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「な、何だあれ……」
「家が宙に浮いてる……!それに私達より先に山の中に入って行った隊士の人達も……!一体どうなってるの……?」
「俺達どっ、どうしたらいいのかな!?」


その異様な光景に戸惑いを隠せない善逸がガクガクと震えながら控えめに私の羽織を掴む。まるで幼子が親に縋るようなそれに不覚にも可愛いな、なんて場違いなことを思ってしまう。そんな邪念を振り切って再びその惨状に目を向ける。隊士の人達を助けるにはあの蜘蛛の糸を切るしかない。だけど一つ問題がある。あの宙に浮いている家の中に『一体鬼がいる』事だ。恐らく善逸も気づいているだろう。耳がいいから。
隊士の人達は鬼を倒してから助けることになってしまうのだが、糸に吊るされている隊士の中には傍から見てもかなり重症な人もいる。早く降ろして治療してあげたい。
一番良いのは私が鬼と対峙しているときに善逸が隊士の人達を助けてくれることだけど、多分あの人面蜘蛛達が邪魔しに来るだろうから一筋縄ではいかないだろう。なら私と善逸の二人で鬼を倒してからの方が良いのかな。
最善の方法を模索していたそのとき、宙に浮いている家の中からガサガサッと不気味な音がした。ヒッと善逸がか細く悲鳴を上げる。そしてついに鬼がその家の中から姿を現した。
────とても大きな、人面蜘蛛。



「俺!お前みたいなやつとは口きかないからな!!」



気味の悪い鬼の姿を直視してしまったことで善逸がついに限界を迎えてしまった。わあああああ!!と叫びながら善逸は踵を返して来た道を走って戻る。そして地味に置いていかれた私。ちょっと悲しい。
少しずつ遠くなる善逸の背を呆然と見つめていると、鬼はキヒヒッ!と不気味に笑い、離れたところにいる善逸に呼びかける。


「逃げても無駄だ。お前も分かっているんだろう?」
「はあ何がッ!?てか話しかけんなよお前!嫌いなんだよお前みたいなやつ!!」


鬼に呼びかけられ足を止めた善逸に、全く表情を変えず笑みを浮かべる鬼。その二人の間で立ちすくむ私。何だかんだ鬼と喋っちゃってるじゃん善逸……。

「自分の手を見てみろ」
「手……?」

鬼に促されるまま善逸は自分の手を見る。するとたちまち血相を変えて「なにこれ…」と震えた声を出す。


「え……善逸どうしたの?」
「ぁ…納豆ちゃ、」

「毒だよ!!」

離れたところに居る善逸が恐る恐る私に手を見せようとする前に鬼がその答えを告げた。
『毒』
その言葉を聞いた途端に、頭の中が真っ白になった。善逸もポカンと口を開けて鬼を見上げている。私は急いで善逸に駆け寄ると善逸の手を取り、手がどのような状態になっているのかを確認する。


「……これ、噛み跡?」


善逸の手の平は毒が回っているかのように紫色に変色しており、一部分にはまるで生物に噛まれたかのような跡。痛々しい手を見てつい反射的に不安げな表情を浮かべて善逸と顔を見合わせてしまう。それがいけなかった。
ご丁寧に鬼が毒の説明をしてきたせいで善逸はこのままだと自分まであの人面蜘蛛の仲間入りをしてしまうということを理解してしまい顔を絶望の色で染める。
そして善逸は恐怖のあまり木の上へと逃げていくが、その善逸の後を人面蜘蛛達が追いかけて木を登り始めたことで逆に善逸は逃げ場の無い場所に追い詰められてしまった。半狂乱になりながら「少しでいいから一人にさせて!てか俺死ぬなら納豆ちゃんの膝枕で死にたいんですけど!?!?」と意味のわからないことを叫ぶ善逸。こんな事態でも最後まで女の子の事を考えるなんて……よっぽど女の子が好きなんだな。


「おい。そこの女」
「っ、何!?」
「まずはあの男からだ。でもアイツを蜘蛛にしたら次はお前の番だぞ。ヒヒッ!精々震えて待っていろ!」
「そんなの有り得ないから。私が先に貴方の頸を斬る!」
「威勢はいいようだな…。でも良いのか?もうすでにあの男に毒は回り始めているぞ?」


ニタリ、と笑った鬼に生理的な拒否反応が起きたのかゾワゾワッと鳥肌が立つ。そして善逸の方を向くと丁度善逸の髪の毛が抜ける瞬間を目撃してしまう。善逸はショックで固まってしまった。
ああ!大変だ…!早くこの鬼を倒さなければ……!!
刀を鞘から抜き、鬼に飛びかかろうとした。その刹那、善逸を追っていた人面蜘蛛の内半分が私の方へと飛びかかってくる。恐らくそれで善逸のことも刺したのであろう針を掲げて。『駄目だ』と本能が警報を鳴らし、鍛錬の積み重ねによって培った反応速度で人面蜘蛛達を身を翻して避ける。蜘蛛の数が多い。何も考えずに蹴散らせることが出来たら悩むことは無いが、あの鬼の説明によってこの人面蜘蛛達は私たちと同じく鬼殺隊士だということが判明しているので容易に手が出せない。
それならばと足に力を込めて飛び上がり、木の枝を足場にして鬼へと接近していく。これなら人面蜘蛛達に捕まらないし尚且つ鬼に近づける!少なからず『いける』と手応えを感じた私は壱ノ型 八重藤花やえとうかを繰り出そうと構えをとった。……が、

斑毒痰ふどくたん!」

鬼の口から吐き出された液状の毒。私は慌ててその毒を避け、離れた木の枝に着地した。鬼の血気術は毒系統のもの。しかも近くに寄ってきた者に直接噴射できることから何度もそう近づくのは危険行為。下手をしたら毒に当たる可能性もある。つまり早い攻撃で仕留めるしかない。藤の呼吸で言ったら参ノ型の閃光藤月下。でもそれは連続で使うことが出来ないものだ。使うのなら、一回で確実に決めなければならない。
────私には無理だ。
対峙してからようやく、私の使う呼吸とは相性の悪い相手だということに気づく。どうしよう。でもやるしかない。だけどもしも失敗したら……。
あと一歩を踏み出せず悔しげに唇を噛み締める私を嘲笑う鬼。「所詮女はその程度だ」という言葉に返す言葉もない。「女だから」と舐められたくなくて鍛錬してきたはずなのに、こういう時に勇気を出せないようじゃその鍛錬も全て無意味になってしまうのに。炭治郎達と対等になるために頑張ってきたんじゃん!!動いてよ!動けよ私の足……!!怖くても私がやるしかないんだから……!!!
覚悟を決め、再び鬼へと飛びかかろうと足に力を込めたとき『待っていた』と言わんばかりの顔をした鬼と目が合った。
しまった、と思ったときには遅かった。
鬼の血気術である斑毒痰が私の足元の木の枝に向かって放たれる。木は動くことなどできないから当然毒は当たる訳で。私が足場として力を込めていたこともあり、呆気なく枝は折れてしまう。飛び上がるよりも前に折れられたせいで私は折れた枝ごと地面へと落下していく。そしてグギッという音をたてて派手に腕から着地してしまった。両腕に伝わるあまりの痛さに最早呻き声も出ない。はくはく、と口を動かすだけでそこから漏れるのは空気だけ。体も地面に強く打ちつけたせいで上手く力が入らない。
視界の隅に、毒針を掲げながら私へと向かってくる人面蜘蛛達が映る。
痛みに襲われて朦朧とする意識の中思ったことは「あ、もう駄目だな」ということ。やらかした。たった一つの迷いのせいで沢山の約束を破ることになってしまったと罪悪感に襲われる。死にたくないのに。まだ戦いたいのに。刀を持ちたいのに。…………体が、動いてくれないんだ。
嗚呼、嫌だ、嫌だ、死にたくない、まだ、まだ私には、約束が────




「雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃」




目尻から涙がこぼれ落ちた瞬間、

落雷の音と共に、視界が眩い黄色で染まった。

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