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驚きの余りベンチから勢いよく立ち上がってしまう。その振動でベンチに乗っていたドリンクボトルが数本床に落ちてしまい、その時に生じた音でコートに居た人達や烏野側のベンチに居る人達などの視線を集めてしまった。その視線にいたたまれなくなりながら「すみません」と、反射的に謝ると及川からウインクが飛んで来たので後で絞めておこうと思う。
因みに、潔子ちゃんはもう私のことをガン見しながらあのお爺さんの事を何度もチラ見している。その間にもお爺さんはコートに少しずつ、少しずつと近づいていく。俯きながら歩いていくその様は不気味としか言いようがない。それにしても、コートに近づいていくということは選手の人のお爺さんなのか? 烏野の人達の身内とは考えにくい。だってここは青葉城西。それで出るなら烏野だ。
でも及川達の誰かの身内が無くなってるなんて話、噂でも聞いたことないけどなあ……。及川達が学生の間で死んだのなら勿論葬式には行かないとだし、少なからず噂が出回ると思うのだ。私が1年の頃からいるので最低でも3年の誰か……または────先生、とか?
ある仮説が頭の中を駆け巡ったその瞬間、コート側に向かっていた筈のお爺さんの姿が消えてしまった。一瞬の出来事で自分の目を疑い、お爺さんのことを探そうと、今まで烏野側の方ばかり向いていた私が今度は青城側……すなわち今座っているベンチからの真っ正面の景色を見ようと顔を前に向けると、目の前に広がったのは白熱しているバレーの景色ではなく、なぜか土で汚れたような色をした薄汚いしわくちゃのシャツだった。

「────!?」

思わず息を飲む。言わなくても伝わる筈だ。
お爺さんは……私の目の前に居た。
少しずつお爺さんの顔を見上げると、丁度こちらを向くようにして俯いているお爺さんと目が合ってしまった。普通の顔というと少し違うかなと感じるが、今まで会ってきたような幽霊とは違いわりとまともな顔をしていた。
一つ言うのならその瞳には全くと言って良いほどに光がない。恐らくそれは生者と死者の違いを表しているのであろう。
喋ることはできない、見守るだけの霊。
そう思っていたのに。
その期待を裏切るかのようにして、お爺さんは言う。




「たずねてきました」




このお爺さんがどうしてここに居るのか、誰に尋ねてきたのか、その時の私には全く分からなかった。ただ一つしたことと言えばそのまま叫び声をあげることだけ。






「「ありがとうございました!」」

練習試合は烏野勝ち。だけど烏野の人達はいまいち喜びきれず、ちらちらと私の方を心配そうに向いてくる。それもそうだろう。私はさっきあのお爺さんに心底驚いてしまい、柄にもなく叫び声をあげてしまったから。及川達も烏野の人達も皆して「どうした!?」と一旦試合を中断してまで心配してくれた。優しい人達ですよ。


「納豆ちゃん大丈夫だった?」
「あ、潔子ちゃん…。うん、大丈夫だよ。びっくりさせちゃってごめんね」
「ううん。いいの。あんなの驚いて当然だよ」
「だよね……てか、わりと今も驚いてる」
「あ……もしかして『アレ』?」


そう言って潔子ちゃんが指差したのは、溝口コーチ……の、後ろに張り付くようにしてついて回るお爺さん。これでハッキリした。あのお爺さんは溝口コーチのお爺さんまたはお父さんに当たる人だと思う。だとしたら全ての辻褄が合う。私達が入学する前からいた溝口コーチの家庭のことを私達が知らなくても可笑しくないし、葬式が行われていたとしても私達が知るよしもない。

「あの人に伝えるの?」

潔子ちゃんは溝口コーチのことを見ながらそう言ってきた。つまりは溝口コーチに「あなたのお爺さんと思わしき方が憑いてますよ」と、言うか言うまいかということ。それに関しては迷うことなく私は答えをだす。

「言わないよ」
「……そっか」

ああいうのは言わないのがきっと正解なんだろう。言ったところで、というやつ。あのお爺さんは害を与えるような霊じゃない。いても支障をきたさない。だからそれを部外者である私がどうこうしていい問題じゃないんだ。あのお爺さんにとって溝口コーチは本当に大切な存在だったらしい。
本来、霊というものは『守護霊』以外の霊が人に憑くと意図せずとも生気を吸いとったり、寿命を短くしてしまったりする。だから本当なら黙って良い問題じゃないのだ。だが、あのお爺さんからは本当に『害』が見当たらない。それすなわち、溝口コーチが生前のお爺さんにとって『守りたい』と思える相手だったということ。いわゆる家族愛っていうやつ。

だからいいの。
私にあれを止める権利はない。


「今日は納豆ちゃんに会えて良かった。これ、私の連絡先。良かったら登録しておいて」
「了解〜。今度はプライベートで会おうね」
「うん」


私と潔子ちゃんがやりとりをしていると青城と烏野からの視線を感じた。私と潔子ちゃんのやりとりを見ているのか。覗きは良くないぞ!





「あのさっきは大丈夫でしたか?」
「あ、烏野の…」
「俺は澤村です」
「澤村くんだね。私は吉川。さっきは試合中断させてごめんね。ちょっと嫌いな虫がいて」
「ははっ、なるほどそれは嫌だな」
「でしょ?」


心配してくれてありがとう、と言うと澤村くんは後ろの方で挙動不審になっていた烏野メンバーの人達に大丈夫だって、というように笑いかけた。すると彼らの顔が一瞬にして明るくなった。なんだか犬みたいと思いつつ手を振ると1、2年の人達がぎこちなくも嬉しそうに手を振り返してくれた。ちょっとは仲良くなれた?

「それじゃあ、また」
「うん、また会えたらね」

こうして烏野さん達は帰っていった。平和とは言いがたい練習試合だったけれど胸の高鳴る試合だったことは間違いない。ほんの少し、彼等がバレーをする理由が分かった。

「吉川ちゃん平気かぁ?」
「もしかして何かまた見た?」
「マッキーまっつんお疲れ様〜」

コートの片付けを終えた二人が烏野と別れたばかりの私の元へと来た。そういえば二人からはまだ答えが聞けていないな。……忘れてるかもだけど。まあいっか、なんて私自身があの事を忘れようとしたとき、いきなり二人が私に向かって話し出した。


「俺らはさ、最初偶然吉川ちゃんに会えたみたいな感じだったけどさわりと吉川ちゃんとは深い関係だと思ってんだよね。変な意味じゃなくて」
「そうそう。松も言ってっけどさ、俺は吉川ちゃんとは仲の良い方だとは思う! だけどよ、それだけだと吉川ちゃんなんとなく俺に境界線つけるだろ? 巻き込まないようにって」
「……!」


図星だった。


「別にいいからそういうの」
「俺も松も及川も岩泉も国見も金田一も吉川ちゃんのこと信じてっから」

「だからさ、遠慮なんてすんなよ。友達だろ」


その言葉が心に溶け込むようにして消えていった。悩んでいたことを丸っきり突かれたと思ったら今、私が一番欲しかった言葉が貰えた。
……私は変な心配をしなくても良かったのか。
深く考えることはできなかったが、二人から貰った言葉のお陰でまた一つ大事なことが知れたような気がする。
『友達』
私が大嫌いで仕方がなかった言葉だ。だけど今なら大声で言える。友達って自分が思ってたよりも軽い関係じゃなかったんだって。
また一つ知れた記念に私もまた一歩進んでみたい。臆病で意気地無しの私に一歩踏み出せる機会をくれた彼らに恥じないよう。

それも、できることなら彼らといっしょに。

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