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善逸と伊之助が常中を修得したのは鍛錬を始めてから九日間経った日のことだった。その間、炭治郎は二人に着いて応援したり一緒に体を鍛えたりしていたのだが、一方私はと言うとこれまたしのぶさんの勧めでカナヲちゃんと薬湯ぶっかけ反射訓練と全身訓練の鬼ごっこで対決することに。
初めてカナヲちゃんと一体一で対面した時、可愛らしい笑顔を浮かべるカナヲちゃんに「私、納豆って言います。よろしくね!」と私も精一杯の笑顔を浮かべ、手を差し出して握手を求めたのだが、カナヲちゃんは何も言わず手を握り返してくれることも無く、ただニコニコと私に向かって微笑むだけだった。そんなカナヲちゃんにしどろもどろしつつ訓練が始まった訳なのだが、カナヲちゃんが強すぎるのなんのって。
カナヲちゃんとの初めて薬湯ぶっかけ訓練では10戦行った中で、私はたったの2勝しか出来なかった。鬼ごっこでは10戦中、私が3勝でカナヲちゃんが7勝。あまりの強さにどうして善逸と伊之助の心が折れたのかよく分かった気がした。このままでは一生勝てないと思った私は翌日から午前中は炭治郎達に混ざって体を鍛え、午後はひたすらカナヲちゃんと訓練をして九日間の時を過ごした。
そして結果として言うと、薬湯ぶっかけ訓練ではお互い5勝5敗の引き分けまで持っていき、鬼ごっこの訓練では私の6勝4敗という、九日間という日をかけてようやく勝ち星を上げることができた。
一応皆さん気になってると思うから言うけど私は薬湯をカナヲちゃんの顔にぶっかけたりしていないからね。炭治郎方式で頬に湯呑みを押し付けていきました。そのときのカナヲちゃんはとてもキョトンとした表情だったけど、何だかんだカナヲちゃんも私に薬湯をぶっかけことはせず、湯呑みを揺らしてほんの少しだけ薬湯を私の頬にピチャッと掛けてくるだけにしてくれたんです。……うん、お互い炭治郎に感化されたってことにしようね。
最初こそ私はカナヲちゃんの様子に戸惑っていたけど九日間も一緒に居たら、すっかり慣れてしまい気付いたら私はカナヲちゃんが全く反応していないのに、一方的に私がカナヲちゃんに話しかけているという絵面が完成していた。
その他にも、私とカナヲちゃんの対決をずっと傍で「頑張れー!」と応援し続けてくれていたなほちゃん、きよちゃん、すみちゃんとも話すようになり、今ではすっかり三時のおやつ時に皆で美味しいお茶を飲みながら饅頭を食べる仲にまで進展。勿論、カナヲちゃんもアオイさんも一緒です。訓練の後に付き合ってくれたお礼と称して洗濯物だったり家事だったりとお手伝いをしていたら、本当たまーにだけど私に小さく笑いかけてくれるようになった。マジで嬉しい。炭治郎達と一緒にいるのはすごく楽しいけど皆男だから女一人で少し寂しいなと思うこともあったから、こうして女の子とわちゃわちゃできてとても幸せ。まるでお友達が出来たみたいだ。
そんな幸せな時間を過ごしていたら常中を修得したという二人がボロボロになって帰ってきて、その後ろでは炭治郎がとても嬉しそうに笑っている。「おめでとう!」とボロボロの二人に言うと、伊之助は「あったりめぇだろ!!」と胸を張り、善逸は「俺は誰よりも応援された男だからネ!」と別の意味で誇らしげだった。そのあと、炭治郎に「お疲れ様」と言ってこっそりとっておいたその日のおやつ時に出された饅頭を渡したら炭治郎は目を細めながら嬉しそうに笑って「ありがとう、納豆」と言って私の頭に優しく手を置いた。その手は、前よりも遥かに男らしい手になっていて、思わずドギマギしてしまったのは炭治郎に秘密である。……もしかしたら匂いでバレちゃうかもだけどね。

────そして今、私と炭治郎は共に屋根の上で並んで座っている。


「あ!納豆、今日は満月だぞ!綺麗だなあ…」
「本当だ……。当たり前だけど凄く丸いね…」


これは夜遊びとかそういう事ではなくて、炭治郎から「瞑想すると集中力が上がるから今夜一緒にやってみないか?」と、誘われたので今こうして屋根の上に一緒に居る。かれこれ一時間半程瞑想をして、今は炭治郎とお喋り中。瞑想していたから気づかなかったけど今日はとても綺麗な満月。なんだかとてもドラマチックな状況だ。
屋根に座る時、炭治郎と人一人分の距離を空けて座ろうとしたら「あんまりそっちに行くと屋根から落ちるかもしれない!だからもっとこっちに寄るんだ!」と鬼気迫る表情で言われたので、そんな大袈裟な…と思いつつも私は炭治郎のすぐ隣に座った。うーん…本当にどうしちゃったんだろう。ついこの間まではこんな距離感別に平気だったのに、今は凄く緊張する。思えば今日の昼間、炭治郎の手が頭に乗せられてから私はどこか変だ。瞑想中も炭治郎との距離感が気になりすぎていまいち集中できなかったし…。
──……私は一般的にこのような感情が人にどう呼ばれているかを知っている。
でも私はそれをちゃんと言葉にしたくない。今、言葉にしてしまったら本当にそうなってしまいそうだから。
確かに幼い頃、私は炭治郎に似たような感情を抱いたことがあった。でもそのときは……炭治郎の家族が鬼に襲われた事件もあって、肝心の炭治郎とは二年間も離れ離れになってしまったし、師範からの厳しすぎる鍛錬があったからいつの間にかその気持ちは薄れて消えていた。それがどうして、今になって……。
言えない。こんなこと。言葉になんてできない。そもそも本当にこの気持ちが『そういうモノ』なのかすら確信がないのだから、下手に動けない。
……どうしてだろう。なんだかとても、胸が苦しいなぁ。
蜜璃さんのよく言っている「キュン」なんて可愛らしく甘い痛みじゃない。もっと苦しくて逃げたくて泣きたくなるような、重い痛み。


「なあ、納豆」
「なっ…なに?」
「善逸と伊之助に話したんだってな。前世のこと。善逸から聞いたよ」
「あ……うん。確かに話したよ、二人に。実は、私が蝶屋敷に来た日の夜に偶然善逸と──」
「知ってるよ。善逸と会って、話したんだろ? ……丁度、見てたから」
「え…」


私と善逸の会話を見ていた?つまり、話を聞いていた?それはどのから?そしていつから?炭治郎の気配に全く気が付かなかった。善逸は気が付いていた……?何も分からない。
炭治郎は少しだけ俯いており、その表情は小さく微笑んでいるのだが、どこか暗さを感じさせる。まるで落ちこんでいるみたいに。
そんな炭治郎になんという言葉を掛けてあげれば良いのか分からず、何の音も発さずに私の口がパクパクと動くだけ。


「……納豆が自分に引け目を感じていたのは何となく分かっていた。でもそれに突っ込んでく勇気が無くて、どうしようと戸惑っていたら善逸に先を越されてしまっていた。…ごめんな。酷いよな。納豆が悩んでいる事に気が付いていたのに」
「そんな、炭治郎は悪くないよ!!私がクヨクヨしすぎてただけだし…それにもう私立ち直ったし!」
「納豆は優しいから。だからきっと俺にそう言ってくれるって分かってた。でも違うんだ。納豆が良くても俺は良くない。俺はずっと近くにいたのに何も出来なかった。……納豆には、まだ少し難しい話かもしれないけどな!」


パッと顔を上げて私に向かって笑った炭治郎は、完全には笑いきれていなかった。
『私にはまだ難しい話』ってなんだろう。確かに炭治郎が何の話をしているのか分からない。でも炭治郎が悩んで、後悔していることだけは分かる。だったら私はなんとかしてあげなくちゃいけない。
炭治郎は大切な仲間だし、なにより私が鬼殺隊に入隊するよりも前から知り合いの大好きでかけがえの無い友達だから。
私が今の炭治郎に投げかけてあげられる言葉はない。だけどそれでも私は炭治郎を頼りにしているんだよってことを分かって欲しい。その気持ちが、炭治郎に伝わって欲しい。
だから私はここ二週間ほどずっと悩んでいた事に今ここで、決断を下すことにした。


「炭治郎」
「ん、なんだ?」


あぁ、心臓がうるさい。
たった一つの勇気を出そうとするだけでこんなにも怖いと思ってしまう。
でも良いや。これで炭治郎が少しでも立ち直ってくれるのなら、私はこうしたい。


「次の任務が終わったら、私と一緒に私の両親に会いに行ってくれませんか」


それは、藤の家紋の家で炭治郎が私に持ち掛けてきた話だった。
私の言葉を聞いて、炭治郎の目が見開かれる。その目には「驚愕」の色が浮かび上がっている。そりゃそうだ。あんなに悩んでいた私がこんな時に決断を下してきたんだから。
炭治郎はパチパチ、と数回瞬きをすると体ごと私の方を向いて口を開く。


「……平気なのか? そんなに急いで決めなくても…」


もう一度よく考えて…、と遠回しに伝えてこようとしてくる炭治郎に私は笑いかける。
……私は那田蜘蛛山で自分がいつ死んでしまうか分からないということを再認識させられてしまった。だから、やれることはやっておきたいと思ったんだ。
「…だから、お願いします」
それに炭治郎が一緒に居てくれるのなら、私は全然大丈夫だから。


と、私が伝えたときの炭治郎は一瞬泣きだしそうに目を潤ませると、すぐに顔を隠すかのように私に背を向けた。


「…うん。俺で良ければ」


炭治郎はそう答えたあと、私に背を向けた状態で、私の手の上に優しく自分の手を重ねた。
そのまま、きゅっと握られた手がとても熱くて、炭治郎の温かさに私まで泣きそうになってしまった。

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