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「……きた」

何か言おうと口を開きかけた黒尾さんを遮るかのようにしてそれはきた。私が反応すると同時に魘されだす研磨君。そして、初めて見た時に部屋の中に充満していたあのドス黒いオーラが出始めた。それを見えるのは私しかいない。

「じゃ、行ってくるから!」

そう言って私は寝ている研磨君の隣で横になり、研磨君の額に手を置き目を閉じた。やがて私の意識は深い闇の中に引きずり込まれていった。






「…ん、上出来」
「人の夢の中に出て来て一言目がそれ……?」
「あ、研磨君いた。あの追っかけてくる奴は出てきてないみたいだね」
「うん…。いつもはもう出てきてるんだけど」
「私がいるからかな」


研磨君は私の言葉に納得したかのように数回頷いた。初対面の時と比べたらかなり楽に会話してくれるようになった。それに対して少し嬉しさを覚えるがあんまりうかれていると良くないので必死にそれを抑えた。


「このまま出てこないってことはある?」
「いやそれはないかな〜」
「……なんか、嫌な予感してきた」
「えっやめてよ。ここ一応研磨君の夢の中なんだから研磨君が怖い想像とかしちゃったらそれが実際に起こることだってあるんだから」
「そうなんだ」
「そうだよ〜。だってこれは『悪夢』なんだから」

『悪夢』とは文字通り『悪い夢』。怖い夢とかそういうことじゃない。夢をみる人にとって害となる夢。人の眠りの中で生まれる幻なんかじゃなくて、人と人の間をどんどん移っていきその人に悪いものを運ぶモノ。運ばれてきたものが運気が下がるとかだったらまだ良かったかもしれない。でも残念ながら研磨君に運ばれてきたものは『死』。一番たちの悪いものだった。不運、としか言いようがない。

「……ぁ、」

その時、研磨君が遠くの方を見ながら小さく声をあげた。途端に、私の背筋にゾゾッとした気味の悪い感覚が襲う。反射的に研磨君の見ている方向に顔を向けると、ペタッペタッとナニカがこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
徐々に研磨君の顔色が悪くなっていく。どうやらいよいよお出ましのようだ。

──ペタッペタッペタペタペタペタッッ

一定のリズムを刻んで向かってきていた足音がいきなりスピードを上げだした。さすがにそれには不気味さを感じざる終えない。そしてついにそれは暗闇から現れた。
手足が異様に長く、人型ではあるけど男か女かわからない体。その長い手はもはや地についており、引きずる形になっていた。


「走って!!!」


研磨君の手をとり走り出す。夢の中だからか、いつもより足がよく動くし、いくら走っても体力が底をつかない。しかしそんな私とは裏腹に私に引っ張られている研磨君は息切れを起こしとても辛そうだ。私は人の夢の中にいるだけだから身体的な影響は全く無いが、研磨君からしたらこの夢は悪夢。ここにいるだけで苦しくてしょうがないだろう。速く退治しなきゃ……。


「研磨君、とりあえずここは私に任せて」
「だい、じょうぶ、なの……!?」
「…大丈夫だよ。その代わり、研磨君にもやってもらわなきゃならないことがあるの。この後、もしこの空間に少しでも異変が起きたら──────。いい?」
「…………分かった」

──それじゃあ、また後でね。


そして私たちは二手に別れた。
ただし、私は後ろのヤツを引き付けて。





「ア゙ア゙ァ゙ア゙ッ!!」

研磨君が居なくなったことによって機嫌が悪くなったのか、さっきよりもスピードをあげた『化け物』が私に迫り来る。それに伴って私もスピードを上げていく。……そろそろかな。
私は走りながら目を瞑る。そして頭の中でとある状況を思い描いた。
ここで一度、皆に問いかけよう。ここはどこだか覚えているだろうか。そう、ここは研磨君の『夢の中』である。彼にとっては悪夢なんだろうけど、私からすれば夢の中ということは変わりないのだ。そして夢には明晰夢めいせきむというものがあることを知っているだろうか。端的に言ってしまえば今は明晰夢の中に居る状態。
つまり、今私が思ったことは夢の中にも反映されるのだ。ただしあくまでここは研磨君の夢の中であることには変わりないので、優先順位てきには研磨君の想像の方が優先的にこの夢に反映される。だが今は私一人。
反映されるのは────私の想像のみだ。
フルスピードで動かしていた足を止め、迫ってきている化け物に向かって向き直り、閉じていた目を見開いた。
その瞬間、私と化け物の間に壁を作るかのように地面からつたのようなものが生え、化け物の手足を絡めとり、その心臓部分を貫いた。「ィ゙ア゙、ア゙〜ッ」と、訳のわからない奇声を発しながら化け物は痙攣している。
……気持ち悪い、キモチワルイ。
その存在の全てがこの世に存在するに相応しくないものだと雰囲気が訴えている。とてもじゃないがこのまま直視しているのは少々厳しい。


さてと、研磨君。
最後は君が終わらせるんだよ。


空間が悲鳴をあげるかのように、地鳴りが聞こえだした。










「……もういない」


俺は吉川さんと別れた後、念のためにもう少し走ってから足を止めた。部活の時よりも走ることが辛い。息がすぐに切れるし、脇腹も痛くなる。これは吉川さんが言っていた悪夢に関係しているかな。そうとしか考えられないけど。
今、吉川さんとあの化け物はどうしているのだろうか。きっと吉川さんのことだから上手くやっていると思う。あの人は、凄く賢い人だ。
多分頭の回転の速さなら俺よりもあの人の方が速いと思う。比べたことは無いけどなんとなく本能的にそう感じた。


『この後、もしこの空間に少しでも異変が起きたら──────』
自分に暗い世界はいらないんだって、心の底から叫んで。


吉川さんが、俺に言った言葉。
『暗い世界』とは何の事だろう。この夢の世界のこと? 今のところ俺の中ではそれが一番有力な説だけど、なんだかちょっと違うような気もする。後で吉川さんに聞いてみようかな。
ボーッとそんなことを考えていたその時、この空間を激しく揺らすかのように地鳴りが聞こえてきた。
……吉川さんは、異変が起きたら言えと言っていた。異変ってこのことかな。
暗い世界とは……俺の心? 俺の気持ち?
俺が表に出さない感情のことを指しているのかな。劣等感とか嫌悪感とか、それだけじゃない。自分とは反対のタイプの人を見ているだけでストレスが溜まるんだ。誰が悪いとかそういうことじゃない。なんならこれは俺自身の問題。でもそれは確かに、俺の中では負担になっていたんだ。
全てを投げたしたくなった時もあった。
どうして自分が今頑張っているのか分からなくなって、頑張ることがしょうもなく思えたんだ。そもそも頑張るなんて事自体が俺らしくない。……そう言ってずっと逃げていた。


だけど結局俺が全てを放棄しなかったのは、

「俺に…この世界は必要ない……!!!」

多分、仲間みんながいたからなのかな。



その瞬間目の前が真っ白になり、俺は意識を失った。











──俺に…この世界は必要ない……!!!


「……もう、大丈夫そうだね」


真っ暗な空間に亀裂が入り、まるでガラスが割れるかのように空間が割れた。そして私の意識は少しずつ深い眠りに引き込まれるようにして無くなっていった。









目が覚めると、私を心配そうに見下ろしている研磨君と黒尾さんと目が合った。二人の更に奥に吊る下げられている電気は寝起きの目には少々優しくない。半分ボケた意識で体を起こすと音駒高校の人達が揃いも揃って私に視線を向けていた。

「…おはようございます」
「おはよう、お姉サン」
「研磨君はもう平気かな?」
「……うん。もう平気」

そっか、と頷けば研磨君は少しだけ口元を緩ませながら恥ずかしそうに黒尾さんの後ろに下がってしまった。なんで今更照れているのか分からないけど、可愛いからOKかな。
研磨君の行動に癒されていると研磨君以外の音駒の人達が私に対していきなり頭を下げた。それに驚きつつも「頭上げて!」と、言うと黒尾さんは勢いよく頭を上げた後「本当にありがとう!!」と叫んだ。


「俺たちだけじゃきっと研磨は助けられ無かった……。だからお姉サンが居てくれて本当に良かった。マジで、なんて言ったらいいか……!」
「いいよ別に。こんなことしょっちゅうだし。私も研磨君のこと助けられて良かったよ。だから気にしないで」
「あぁ…っ!」

そのあと、私は何度もお礼を言われたあと音駒の人達に「早く寝ないと明日に響きますよ」と言い、私は音駒さんの部屋を後にした。


朝になると私を起こしに来たおばさんと雑談をしながら朝食の準備を始めた。まだ早い時間のため、外はまだ明るいとは言えない。でも今日の天気予報では朝から晴れと出ていたからあと一時間もしたら綺麗な青空でも見せてくれることだろう。こんな日の事をロードワーク日和とでも言うのだろうか。今頃彼らは何をしているのかな。私がいなくても相変わらず部活をしているんだろうけど、彼らが自分の周りに居ないことが少し寂しくなってしまった。


「納豆ちゃん、お友達が寂しいのかい?」
「……そうですね。少し寂しいです」
「そうかいそうかい。ならお手伝いは今日まででいいよ!」
「え、そんな訳にはいきません! ゴールデンウィーク中ちゃんとお手伝いしますよ!!」
「いいんだよ。納豆ちゃんのお陰で十分助かったから。だからお友達に会いにいきなさいな」


そう言っておばさんは笑った。






おばさんの気遣いで私は最後に音駒の人達に挨拶した後に帰っても良い事になった。正直、凄くありがたいと思った。こんな私が誰かに『会いたい』とか『寂しい』なんて思うこと今まで無かったから、どうしたら良いのか私には全く分からなかったんだ。だから、こうして後押しをして貰えることが心を軽くしてくれる。


「あ、おはようお姉サーン」
「「おはようございます!!」」
「おはようございます、皆さん。食堂はこちらです」
「はいはい。お前ら遅れんなよーー!」


音駒さんを連れて食堂に行くと私達が早起きして作った朝食が綺麗に並べられていた。きっとおばさんが並べてくれたのだろう。慣れているだけあってあの人は仕事が速い。若者にも負けないくらいには。


「あの、私今日でお手伝いが終わりなのでここからいなくなりますので挨拶だけさせて貰いに来ました」
「えっ」
「よ、吉川さん居なくなるんスか!?」
「そんなー……」


周りで飛び交う残念そうな声にほんの少し心が踊る。人に好かれて嫌だと思う人は中々いないでしょ? それと同じことだよ。私だって好かれて嫌だとは思わないよ。むしろこんな短期間で好意的に思われていて凄く嬉しい。


「まじか〜お姉サンいなくなんのかー」
「……ちなみに黒尾さん、私『お姉サン』じゃないからね?」
「…………は?」
「私、黒尾さんと海さんと夜久さんと同い年だから」
そう言って私はニヤリと笑った。


「絶対年上だと思ってた……」
「残念ながら同い年ですよ」
「まじかよ、じゃあ…吉川ちゃんだな」
「……及川かよ」


どこかの誰かさんを彷彿とさせる言い方に私は眉を潜めた。だけどやはり嫌な気はしなかった。


「あ、そうだ研磨君」
「な…なに」
「研磨君には凄く良い仲間が居るから心配はいらないと思うけど、嫌なことは嫌だとか、無理なことは無理だってしっかり口にしたほうがいいよ。クラスメイトとかには言わなくて良い。言いづらいしね。でも、黒尾さん達にはきっと言えるはず。短い関係でも浅い関係でもないでしょ? これは研磨君が嫌だとしても乗り越えなきゃいけないことだから、絶対に逃げないで。ここから逃げちゃったらまたきっと悪夢は訪れる。

……この中に弱音を吐く人が悪いなんて思う人はないから。だから安心して、自分を出してみなよ。セッターなんでしょ? 周りを把握することも大事だけど、自分の事も把握して貰ってこその連携なんだから」


なんだかババア臭いことを言ってしまったかな……。






「吉川さん。……ありがとう、ございました」
「どういたしまして。研磨君」


研磨君はおずおずと頭を下げた。そんな研磨君を見た黒尾さんはギョッとしたように目を見開きだらしなく口を半開きにして呆然としている。恐らく、研磨君が誰かにしっかりとお礼を言って頭まで下げているところを見たことが無かったのだろう。私は「よし!」と頷き、音駒の人達とおばさんに深く一礼をしてから荷物をまとめて合宿所を出た。





──私が戻ったら、彼らは何と言ってくれるのだろうか。
もしかしたら案外「あ、おかえり〜」と特に驚かずに迎えてくれるかもしれない。でも及川は誰よりも大袈裟に驚いてくれそうだな。
昔の私なら『会いに行くのが怖い』と言っても可笑しく無かったかもしれない。だけど今なら怖がらずに飛び込んでいくことができる。
音駒かれらはとても良い人達だ。彼らのような人達ばかりだったとしたらこの世から心に何かしらの想いを抱えて生きていく人達も減るのかもしれない。でも現実は想像とは違って上手くいかないことばかり。それに絶望することも少なくはない。私も昔はその一人だったから。
けれど、そんな風に絶望した後からだって自分が変われる時は必ずあるはずだ。それを手にするのはいつだって自分。誰かのせいにして、誰かにすがってばかりじゃ何も変わらなかった。……今になって強くそう思う。


──私は変われた。

今なら声を大にしてそう言える。
私はきっと恵まれていた。だって、


「あれ吉川ちゃん!? ゴールデンウィーク中はお手伝いに行くんじゃなかったの!?」
「大分速いご帰還だな〜」
「ですねぇ、花さんや。これは祝いだな」
「おーおかえり」
「あ、お疲れ様です吉川先輩」
「おつかれっす! 先輩!!」


「──……ただいま、みんな」


大好きな、彼らがいたから。

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