字が並んでいる。
当然のように用意された自分の札。受け取った名前はたまらず顔が綻んだ。
「ありがとうございます。中在家さん」
ぎゅうと大事に本と短冊を抱く名前の姿に、長次も小さく口元を緩めた。
すると、どこかへ行っていたのか、小平太が頃合い良く何かを抱えて帰って来た。
「お!終わったようだな。ちょうど良かった」
腹が減ってなと笑う小平太につられ、名前も自分の空腹感に気づいた。
お昼を食べ損ねたことを嘆いている名前の前に、小平太はずいと包みを差し出した。
「おむすびだ」
「貰っていいんですか?」
「長次と名前の分も貰ってきたからな!」
皆で食べようと小平太は提案したが、所用があるという長次とは別れ、小平太と名前の二人で図書室前の縁側で並びおむすびを頬張ることになった。
具は梅干し。ほろほろと口の中で米がほどける。
おいしさを噛み締める名前の隣では、小平太が大きな口で4つ目のおむすびを口の中へと放り込んでいた。
「七松さん、早いですね」
「ほうか?ふふーはろ」
両頬いっぱいにおむすびを含む小平太の姿。まるでリスかハムスターのようだと名前は笑った。