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クラス替えから早一週間。不思議なことに及川がこの一週間全く話しかけて来なかった。あの忠告で心を入れ換えてくれたのか。良かった良かった〜。……なんて、なるわけないよね。及川が話しかけて来ない理由も分かっている。彼にとり憑いている生き霊の力が段々と強くなってきているのだ。その証拠に及川の目はどこの景色も見ていないような虚ろな目で、顔色も見ているこちらが心配になるくらいに悪いし、誰かが呼んでも返事もせず一人ボーッとしている。


「……私にはどうすることもできないからね」


どっと押し寄せてくる罪悪感から逃れる為に、私は居心地の悪い教室を出た。そんな私の後ろ姿を正気を失った及川のあの目がずっと捉えていたことには気づかず。







「──及川なぁ……何かしてあげられるんならできる範囲のみ、してあげたいんだけどなァ」

場所は屋上。本来なら開放していない場所なのだが、ここの学校は特別らしい。ここには変な幽霊的なあれらもいないし。ゆっくりしていられるスポットだ。
誰に邪魔されることもなく、伸び伸びと過ごせるんだ────。
過ごせる、のだが今日はどうやら特別な日だったようで。屋上の錆びた扉をギイィ……と開く音が私の耳に届いた。


「──…………やっぱり、吉川か」
「……はい?」


扉から出てきたのは中学からの知り合いの『岩泉』。及川同様に、バレー部に所属しており、副主将を務めているらしい。にしても、今の岩泉の「やっぱり」とは一体何なのだろう。

「吉川、お前に頼みたいことがあるんだ」
「な、なに?」

もちろん、予想はついている。


「及川を助けてやってくれ!」


よく考えたら中学最初の時もこんなことがあったっけかなぁ……。二度あることは三度あるっていうしね。
…………手伝いぐらいならやってあげようかな。


「祓ったりとかは相変わらずできないから。それ以外の方法で。……岩泉も手伝ってよね」
「っ、おう! よろしくな!」


罪悪感がない訳じゃないから……ほんの少し手伝うだけ。
それが上手くいくかは分からないけれど。
自分の気休め程度には丁度良いくらいだ。







「及川」


岩泉と話した日、それから何日か経ったとある日の昼休み、私は相変わらず虚ろな目で席に座っている及川に自ら接近しに行った。私に声を掛けられた及川はうんともすんとも言わず、ただ前を向いているだけ。なので私は強制的に反応させるために及川の肩を掴み、私のいる方向に無理矢理体を向けさせた。案外すんなりと向いてくれた及川に内心ホッとしていると、何の力が働いたのか、教室でお昼ご飯を食べていた他の生徒が全員急に立ち上がり、教室の扉から出ていったのだ。
途端に静まりかえる教室。中には私と及川の二人だけ。甘い展開がこれから起こるわけない。むしろ、今甘い展開が来るのならそちらのほうが何倍もマシだと思う。
及川の肩に置いていた手を離し、距離を取るために数歩後ろへと下がる。今の及川は本当に危険だと脳内でサイレンが鳴り響いている。恐怖と速く逃げたいという焦りから、額を汗が伝う。


「ねぇ、及川ってば……!」


どうにかして、及川本人の意識を呼び起こしたい。それでどうにかこの状況を少しでも変えたいのだ。一つ選択を間違えたら取り返しのつかないことになりそうで、下手に動けない。

「及川、起きて! ────及川!!」

二度目の呼び掛け。
どうか反応してくれ、すがるような思いで及川に一歩近寄ったその時、目の前に立つ及川の口がゆっくりと開かれた。


「……ぁ…………ぇあ、……ぐ…………っ」


聞こえてくるのはとても苦しそうな、唸る声。そして気づいた。
──まだ、及川の意識は残っていると。


「及川、よく聞いて。今のアンタは正常のアンタじゃない。生き霊にとり憑かれている状態で、意識を持っていかれかけてる。憑かれていることには自分でも気づいてたよね?ソレが、今の及川を苦しめている原因に他ならない!今、少しでも気を緩めたら本当に意識も体も全部持ってかれて手遅れになるの!だから私達が何とかするまで耐えて!」


自分自身が大丈夫だったら他はどうとでもなればいい。そうは思っているけれど、私は所謂『偽善者』とやらだから。他人の情とか、困ってる人とかを目の前にするとその場のいきおいで流されてしまうんだ。
……でも最終的には自分を守る。
そんな、最低な人間になっちゃったんだよ。
それでも死ぬまで最低なままじゃ嫌だ。欲張りな私はそう思うから、『建前の優しさ』でこの人達を救いたいと思った。
私には、自分のことが分からないんだ。





「…………ぇ、て……」
「え?」


無防備ながら自己嫌悪に浸っていると、及川が消え入りそうな声で何かを話しだす。とても、とても小さな声だけれど確かにその声は及川本人のもので、及川自身の意識で喋っているんだと確信した。ただ、本当に小さく微かな声なので上手く聞き取ることができない。もう少し及川に近づいたら聞こえるのだろうか……?
私はまた一歩また一歩と及川との距離を徐々に縮めていき、ついにはあと一歩踏み出してしまえば及川との距離が0になってしまうところまで来た。
────しかし、この考えが悪かったのだ。
及川は、小さいながらも言っていた。
「逃げて」と。それに気付いたのは接近した後のことで。及川が伝えたいことに気づいた私が急いで離れようとしたときには、もう『そいつ』は動き出していた。


「ぇ、あ、──きゃ……ッ!!」


『そいつ』とは及川にとり憑いている 生霊そいつで、今及川の体と意識を操っているのも『そいつ』だ。
そして操られている及川は──いきなりのことに反応できずにいた私の首を締めた。


「ぅぐ……ッ、ぁ、っ……!」


さっきまで微かに繋ぎ止められていた及川の意識が途絶えてしまったように感じる。私は接近するタイミングを間違えてしまったようだ。あんなに気を付けようとしていたのに。
……こんなことなら、やっぱりお願いを受けなきゃ良かった。今まで自分が一番可愛いからと、周りを助けてこなかったことも沢山あったんだから。今更助けても助けなかったところでも関係ないじゃん。こんなところで善行を積み重ねたって……。
意識が、朦朧としてきた。視界が霞だしてよく見えない。息が上手く吸えなくて、首への強い圧迫感がとっても苦しくて。
──あぁ、私はここで終わりなんだって。
そう思ったらとても悲しくなった。セコくても、狡くても、それでも何とかして生きようとして足掻いてきた私の人生は無駄だったとでも言うのか。誰よりも苦労してきて、辛い思いもして、それなのに最期はこんな終わり方なんてひどいよ。

私だって、幸せに、なりたかった。
これからちゃんと恋愛もして、結婚もして。……子供だって欲しいって思ってた。誰よりも大好きな人との幸せな生活を過ごしたいって思ってたのに。
薄れ行く意識の中、最後に見えたのは及川の頬に入れられた拳と、泣きそうな顔で私を見下ろす岩泉の姿だった。

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