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炭治郎が目覚めた後、煉獄家に行くということは予想していた。だから私は、炭治郎がベッドから消えた日の朝、いつものように隊服に着替えると、炭治郎のように善逸達に何も言わず蝶屋敷を出た。そして目的地まで走りで向かう。
そういえば先日、あの一件で上弦の参ーー“猗窩座”の脳天に刀をぶん投げてしまった私は、自分の刀が手元になくなってしまった。しかし私の鴉は非常に優秀で、その日の内にどこかに飛んで行ったかと思うと別の鴉にその事を伝えたらしく、バケツリレー方式で次から次へとそれが繋げられていき、最終的に刀鍛冶の里にいる鋼鐵塚さんに伝えられた。そしてその二日後、包丁を構えた鋼鐵塚さんに追いかけ回される羽目になったのだが、こうして早い内に刀を入手することが出来たのだ。
多分、炭治郎も目が覚めたということは数日の間に私と同じ目に合うだろう。……いや、もっと酷いかもしれない。炭治郎は那田蜘蛛山の任務の時も刀を折って鋼鐵塚さんにドヤされていたから……。南無阿弥陀仏……。あ、これじゃ悲鳴嶼さんになっちゃう。
拓けていた道を走り終え、山道に入る。
……数年前まではこの山を駆けずり回るのが当たり前だったのに。最終選別を終えてから一度もこの山に戻って来ていなかった。ついに猗窩座と出会ったこと、そして無限列車で鬼に見せられた夢について。私はあの人に全てを……“真実”を聞かなくてはならない。
時刻は昼頃を回った所だろうか。私は自身が剣士として育てられた山ーー即ち、師範の家の前に、立っていた。
「ーー……おぉ、随分見ねぇ内に強くなったみたいだな」
「お久しぶりです、師範」
私の気配を感じて家の中から出てきた師範は、別れた時から何一つとして変わらない顔で笑った。
師範から手渡された湯呑みに入っているお茶を見つめる。ちゃぷ、ちゃぷん。お茶の水面が揺れている。お茶菓子を引っ張り出してきた師範が「よいしょ」と言いながら目の前に座った。出されたお茶菓子は以前食べた時に私が美味しいと言った、お饅頭とお煎餅だ。もしかして私がいつ帰ってきても出せるように用意しておいてくれたのだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。だとしたら嬉しい。
普段の私ならこれらを茶化すように師範に言葉をかけていただろう。でも今日はそんなことを話に来たわけじゃない。私はもっと重要で、知らなければならないことを聞きに来たんだ。師範はお茶を一口啜ると、オジサンのように「あぁ〜……」と声を漏らす。
「で、何の連絡も無しにいきなり帰ってきてどうしたんだ?」
「…………私が何を聞きたいのか、他でもない師範が一番よく分かっているのでは?」
「……参ったな」
師範はガシガシと後頭部を掻く。それは自分に都合の悪い時によく師範がやっていた癖。
「先日、とある任務に行ってきました。そこで鬼の血鬼術にかかり、私はとある夢を見みさせられました。絶対に起こりえない事を、その夢は見させてくれたんです。その中で私の母ーーいえ、“前世の”母親が『そろそろお父さんが帰ってる』と言ったんです」
「……」
ここまで言っても、師範は何か言おうとはしてくれない。やはり私の口から真実を言うしか無いのだ。
「私、全然気づきませんでした。……ううん、気づけるわけなかった……。
なんで今まで何も言ってくれなかったの?
ーーーー……“お父さん”」
私の言葉に師範……否、“お父さん”は深く、深く、ため息をつく。それは、諦めにも似たため息だった。
あの日、私は幸せな夢を見させられた。魘夢の血鬼術によって。このまま夢の中で過ごしていたいと思ってしまった私を叱り、現実世界へと引き戻してくれたのは、私の前世の唯一の未練であるお母さん。
……夢の終わり際でお母さんは言った。「お父さんが帰ってくる」と。霞む視界の中、誰かがリビングへと繋がる扉を開けて、私を見ながら言ったのだ。
『ずっとそばにいるって言っただろ?』
ーーと。
私が夢の中で最後に見たのは、困ったように、だけどどこか嬉しそうに、懐かしそうに笑う、“師範”の顔だった。
「前世で私が小学校を卒業した時、お母さんが一度だけ見せてくれた物があるの。私が物心つく前に亡くなったお父さんが高校時代から密かに書き続けてた日記だよ」
「は……!?」
やっと、お父さんが反応してくれた。この話題なら絶対に反応してくれると思ってた。だってその日記にはお父さんのお母さんや自分の娘に対する愛がこれでもかと言うほどに沢山綴られていたから。今でも鮮明に覚えてる。
お父さんとお母さんが出会った時の出来事も、お母さんのお腹の中に私ができた時の事も、私が生まれた時の事も。全部、全部、お父さんがしっかりと日記に書いててくれたお陰で。
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〇月〇日 晴れ
妻が妊娠していることが分かった。本当に嬉しくて、話を聞いた瞬間に思わず泣いてしまった。そうしたら妻が腹が捩れるほど笑っていた。そんなに笑わなくてもいいだろ。
でも子供が生まれたらたくさん遊んで、今日の妻のようにたくさん笑わせてあげたい。
△月△日 くもり
子供の性別が分かった。女の子らしい。
俺にも世の中のパパさんみたく、嫁に出したくないとか思う日が来るんだろうか。
…実はもう既に想像するだけで嫌だと思ってしまう自分がいる。
✕月✕日 雨
妻が「立派な母親になれる自信がない」と泣いた。そんな妻を見て、俺も少し不安になってしまった。情けない。
妻が不安だと言うなら、俺が支えないと。それで二人で生まれてくる子供を笑って迎えるんだ。
□月□日 晴れ
ついに今日、娘が生まれた。名前は納豆。産んだ後に妻が名付けたものだ。
俺は一人っ子だったから赤ちゃんを抱っこするのは初めてだった。本当に、可愛い。笑った時の顔が特に可愛い。本当に。俺はまた泣いてしまったけど、今日ばかりは妻も泣いていた。これからも妻のことも、納豆のことも、俺が守ってみせる。
何があっても、どんなときも、俺がずっとそばにいるんだ!
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お父さんの日記はここで途切れていて、この数日後にお父さんは事故で亡くなったらしい。
「あのときは家族の中で真っ先に死んだくせにって思ってた。……でもお父さんはあの言葉の通り、私のそばにいてくれたんだね」
「すごく嬉しかったよ」と言って笑った拍子に目尻からポロっ、と涙が零れた。
お父さんはそんな私の姿を見ると、ぽつり、ぽつり、と話し出す。
「…………本当は、もっと長生きしたかったんだ。それで納豆が働き始めるところも、嫁に行くところも、全部、この目で見届けたかった…」
「……なんでお父さんは私が自分の娘だって分かったの? 私、お父さんには前世の話はしてないのに」
「見たんだよ。お前が初めて俺と会った日の夜。“夢”でな」
「夢……?」
お父さんは「あぁ」と頷く。
「多分、お館様から軽く聞いてると思うが、俺にはこの世界に生まれてから少し周りとは違った能力がある」
その言葉で思い出したのは柱合会議でお館様と二人きりで話したときのこと。お館様は、お父さんには色々とお世話になったと言っていた。あと記憶違いじゃなかったら確か、お父さんには「神職のそれ」と似たような能力があると言っていたような。あのときは霊感的な?と考えた覚えがあるけど……。そのことを言ってるのかな?
「俺は不定期に自分、または自分と関わったことのある人物についての“何か”を夢の中で見ることがあるんだ」
「え、な、何かってなんなの??」
「それは俺にもよく分からない。何か、だ。そいつの未来の事だったり、過去の事だったり、様々だ。鬼殺隊に入った頃はお館様に起きる良くない事とか鬼についての事とかをよく報告してたな」
「……なるほど。じゃあ、あの日お父さんは私についての夢を見たってことだよね?」
「そういうことだ。夢で見たのは、納豆の前世の人生の全て。……お前の“終わり”も見たよ」
「……そっか」
ーー私の“終わり”。それはお母さんの後を追って、首を吊ったこと。
「でもそれだけじゃないんだ。納豆が自分の娘だと思ったきっかけは」
「え?」
「そっくりだったんだよ。お前の“笑った時の顔”が赤ちゃんの頃と」
師範は慈しむように頬を緩めて、笑った。
そして私の頭に手を伸ばすとポンっと優しく手を乗せる。
「そばにいてやれなくて、ごめんな。納豆の大きくなった姿、もう見れないと思ってたけど、まさかこんな形で見れるなんて思ってもみなかった。……本当に成長したな、納豆。
ーーそれに、最期までお母さんを守っていてくれてありがとう」
気がつけば私はお父さんに飛びついていて、わんわんと大声で泣きじゃくり、お父さんの着ていた羽織の肩の部分をビチャビチャに汚してしまった。
あのね、お父さん。私、ここまで頑張ったんだよ。毎日苦しくて悩まない日なんて無かったけど、ここまで頑張ってこれたのは多分、炭治郎達がいたからかなぁ。夢の中だったけど、お母さんとお話もできたし、顔もろくに覚えてなかったけどお父さんにも会えた。
私って凄く恵まれてたんだって気づいたの。お父さんがいなくても、私を大好きでいてくれるお母さんがいた。私を大好きでいてくれたお父さんが、いた。家計は苦しかったかもしれない。でも、それ以上に大切で、素敵なことを私は知ってるよ。
こんなにも人を愛おしく思える日が来るなんて、思ってなかった。それもこれも全部、皆のおかげ。人間は一人じゃ生きていけない。私はこの世界じゃちっぽけな存在かもしれないけど、皆と一緒になってようやく大きな存在になれるんだ。
今も昔も、大好きだよお母さん、お父さん。
これからもずっとずっと、ずーっと、大好き。
この世に生まれてこれて、本当に良かった。