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「この頃はこの山を夜に登る奴はいなかったからなぁ……やっと餌にありつけるぜ」
「え、餌……?」


相手が一歩近づいてくるごとに私も一歩後退る。この緊張感がどうやら向こうは好きらしく、ニタニタ…と気味の悪い笑みを浮かべると「逃げねぇのかぁ?」と、挑発するように言ってきた。逃げたくても足がすくんで走れないんだよ!!と大声で叫び散らしてやりたいがそんな勇気も無く、相手の問いかけに私は答えなかった。私が怖がっているのがそんなに面白いのか、それとも怖がっている人を見るのが性癖なのか。どちらにしても性格のいい人じゃないよこの人。てか何なの人のことを餌呼ばわりして!?完全に私のこと捕食対象として見てるでしょあれは!!!人を食べるとかなにそれ食人鬼かよ!


「……チッ、逃げねぇのかよ。つまんねぇな。さっさと喰っちまうかァ」


そう呟いた相手はグッ…と膝を曲げると勢いよく跳び、私と相手の間にあった十メートル程の距離を一瞬にして縮めてきた。離れていたはずの相手がいきなり十メートルもの大ジャンプをして距離を詰めてくるとは思いもしていなかった私は「きゃあ!!」と、叫んで後ろに倒れこんでしまう。しかし丁度そのとき相手は思い切り私を殴ろうとしていたのか、奇跡的に後ろに倒れこんだことによってその攻撃をまともに受けずにすんだ。だが相手が腕を振りかぶった瞬間にその鋭い爪が右腕を掠っていたようでズキリとした痛みが右腕に走った。傷は浅く、掠り傷のようなものだったがその傷口から血がじわりと滲み出し、ゆっくりと腕を伝っていく。すると先程まで気味の悪い笑みを浮かべていた相手の表情が一変し、歓喜の笑みに変わった。


「お前……『稀血』か……!!」
「ま、まれち……?」


相手はこれは運が良い、ご馳走だ、と心底嬉しそうにしている。『稀血』とは一体何なのか。ご馳走と称している辺り特別な血だったりするのかな……。え、じゃあもう完全に捕食されちゃうじゃん私。まだ一人旅を始めて三日しか経ってないのに早くない!?炭治郎や禰豆子ちゃんにだって会えてないのに!!!それなのにここでコイツに食べられてしまうのかと思うと、なんだか私は無性に苛立ってしまった。第二の人生楽しもうと思った瞬間にでしゃばってくるなよコイツ!!!
恐怖が怒りに変わった途端に、私の体は一気に元気を取り戻した。


「素直に喰われてやらないんだから……!!」
「待ちやがれ稀血!!!!」


山を一気に駆け下りる勢いで私は走った。炭治郎達の家によく遊びに行っていたから山には慣れているし、そのお陰で体力は周りの子よりは多かった。それに私は足の速さにも自信がある。絶対逃げ切ってやる……!凸凹した地面のせいで足が縺れそうになるがここで止まったら終わりだという一心で私は足を止めなかった。
だが私は考えが甘かった。そもそも相手があの十メートルの距離を一瞬で詰めてきた時点でその考えを持つべきだったのに。……相手の身体能力は人間わたしの何倍も上だったのだ。走り始めてものの数分。あっという間に腕を掴まれた私は地面に押し倒されてしまう。恋愛ドラマのように甘いシーンなんかじゃない。むしろ命の危機が迫ったホラー映画なんかのクライマックスだ。どうする、どうやって切り抜ける。そもそも今この拘束から逃れられたとしても逃げ切れるのか。また走っても捕まるだけじゃないのか。
圧倒的力の差を目の前にして、私の理性は『無理だ』と音をあげていた。押さえ込んでくる相手の力も信じられないくらい強く、骨の軋む音がする。目をギラギラとさせた相手が「美味そうだ…」と、私を見下ろす。その奥には綺麗に輝く月が見えている。食べられたくなんかない。死にたくない。まだ、生きていたい。今の私にはまだ『生きる理由』があるから。


「──……絶対死ぬもんかあぁあああ!!!」


こうなったら最後の最後まで足掻いて足掻いて足掻ききってやる。その一心で私はジタバタと一生懸命体を捩った。相手は「暴れるな!!」と、声を荒げてくるが私はそれを完全に無視をしてひたすらに暴れまくる。ブンッと足を思い切り上に振り上げたそのとき、ゴッとその足が相手(男)の股にジャストヒットした。「ん"ッ!!」と唸り声をあげた相手はその痛みのせいか咄嗟に私の手を離してしまう。その隙を見逃さなかった私は勢いよく上体を起こすと自由になった両手で相手の体を思いきり強く押し退けた。相手の体は地面に投げ出されるが、向こうはまだ痛みが引いていないらしく悶絶している。……やっぱり男の急所は人外関係なく股間ソコなんだなぁ。哀れみの目で相手を見ていたら、とある木の影から「ブフゥッ!」と誰かが笑いを堪えきれず吹き出した音が聞こえた。


「誰!?」
「誰だ!!!」


その声に驚いた私と相手(重症)の咄嗟の声が重なる。隠れていた人物は「やっちまった…」と酷く落胆したかのような声でため息をつきながら木の影から現れた。そこにいたのは、恐らく三十代ぐらいの刀を持ったおじさんだった。誰……?と首を傾げた私とは対称的に、私を襲ってきた相手は「お前は……!?」と、怯えた様子でそのおじさんを見ていた。この人達は知り合いかなにかなの?


「お嬢ちゃんがまさかソコを蹴るとは思ってなかったんだがな……。もう少し危なくなった所で助けに入ろうと思ってたが、笑ったからバレちまったな!」


ハハハ!と豪快に笑うその人は存分に笑ったあと、勝手に一人で満足したのか刀を鞘から抜くとその人を怯えた目で見ている相手に刃を向けた。


「ようやく見つけたぜぇ。無駄にお前がかくれんぼが上手かったせいで見つけ出すのに二週間もかかっちまったじゃねぇか。やっぱ現役引退してから七年も経つと体も反応も鈍るなぁ……」
「お前ぇ……お前は……鬼狩おにがりか!?」
「『元』鬼狩りだけどな?」


突如逃げだした相手を横目にその人は何やら構えを取りはじめる。見たことのないその構えに私の視線は釘付けだ。


「藤の呼吸 参ノ型 閃光藤月下せんこうふじげっか


そう言って一瞬で消えたおじさんに、頸をはねられた相手。コンマ数秒の出来事の筈なのに私の脳は目の前で起こったことが理解できなかった。
ただひとつ、頭に残っていること。それはおじさんが一瞬で居なくなった瞬間に藤の花の香りがしたということだけだ。

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