16

ほんの少しだけ、という気持ちで縁側へ向かう。もしかしたらしのぶさんがまだ起きているかもしれない。それで「早く寝ないと駄目ですよ」なんて言って貰えたら、それはそれでよく眠れそう。自然と縁側に向かう足取りが軽くなっていく。私はちょっと疲れただけ。少し休めたらまたいつも通りに戻れる筈なんだよ。
この廊下の角を曲がればもうすぐそこには縁側がある。小柄で綺麗な彼女の姿がそこにあることを願いながら、食い気味に曲がり角から顔を出し、縁側を覗いた。だがそこに居たのは綺麗な彼女ではなく、久しぶりに見た眩しい黄色だった。

「……善逸?」

彼の姿を視界に捉えた瞬間、ポロッと口から黄色い彼の名前がこぼれ落ちていた。
善逸は耳が良いからきっと私が近付いてきたことに気付いていただろうけど、私は特に鬼以外の気配を察知できる訳では無いので、背後にいきなり誰かが現れたりしたら死ぬほど驚いてしまう。
自分の名前を呼ばれた善逸はこちらをゆっくりと振り返った。……その目は、閉じている。
善逸と会ったのは約二週間ぶり。こんな事を自分で言うのは気が引けるけど、いつもの善逸なら二週間ぶりに会ったらもっと「納豆ちゃああああん!!!」となるイメージだったのだが、案外そうでも無かったらしい。とても落ち着いている…否、落ち着きすぎている。本当に善逸か?と疑いたくなるような雰囲気。だけど私はこの雰囲気の善逸を一度だけ見たことがある。
──そう、那田蜘蛛山で鬼を倒したときのことだ。
あのときから薄々考えてはいたが、もしかして善逸は二重人格だったりするのだろうか。まるで別人。そして恐らく、この善逸が出てくるのは普段の善逸が眠っている時だけ。じゃあきっとあれだ。最終選別の時とかは、善逸は鬼と対面して恐怖で失神してしまい、それで強い方の善逸が出てきて鬼を倒していたんだろうな。ようやく善逸のカラクリが分かった。でも肝心の本人は自分がこういうことになっているのかは自覚しているのだろうか。


「納豆ちゃん、おかえり」
「うん、ただいま善逸。……どうしたの?こんな時間に外に出て。怪我は治った?」
「怪我は大体治ったよ。外に出たのは、納豆ちゃんの『音』が聞こえてきたから。きっと帰って来たんだなと思ったら、早く会いたくなって起きちゃった」
「そ、そっか……ありがとう…?」


これはお礼を言っておいた方が良いのかな?と、思ったので一応軽く頭を下げておく。善逸は変わらず目を閉じたまま優しく微笑んでいるだけ。…慣れない。炭治郎や伊之助はこの状態の善逸を見たことがあるのかな。どう対応したらいいのかいまいち分からない。少し頭を冷やしに来たつもりだったけど、すっかり頭を使わせられる羽目になってしまった。


「鍛錬は上手くいった?」
「うん。お陰様で。善逸達の方は?」
「……」


特に当たり障りない質問をしたつもりだったのだが、善逸は困ったように眉を吊り下げると「色々あってね…」と言って苦笑した。どうやら何かあったらしい。何があったのかと、問いかけてみると善逸は首を横に振って私から気まずそうに視線を逸らした。


「……炭治郎は頑張ってる。だけど今、俺と伊之助は機能回復訓練から逃げてしまっているんだ。…凄く強い子が居てさ。その子の実力を目の前にして俺は逃げてしまったんだ」
「そ、そう…だったんだ…」


反応がしにくい。今の彼からしたら、普段のうるさい善逸のとった逃げの行動を話さなくてはならないのだから、一人の男としては情けなく思ってしまうんじゃないか。それが例え、もう一人の自分の事だったとしても。その証拠に今の善逸には覇気がない。うーん、でもこればっかりは普段の善逸にやる気になってもらわないとだよなあ。私にはどうとも出来そうにない。


「じゃあ大変なんだね、善逸達は今。でもさ、善逸も伊之助もやればきっと大丈夫だよ…!二人とも強いし、いざと言う時はやる人達だから。だから近い内に善逸も伊之助も自分の弱さと向き合えるようになるよ」
「……そうだね。ありがとう、納豆ちゃん。やっぱり君はよく人を見ている。君のそういう所も君自身の強さの要因なのかもしれない」
「ん…?いや、そんなこと無いと思うけど……」


善逸から言われた言葉には、いまいちピンと来なかった。よく人を見ているのかと聞かれても、それに対して今の私は「別に?」と答えるところだからだ。更にそれが私の強さの要因なんて言葉をプラスされてはもっと分からなくなってしまう。
私はよく分からないかな、と首を傾げる。
そんな私を善逸はどうしてか少し悲しそうな表情で見つめていた。な、なんでそんな顔するのさ。那田蜘蛛山で善逸に八つ当たりしてしまった時の善逸の悲しそうな顔を彷彿とさせてしまうから、そんな顔をしないで欲しかった。


「村田さんから納豆ちゃんは柱の人の屋敷で鍛錬をすることになったと聞いたからてっきり俺は君の強さが認められ、君自身も自分の強さに誇りを持ち始めたからこそ柱の屋敷に鍛錬しに出向いたんだとばかり思っていた。…だけど、それは違うんだね」
「……うん」


なぜだろう。普段の善逸にこういう風に突っ込まれると嫌で仕方が無いのに、今の善逸に突っ込まれるのは平気だった。むしろ相談を聞いてもらっているような気分になって、この善逸は今までの誰よりも話しやすいと思った。


「那田蜘蛛山で君に色々と伝えたかったことがあったんだけどあのときは毒が回って話すことが出来なかったから、今聞いて欲しい」
「…うん、分かった」
「あのときの俺は鬼に怯んで逃げようとしていたけど納豆ちゃんは、怖いと思っていても自分を奮い立たせて鬼に立ち向かって行った。…蜘蛛に刺されていた俺の毒の進行を止めるために、君は動いたんだ。人の為に優しくなれるし、強くなれる。君には人を守れる力があるんだよ」
「でも結局、私は鬼に敵わなくて善逸に助けてもらうことになっちゃった。……あのときの私は駄目だったんだよ」
「納豆ちゃん、君は自分を過小評価し過ぎている。確かに自分が鬼に敵わないという場面はいつか来る。だけどそういう時にこそ人は人と協力し合って立ち向かわないといけないんじゃないか?足りない部分を補うために仲間俺達がいる。そしてあのときの君は、前線を切る事に戸惑いがなかった。それは凄いことなんじゃないのか?」
「……そう…かな?」
「あぁ、そうだよ。それもまた君の心の一部であり、強さだ。君はもっと誇って良い。だって俺はそんな君だからこそ……初めて会った時から君の背中を今まで追い続けてきたんだ」
「!」


思い返せば、私と善逸が初めて会ったときも善逸は鬼に襲われていた。それを私が……助けたんだ。
それを思い出したとき、ドキッ、と胸が一際強く鼓動した。


「だからどうか、そんな悲しいことは言わないでよ…納豆ちゃん」


そう言って私を見た善逸は、閉じられていた瞼がうっすらと開かれていた。






──ピキッ、とどこからか音がして、まるでその音は今まで築かれた物にヒビが入ったかのような音だった。

TOP