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「え、合宿所のお手伝い??」
『そうなの〜頼めるの納豆ちゃんくらいしかいないし、お願いよ! 人手が足りてなくておばちゃん達も困ってるの!』
「うーんでもせっかくのゴールデンウィークですし…」
『そこをなんとか考えてちょうだいっ』
「……分かりました。そこまで言われたらやるしかありませんしね」
『ありがたいわ! それじゃあゴールデンウィークよろしくね!』


その言葉で受話器の向こうから最後にガチャっと音が聞こえ、電話は途絶えた。ツーツー…という音に思わずため息をつくと目の前に貼られている五月のカレンダーを見て更に項垂れる。そして、手元に置かれているペン立ての中から一本ペンを掴みゴールデンウィークの日にちの部分に『お手伝い』と書き記した。……どうやら数少ない長期休日は潰れてしまうようです。



『え゙っ、吉川ちゃんゴールデンウィーク練習見に来てくれないの?』
「正確には行けないの。悪いけど親戚のおばさんのお手伝いに行かなきゃ」
『ゴールデンウィーク中ずっと!?』
「多分ね。てか、いつから私が及川達の練習見に行くことになってんのさ。嫌だからね、あんな大量の女子達の群れに飛び込みにいくなんて。そんな勇気持ち合わせてないから」
『そ、そんなあ……』
「用件はそれだけ? ならもう切るから。じゃね」
『え、あ、ちょ、まっ────』


ガチャリ。本日二度目の電話は私から切った。
及川達の練習を見たくないわけじゃないし、興味が無いわけでもない。だけどあの女子の群れに飛び込んでまで見たいかと問われると答えはNOだ。でもそれを抜きにしたって用事があるのだから行けなくても仕方がないじゃないか。
──だが、ここ最近ずっと彼らと過ごしていたからか、彼らと顔を合わせることがないと思うと何故だか違和感しか無かった。ただ少し前までの生活にちょっと戻るだけなのに。
思いの外自分の中で彼らが必要な存在になりかけていることに気づいてしまい、ほんの少し胸の中がむず痒かった。









「いやぁ本当にありがたいわ! こんなに綺麗で若い子の手が借りられるだなんて! こちらに泊まる人達も喜ぶわね〜」
「いやいやいや、相手はバレーしにきてるんですから」
「あら、愛の前ではバレーもなにも関係ないわよ?」
「すみませんちょっとよく話が……」


やってきましたゴールデンウィーク。だけど私には休みなんてものはありません。それを言ったら今回来る人達も、及川達もそうなんだろうけどね。皆お疲れだよ。
今回この合宿所を借りたのは東京のねこま…?とかいう高校の男子バレー部らしい。わざわざ宮城の高校と練習試合に来たとか。最初にそれを聞いたときに及川達が相手なのかなと思ったが及川に聞いたら「練習試合はするけど相手は違う高校だよ?」と言われたのでどうやら相手は別の高校らしい。まあ、私が関係することは無いから考えなくても良いんだけどね。


「ほら納豆ちゃん来たわよ音駒さん達!」
「あ、ほんとだ……。案内してきますね」
「頼んだわよー!」


どこまでも陽気なおばさんに苦笑いしか生まれない表情をなんとか切り替え、玄関に入ってきた音駒高校の人達を笑顔営業スマイルで出迎える。第一印象は真っ赤だ、ということ。第二印象はトサカ……?だ。なにが、とは言わないでおこう。


「数日間よろしくお願いシャス!」
「「シャーッス!!」」
「こちらこそよろしくお願いします。それではお部屋にご案内させて頂きます」
「お前ら遅れんなよ〜迷子の奴とかいねぇよな」
「平気だとおも……う……? あれ?」

「研磨、どこ行った?」


突如、「研磨がいねえええ!!」と騒ぎだした音駒の人達。研磨とは誰だ。恐らくチームメイトなんだろうけど、県外にまで来て迷子だなんて可哀想に。でもさすがに迷子の人を探しに行くなんて仕事は私には無いから関係ありませーん。


「俺探してくるわ。海、コイツら連れて部屋行って準備してから体育館で先に練習始めといてくれ」
「あぁ、分かったよ。黒尾まで迷子にならないようにな」
「はいはい」


あのトサカさんがいなくなった。そしてあのトサカさんの代わり?になったのは菩薩のような人。なんだかこの人の周りの空気はとても綺麗で澄んでいる。……落ち着く。

「お連れ様は平気ですか?」
「大丈夫だと思います。お気遣いありがとうございます」

一応研磨、と呼ばれる人のことを心配しておいたがとても爽やかに返された。この人……やるな。
そんなことを考えながら彼らを部屋まで案内しに行った。





「夕食とお風呂の時間はこちらの紙に記載しているので目を通しておいてください」
「はい、わかりました」
「それでは私はこれで失礼します」
「ありがとうございました」


あの菩薩さんともう一人、背の低めの人……やくさん?って呼ばれてたかな(多分)。あの二人が対応してくれたお陰で私は何事もなくスムーズに仕事を全うすることができた。ただ一つ、気になることと言えば頭がモヒカンの人が私から無駄に距離をとった場所でずーーっとこちらを見てきていたこと。あれは私に警戒しているのか。いやでもそんな風には思えないんだけどな…。
案内を終えた、と食堂にいるおばさんに声を掛けに行くとおばさんから「嶋田マートでお醤油とひき肉を買ってきてほしいの」と、お使いを頼まれたので財布を持ち私は合宿所を出た。おばさんは残ったお金でアイスでも買ってきなさいと言ってくれたので遠慮なくお高いアイスを買うことにしよう。見返りのあるお手伝いだったらなんだってやるよ!


スーパーの袋を右手にぶら下げ、左手でアイスを食べる。お高いアイス買ってやるとかなんとか言ったけどよく考えたら私、お高いアイスよりも安いアイスの方が好きだったんだわ。忘れてた忘れてた。


「……ん? あれ、あそこにいるのって……」

烏野の日向くん?と……誰だ?

そこには日向くんともう一人、プリンのような髪の真っ赤なジャージを着た人がいた。会話しているようにも見えるがどちらかというと日向くんが押せ押せな感じに見えてくる。
それにしても、あのジャージどこかで────

「んぁ、なんだ合宿所のお姉サンじゃん」
「うわっ!?」

目を凝らしてプリン君のことを見ていたら後ろから近づいてきていた人に気づけなかった。なんと、その人は合宿所に来た音駒のトサカさんだった。

「あ、音駒さんのジャージだったのか」

ようやく謎が解けた。あのプリン君のジャージどっかで見たことあると思ったら音駒さんのジャージだったらしい。どうりで。ということは彼らが探していた『研磨』とは彼のことのようだ。見つかって良かった。


「おーい研磨ァ!」
「……あ、クロ」


隣にいたトサカさんが研磨君?に呼び掛ける。そうすると彼はすぐにこちらを振り向く。そして日向くんにバイバイと告げると駆け足でこちらまで寄ってきた。

「どちらさま?」

駆け寄ってきた研磨君が不思議そうに私を見る。私がすかさず自己紹介しようとした途端、いきなりなんとも言えぬ恐怖感が私の全身を駆け巡った。





こわい、こわい、怖い怖い怖い怖い怖い。

なんで? どうして? 彼は普通の人だよ?

なのにどうしてこんなに彼が怖いの?

分かんない。分かんない。分かんない。

分からないのが怖い、気持ち悪い、ぃ、嫌だ。


それは一瞬の沈黙。
次の瞬間には私は笑顔を作って彼に自分の名前を名乗っていた。
怖いと思うのに一瞬、悟られてはいけないと気づいたのも一瞬、彼にナニカ不吉な事が起こっているに違いないと思ったのも一瞬の出来事だった。

「吉川納豆です。音駒さんの使う合宿所のお手伝いをしています。何か困ったことや分からないことがありましたらいつでもお声かけ下さい」
「あ、はい……」

彼はどうやら人見知りのようだ。現にこうして話していている時も彼は私の目を見ない。見ようとしない。生憎ながら私は会話をするときは必ず相手の目を見るタイプなんでね。君がこっち見るまでは逸らさないぞー。
そんなことを考えていたら念が強すぎて伝わってしまったのだろうか、彼れは私と目を合わせてきた。ほうほう、可愛い猫目ですな。
……なんて、ふざけてる場合じゃないよね。
多分、彼にはナニカがとり憑いているという訳では無いと思う。それに関しては自信をもって言える。だって彼からは『霊の気配は』全くと言って良いほど感じないから。あくまで、『霊の気配は』。
──彼からは形容しがたいものを感じる。黒く、禍々しいもの。人を嵌めるということだけに生み出されたような、そんな悪意を感じる。
勘違いはしないでほしいが決して彼が悪意を持っているとかそういう訳ではないのだ。正確にはなんなのかとはまだ言えないが……確実にコレは良くないもの。


「なーんか最近こんなことばっかり」


学校でも、プライベートでも、私は霊に巻き込まれるようです。


私は知らなかった。
その禍々しいものの正体が、霊よりも厄介な質の悪いものだったということを。
そしてきっとこの一件から私の交流の輪がじょじょに広がっていくことを私はまだ知らない。









「……ぅ、ッ……ぐ、ぁっ! ぃぁ、ぅ、ろ、く、ろ、くろ……っ、ぃやだ……っ」
「お、おい……おい……! 研磨! どうした研磨!!」


事が動いたのは今日の夜だった。
現在進行形で魘されている研磨君は苦しそうにもがきながらトサカさんの服を掴んで離さない。こんなことは初めてだったらしく、トサカさんも取り乱している。

だけど私はそれもこれも全て想定内だった。


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