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俺が止めに教室に入った時には、吉川は意識を失いかけていて、そんな吉川に馬乗りで首を絞めている及川がいた。焦りに焦った俺は及川の頬に渾身の一撃を決め、吉川の上から軽く吹き飛ばした。意識がはっきりとしていない吉川に必死に呼び掛けるも吉川はゆっくりと瞼を閉じ、意識を失ってしまった。恐らく軽く気絶しているだけだと思うが……。問題はこれからだ。
及川を吹き飛ばした方向を確認すると、及川はふらふらと立ち上がろうとしていた。その及川はやっぱりいつもの及川じゃない。


「……この人は、渡さナイ」


あの日、及川が体育館で倒れた時のことを思い出させる程に、その時の及川の声はあの時の声と酷似していた。俺はあの時と同じような恐怖を覚え、薄ら笑いを浮かべている及川を見上げていると、いきなり気力を失ったかのように及川は倒れてしまった。……あの日のように。この教室の中で俺以外の二人が倒れているなか、俺はどうしたらいいのか分からない。それから数分後に教室に入ってきた教師が倒れていた二人と放心状態の俺を保健室まで連れていってくれたらしい。








「…………吉川、おい吉川…………」
「……っ、ぁ……」

目を開くと岩泉が私を見下ろし、場所は教室から保健室に変わっていた。体を起こすと私がベッドの上にいることがわかる。岩泉はベッドの脇に椅子を用意しており、それに座っていたらしい。
保健室にはベッドが二つあり、一つは私が使っている。そしてもう一つのベッドを見ると、そこには死んだように眠っている及川の姿が。


「及川はまだ目を覚ましてないからな」
「うん、そうみたいだね。あの後……私が倒れた後どうなったの?」
「あ、あぁ……じつは──」


岩泉から聞いた話では、及川はまた生き霊が及川の口を『借りて』話した時に倒れたらしい。
一度目は「この人にさわらないで」、
二度目は「この人は渡さナイ」と。
きっとそれが示すことは、生き霊が及川を一時的にでも乗っ取るには及川の意識を乗り越えなければいけない。だからその反動で肉体的に負担のかかる及川は倒れた。
つまり、『倒れる』ということは及川はまだ完全にとり憑かれきってはいないということの証明にもなる。及川の意識自体も生き霊に拒絶をおこしてる。
生き霊を剥がすには絶好の機会。逆に言えばこの機会を逃したら及川から生き霊を剥がすことはできないだろう。


「岩泉、やるなら今しかない──!!」


呼びだすんだ、及川を。





「先生、私達まだ体調が優れないので早退させてください」
「それが良いわね。あ、でも及川くんはどうしましょう……」
「及川は俺が家まで送ります。家も学校から近所なんで」
「本当に?それじゃあ頼んだわ」


保険医の先生に早退すると伝え、私達はそれぞれお互いの教室に戻り荷物をまとめる。勿論及川の分も。ただ及川の荷物といっても机には変なお守りらしきものしか入っておらず、その他の教科書類は何一つ持ってきていなかった。
学校指定の鞄も無かった為、このお守りを手に握りしめて登校してきたのだろうか。だとしたら、及川の意識が僅かながらに反抗しようと抗っていたのだろう。
クラスの人達から心配されながらも上手く切り抜け、校門の前で待ち合わせをしていた岩泉と合流し目的の場所へと向かう。ちなみに及川は岩泉が及川の腕を肩に回して足を引きずりながら歩いています。身長と体重の問題でこうなってしまうのだから仕方がない。岩泉の代わりに私は三人分の鞄を持っている。


「てか、本当に良いのか?
 ────……吉川の家に行っても」
「逆に私以外の家に行っても何もならないでしょ。混乱を招くだけだし。でも家に来るのは本当に緊急事態の今回だけだからね」
「おう、悪い。……ありがとうな」


ふいに岩泉が俯きながら私に対してお礼を口にした。きっと及川自身が追い詰められていくなか、幼馴染みが苦しんでいくそれを見ていることしかできなかった岩泉も苦しんでいたはずだ。自分は無力で何もできないんだと、嘆いた。
私はそんな岩泉の様子を一瞬横目で見ると、再び視線を前をに移し、岩泉に向けて一言だけ口にする。

「どーいたしまして」

本当は偽善だらけの自分の心を押し殺して。







「……で、これからなにすんだよ」


眠っている及川をソファーに寝かせた岩泉は、色々と準備をしだした私に疑問をぶつけた。そんな中、私は押し入れをガサゴソと漁り、お目当てのものを探す。

「吉川お前何探してんだ?」
「んー『粗塩』だよ」

私の返答に岩泉が聞き慣れない、とでも言うように首を傾げた。


「あらしお?」
「うん、粗塩。簡単に言うと粒があらくて精製されていない塩のこと」
「ほー。それが何か役に立つのかよ」
「うーん……多分。確証はないけど気休め程度には丁度良いと思う。効いたらラッキーってところかな?」
「おいおい、まじかよ」
「私も祓ったりできるわけじゃないしね」

岩泉は頭を抱えてしまった。

「及川にはこれから体をある程度清めて貰うためにお風呂に入って貰うから」
「……これからか?」
「うん、これから。お風呂にこの粗塩を投入してくるから」


粗塩の入った袋を腕に抱え、ポカンとしている岩泉をリビングに残したまま私はお風呂場へと急ぐ。そして風呂蓋を退かし追い焚きしたばかりの温かなお風呂の中に粗塩をぶちこんでいく。ザーッという音とともにお風呂の底へと沈んでいく様を眺めながら頭の中で作戦を練る。
昔、私の父も生き霊にとり憑かれたことがあったらしい。両親も幼いときから中々そういう霊の類いに悩まされてきたらしく、特に父なんかは今の私以上に最悪な生活を送っていたとか。そう考えるとある意味私達の一家は霊媒体質一家と言っても過言ではないんじゃないかな。
まあ、それはそうと。そんな霊の扱いが慣れている父から昔チラッと教えて貰ったことがあるのだ。
生き霊は、その生き霊の持ち主が生き霊を飛ばしていると自覚を持たない限りなくならないと。そして体が怠い、気分が優れない、何かに憑かれているような気がする、などそんな時は粗塩と日本酒をお風呂に入れて入浴すると、それらが穢れたものを全て綺麗に落としてくれるのだと。
粗塩を入れ終えた私は今度は厳重に保管されていた日本酒を引っ張りだし、2〜3合ほどドボドボと注いでいく。上手くいくかはわからない。だがやらないよりは大分まし。きっと一時的な処置にしかならないだろう。でも、生き霊にほんの少しでも痛みを与えることができるのなら──


「岩泉、悪いんだけど及川をお風呂に入れてあげてね」
「げっ……まぁ予想はしてたけどよ……。なんか幼なじみを脱がすってのも中々キツイな……」
「ごめんごめん、でもよろしくね」
「おー」


岩泉は及川の腕を自らの肩に回し、若干引きずりながらお風呂場へと向かっていく。入れ替わるようにリビングに取り残された私はソファーに腰を下ろすと今までの疲れやストレスを一気に発散するかのように、深い深いため息をついた。
──及川に憑いている生き霊さん、及川の体を好き勝手すんのも今日で終わりだからね。


岩泉と及川を送り出してから約10分。私はその間、お茶を飲みながらくつろいでいた。だが、そんな心休まる時間を切り裂くかのようにそれは訪れてしまった。
── パキ、パキパキパキ……パキンッ!!

「……!」

私が手に持っていたお茶の入っていたグラスに少しずつヒビが入っていき────割れた。
グラスの破片が辺りに飛び散り、グラスを握っていた私の右手は破片で切れ、血が滴り落ちている。突如訪れた鋭い痛みに顔を歪め、その場から勢いよく立ち上がり、周りを警戒する。危険、危険……と頭の中でサイレンが響く。床では溢れたお茶と私の血が混じりあい、毒々しい色になりジワジワと広がっている。リビングの中はどんよりとした重苦しい空気に変わってしまい胸にズキンッとした耐え難い痛みが私を襲う。あぁ、やっぱりこんなことに関わるとろくなことがないや……。


──── ……な、ィ、デェ……。


「……あー……来ちゃったかぁ……」

いつの間にかお腹に回された人の体温が感じられない冷たい両腕に、額から汗が伝うのを感じた。
回された両腕はだんだんと締め付ける力を強めてくる。私はギュウッ……という強い圧迫感に思わず呻く。絶対にコイツ、骨を折りに来てるだろ……!!
いち早く察してしまった私は自分の顔から血の気が引くのを感じながら「やめろ!」と、叫びお腹の両腕を振り払う。
後ろで『ナニカ』が床に張り付くようなビタッという音が聞こえたが、私は一切後ろを振り返らずに岩泉達のいるお風呂場へと走る。

「開けて岩泉!」

バンバンッとお風呂の扉を叩くと中から何やら慌てているような物音が聞こえ、不思議に思った次の瞬間にお風呂場の扉が開かれた。

「どうしたんだ!?」
「っ、緊急事態。今すぐこの家を──」

そこまで言うと、岩泉の目が大きく見開かれ、彼の顔が真っ青になっていくなと思った瞬間、私の首を何者かのヒヤリとした手が掴んでいた。

「ねぇ、なんで彼をとるの?」

低い声で恨めしそうに私の耳元でそう呟いた『彼女』の顔を、私の両目はしっかり捉えていた。

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