美鶴ちゃんの指示は素早かった。
「理事長は作戦室へ、岳羽とエリは彼を起こして裏から逃がしてくれ!」
「先輩たちは!?」
「ここでなんとしても食い止める!」
「美鶴ちゃん、私もそっち行く!」
「ダメだ。もしものために彼と岳羽についていてくれ。」
「でも……。」
躊躇って二の足を踏む私に鋭い視線が投げられる。
「こんな時に駄々をこねるな、二人とも早く行け!」
苛立っている真田先輩にまで発破をかけられてしまった。
それでも納得のいかない顔をした私を見かねたのか岳羽先輩に手を取られる。
「……行こ、エリちゃん。」
「あ、はい……。」
残った二人が気がかりでならない。けど、無事に二年生二人を逃したあとじゃないと戻っていっても険しい顔の美鶴ちゃんに追い返されるだけだ。ここはとにかく早く二人を避難させなければ。
雑念を払うように頭を振って、岳羽先輩に続き階段を駆け上った。
「起きて!!」
岳羽先輩が力任せにドアを叩く。返事はない。そりゃそうだ、彼が寝入っていたのをさっき確認したのは私たちだ。
「ゴメン、勝手に入るよ!」
「あ、せんぱ……。」
非常事態ではあるものの異性に対して流石にどうかと止めるまえに強引にドアが破られる。
「物音したから起きちゃったけど……。」
そう呟いて振り返る彼はちょうど今、制服へ着替えたようだ。着替え中に鉢合わせなくてよか……いや、いやいや、たとえ着替え中だったとしてもそれどころじゃないから。だって、命がかかっている。
グイグイ先導する岳羽先輩に、戸惑いつつも彼は従ってくれた。わたしはその後ろを固める。緊張を保ったまま一階の裏口へ辿り着き、ここまでくれば、と安堵した瞬間、またもや通信が入った。今度は美鶴ちゃんからだ。
「岳羽、エリ、聞こえるか?──気をつけろ、こことは別に、本体がいる!」
「マジですか!?」
「えーっ!?」
岳羽先輩と二人して悲鳴をあげると、呼応するように鈍い音が目の前のドアから聞こえた。
初めに一発、それから苛立ったような鈍い音が何度も。ドアは歪み、軋み、いまにも力尽くで破られてしまいそうだ。
「上に行きましょう!!」
二人の腕を引っ張ってきた道を引き返す。いや、逆にまずいかもしれない。もしもシャドウが追ってきたら逃げ場がない。しかし、一瞬の躊躇の間に派手な破壊音が響いた。
ガシャーン!
窓でもぶち割ったのだろうか。これで下に戻ることはできなくなった。これじゃ袋小路のネズミだ。ずりずりと何かが這い寄ってくるような音が聞こえる。逡巡している暇はない。
「登って、先輩!」
二人の背後に回って背中を押した。音の方向からして、敵が来るのは下から。万一に備えて殿をつとめる。
転がり込むように屋上へ飛び出た。岳羽先輩がすかさずロックをかけた。
「ふぅ……。取り敢えず大丈夫かな。」
岳羽先輩は安堵したようだけれど油断できない。力任せに扉を破ろうとしたような奴だ。もしかしたらこの鉄製の扉だって……。
目の前の扉を睨む。少しでもここにぶち当たってみろ、鼻っ柱をぶっ叩いて──。ホルスターから召喚器を抜いて、きつく握りしめたその時。
ミシリ、と背後に響いた、軋んだ音。
バッと振り向けば、視界に入る、大きな……人の手?
いや、不自然なのは大きさだけではない。三本、四本、五本と蜘蛛のように這い上がる、手の群れ。
不気味な腕たちはぬらぬらと、すっかりそのほとんどを屋上に乗り上げると次に見えたのは巨大な面。面を掲げた腕は何かを探すようにポッカリと空いた黒い穴で辺りを見渡し、そして、私たちを見つけた……かのようだった。
次に現れたのはむき出しの刃を携えた三対の腕。
満月を背に、私たちに対峙したのは、見たこともない、超大型のシャドウだ。
緑がかった漆黒の空、丸々と肥えた巨大な月。それらを背負う無機質な殺意の塊。
なんでだろう。一瞬だけ奇妙なデジャヴを感じた。
「痛っ!」
その不思議な感覚にワンテンポ遅れて頭痛を引き起こすほど響いた耳鳴り。なんだって、こんな時に!
「エリちゃん?」
怪訝にかけられた声にハッとする。
額を抑えて俯いた視界の端に、呆然とした様子の二人がちらりと映った。わたしが狼狽えてどうする、二人はシャドウを見ることだって初めてなのに。
しっかりしろ!ここにいる中で戦えるのは私しかいない!
「ペルソナ!!」
歯を食いしばってこめかみを撃ち抜く。後ろから感じるプレッシャー。召喚は成功したようだ。今にも這い寄ってきそうなシャドウと、先輩たちの間に割ってはいる。
さて、どうしようか。精神干渉スキルを使う賭けには出られない。残る手は氷結攻撃。運良く凍結状態になってくれればいいけれど……。
そう思いながら放ったブフ。
しかし、氷の刃は確かに当たったはずなのにそいつは全くダメージを受けていない。まさかペルソナ攻撃を全く無力化されるなんて。生憎、私のペルソナに物理攻撃スキルは備わっていない。
「っ、この!」
「え、ちょっと!?」
無謀は承知でシャドウの前に飛び出した。直接攻撃するなんて想定してなかったから、間に合わせで持ってきていた木刀を振りかぶる。真剣でもない武器で、どれほどダメージを与えられるかはわからない。狙いは一先ず不気味な青い面。あれ、でも思わず顔っぽいから狙っちゃったけど、こいつ、核って一体どこなんだろう?
「危ない!」
馴染みのない声がしたと思ったら脇腹を思い切りブン殴られて吹っ飛ばされた。
「う……ぐっ……!」
息がつまる。臓腑が持ち上がるような浮遊感。次の瞬間、頭からコンクリ床に落ちた。
背中が痛い、足が痛い、頭も痛い。全身が痛い。
頭からぬるりとしたものが流れてきて右目が開けられない。意識が、意識だけがまだ無事だ。
ダメ、立ち上がらなくては。
わたしが倒さなくっちゃ、あれが二人に襲いかかってしまう。
精一杯伸ばした指先にカツンと召喚器の感触。あと少し、もう少し動けばペルソナを呼べる。でも、あれにブフは効かなかった。効果が薄いというわけでもない。完全に無効化している。しかし精神干渉の効果があるとも思えない。やっぱりがむしゃらに打ち込んでこっちに気をむけるしかないか。そのうちに先輩たち二人には逃げてもらえれば。さすがにそろそろ美鶴ちゃん達も救援にくるだろう。
そうしてズタボロの体を起こした時、信じ難い光景を目の当たりにした。
「え……。」
シャドウを前に召喚器を構える少年。つぶやくように微かに動く薄い唇。
「ぺ……ル……ソ……。」
ためらいながらも確かに引き金が引かれた。なんてことだ。こんな土壇場で初めての召喚を成功させるなんて。しかも、竪琴の奏者を従える彼はなんでもないというように堂々としている。
「はー、マジかよ。」
動揺して突っ込んだ役立たずとはえらい違いだ。しかも、意識を保つことすら限界みたいだ。
ズシャ、前のめりに床に倒れる。痛覚も鈍くなっているのか顔面になにかが当たったことしか感じない。
向こうでシャドウの断末魔か、ペルソナの雄叫びか。悍ましい叫びが聞こえる。正体を確かめようにも、もう瞼をあげられない。血の気が引いたらしい。真冬でもないのに凄まじいほどの寒気がする。やっぱ頭をぶつけたのはまずかったかな。
そして、テレビの電源を切るように。意識はブツンとそこで途切れた。