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上弦の参。それを倒す事こそが私が鬼殺隊で生きる意味。あの日、最終選別を終えた日に師範と約束した。師範が倒したがっていた仇が目の前にいて、そして私に前を向かせてくれた人を傷付けた。私の怒りが頂上に達するのは容易い事だった。
このまま逃がすなんて出来ない。向こうはそのまま逃げてさよならなんてさせたくない。
そう思ったとき、自然と体は動いていた。右手に持っていた刀を助走をつけて思い切り投擲する。上弦の参に向かって飛んでいく私の刀を追うように、炭治郎の刀も投げられていた。ザクッ、ザクッ、と二つの音をたてて上弦の参に突き刺さる刀。
私の刀は頭に、炭治郎の刀は心臓部分に。どちらも人間相手にやっていれば確実に命を奪っている部位。そのくらい私達には殺意が湧いていたんだ。
そして、湧き上がる怒りの感情のままに私は叫ぶ。
「逃げんなクソ野郎!!」
「逃げるな卑怯者!!」
炭治郎と声が重なった。普段こんなに大きな声を出さないから、喉がじくりと痛むが構っていられない。とにかく今はこの苛立ちと、自分の不甲斐なさを全て叫んで、アイツにぶつけて、スッキリしたかった。……スッキリなんて出来るわけないのに。
「師範の大切な人を奪ってッ、煉獄さんまで傷付けたお前をッ! 絶対に許さない!!」
ーー“必ずお前の頸を斬る”
そう言いたかった言葉は、喉の痛みによって言葉にされることは無かった。ゴホッゴホッ、と激しく咳き込む。私が言葉を止めた後、次に叫んだのは炭治郎だった。
いつも優しくて、その眼は暖かさが滲み出ているのに、そのときだけは炭治郎の眼には怒りの感情しかなく、ここまで感情を露わにする炭治郎を私は初めて見た。私の知っている炭治郎はいつも笑ってて、だけどたまに怒るけどそれはいつも誰かの為で。だからこんなに激情に駆られる炭治郎を私は知らない。「馬鹿野郎! 馬鹿野郎! 卑怯者!!」と、炭治郎が叫んでいる。その姿に私は酷く泣きたくなった。さっきまでの怒りの感情が空気の抜けた風船のように萎んでいく。……あぁ、終わってしまったのだと、分かってしまった。私たちは逃がしてしまった。上弦の参を。師範の大切な人を奪い、煉獄さんを傷つけた、憎い鬼を。なんで、なんで私はこんなに……弱いんだろう……。強くなれたなんて幻想だった。全てまやかしで、私はまだまだ弱すぎて、守りたいと思った者でさえ守れない未熟者ーー。
膝から力が抜けていき、地面にペタリと座り込んでしまう。だけど炭治郎は未だに逃げ続ける上弦の参に向かって叫んでいた。
「お前なんかより煉獄さんの方がずっと凄いんだ!! 強いんだ!! 煉獄さんは負けてない! 誰も死なせなかった!」
「戦い抜いた! 守り抜いた! お前の負けだ!
ーー煉獄さんの、勝ちだ……!!」
「うああああああああ……ッ!!!!」
叫んで、叫んで、叫びまくったあと、炭治郎も地面に座り込んで「ううっ…」と嗚咽を漏らしはじめる。そんな炭治郎を何の言葉も掛けられずに見守ることしかできなかった私の目にも、いつのまに涙がたまっていた。そのことに気づいたとき、私はパチパチと瞬きをして涙を零す。
ーーわたしだって、私だって、煉獄さんみたく、守りたかった。守り抜きたかった。
もう、大好きな人がいなくなる所なんてみたくないのに。
自分の無力さに打ちひしがれる。気づけば私も「ひっく、ぐすっ、」と嗚咽と涙をボロボロと零しはじめていて、自覚してしまえばしまうほど胸の中の悲しさがその存在感を主張してくる。
そんなとき、優しくてとても暖かい声が私達を呼んだ。
「もうそんなに叫ぶんじゃない。こっちへおいで。最後に少し、話をしよう」
最後だなんて、言わないで。
そう言いたかったけれども、煉獄さんの腹に突き刺さったままの鬼の腕を見ると、そんな安い言葉なんて到底口に出すことはできなかった。だから私にできることと言ったら煉獄さんが言ったように彼の元に行くことだけで、炭治郎と共に煉獄さんの目の前まで移動して地面に座りこむ。
煉獄さんは炭治郎に煉獄家に行けばヒノカミ神楽について分かるかもしれないということと、自身の弟、そして父親への遺言を私たちに託す。
……あぁ、いやだ。
ーー朝日が、登る。煉獄さんのお腹に突き刺さっていた腕が陽の光を浴びてボロボロと灰になっていく。最早煉獄さんの腹の血を止めるものはない。煉獄さんの“終わり”がすぐそこまで迫っていることを痛感させられる。
私の頬に、また一筋の涙が伝った。
「神崎少女、俺はもっと君に沢山の事を教えたかった。……いや、教えるつもりだった。だがそれももう出来そうにない」
「そんな、こと……」
「だが、これだけは死ぬ前に君に伝えておかなければならない。以前、甘露寺の屋敷で君に稽古をつけたとき、今の君に足りないものを幾つか教えたな。それらは君をさらに強くする、大事な事だ。だが、それよりももっと大事なことを教えよう」
「力よりも、大事なこと……ですか?」
「あぁ、そうだ。確かに強者と戦う為には力をつけなくてはならない。しかし、いくら鍛えたとしても自分の心に負けてしまえば全てが水の泡になる。己の弱き心に討ち勝ち、誰よりも強くなるんだ、神崎少女。それが俺が君に教える最後のことだ!」
「ぅ、うぅっ……! はい゙…ッ!! 」
もう、堪えることなんてできなくて。「うわああん!」と、泣き叫ぶ私の頭を撫でて、煉獄さんは困ったように笑う。
「そんなに泣かないでくれ……俺は、君達に出会えて本当に良かった」
その言葉を聞いて炭治郎も再びその目に涙をためる。
「竈門少年、俺は君の妹を信じる。鬼殺隊の一員として認める。汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た。命をかけて鬼と戦い、人を守る者は誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ。
ーーーー胸を張って生きろ。
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。歯を食いしばって前を向け。君が足を止めても、蹲っても、時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って悲しんではくれない」
「……俺がここで死ぬことは気にするな。柱ならば、後輩の盾となるのは当然だ。柱ならば、誰であっても同じことをする。若い芽は摘ませない」
じわじわ、と煉獄さんの血が地面に広がっていく。
「竈門少年
猪頭少年
黄色い少年
神崎少女」
「もっともっと成長しろ。そして、今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ。
俺は信じる。君たちを信じる」
そこまで言い切った煉獄さんは私達ではなくどこか別の場所を見て、ーーーー笑った。