Moon Fragrance

あの夢と同じに



 本番まであと2時間。衣装の準備をしているとますます緊張してきた。何よりもやっぱりラストシーンのダンスが気掛かりだ。何度も自分を落ち着かせるように深呼吸をする。それでも治まらない鼓動は自分の耳にまで聞こえそうだった。
 この舞台のためだけに生徒会の仕事から戻ってきたルーファウスくんは、そんな私を見て優しげに笑った。

「昨日は完璧に出来たんだ。心配することは無い」
「そ、そうだよね。ありがとう、ルーファウスくん!」

 緊張をほぐしてもらっていると、気づけば呼び出された約束の時間だ。少しだけだから大丈夫だろうと、ちょっと気分転換してくるねと衣装のドレスを着たままヒールで時計塔へと赴く。
 言われた通りに時計塔の上へと登った。本来なら時計塔の鐘が吊してある部屋は閉じられているのだが、なぜか今日は開いていた。それなのになにも疑うことはせず、この中にいるのかもしれないと中に足を踏み入れてしまう。
 きぃーっと鈍い音を聞いたときには遅かった。振り向くと重厚な扉は閉められて、ガコンと木製のかんぬきが嵌められた音がした。

「ウソでしょ……。ちょっと! 開けてよ! そこにいるんでしょ!?」

 叫んで扉を叩きながら、外にいるだろう相手に話しかける。でも無視を決め込んでいるのか、それとももう下まで降りてしまったのか何の反応も返ってこなかった。

「ねえ、開けてってば! 誰か!!」

 少しだろうと思って衣装で来たのが間違いだった。ケータイなんて持っていない。時計塔の中からじゃ時間なんて分かるはずもなく、ヒールに足が痛くなってきて脱いでしまう。
 叫び続けて、堅い扉を叩きまくって、どれだけこうしているんだろう。疲れてしゃがみ込んで助けを待つしかないのかな。
 誰か助けて……と小さく呟いたとき、鐘の音が体中に響いた。その音はまるで鼓動のように、どーんどーんと体を叩く。うるさくて耳を押さえても聞こえる音に青ざめた。
 15時を告げる鐘の音。本番まであと30分しかない。いや、ここから講堂まで行くには急いで10分。余裕をもつには20分ほどしか残されていない。それに慣れないドレスにヒール……私が走って10分じゃ無理だよ。
 ダメ元でまた扉を叩く。助けてと祈りながら痛みが鋭くなってきた手でそれでも叩いた。

「なまえ、どこだ!?」

 遠くからルーファウスくんの私を呼ぶ声が聞こえた。探しに来てくれた。ほっとしたけど、それだけじゃ見つけてもらえない。立ち上がって思いっきり扉を叩く。本番前だから声が枯れたらまずいのに構わず叫んだ。

「ルーファウスくん、助けて! 時計塔の上! 助けて!!」

 タッタッタッと階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。

「なまえ! 中にいるのか!?」
「いるよ! 閉じ込められて出られないの!」

 ガタンと音がしてかんぬきが外される。ギィーッと閉まるとき以上に鈍い音を立てて扉が開いた。
 目の前には王子様の衣装を着ているルーファウスくんが、いや正真正銘の王子様がいた。安心して抱きついてしまう私を拒むことなくしっかりと抱きしめ返してくれた。

「戻ってこないから心配した。時間がない、話は後だ」

 劇には出られるな? と聞かれて頷くと、ヒールを持っていろと渡される。靴なしじゃ走れないのにどうするんだろうと思っていると、ルーファウスくんがいきなり私をお姫様抱っこして走り出す。時計塔の階段を駆け下りて、講堂へと真っ直ぐ走った。
 道すがら私たちを見かけた人が、宣伝か? などと噂しているのが分かる。本番前にめちゃくちゃ目立ってる!
 本番5分前、講堂のステージ袖へと間に合った。どこに行っていたんだと皆が口々に私に聞くけれど、ルーファウスくんが訳はちゃんとあるから後にしてやってくれと収めてくれた。
 私を抱えて走っていたルーファウスくんはそんなに息も乱れていない。だってこんなの、好きになってしまう。ずるいよ。
 大きなブザーが鳴り響いて緞帳が開けた。

――魔女を打ち倒した王子様はしっかりとした足取りで時計塔の階段を上っていく。大きく分厚い扉に守られた部屋に1歩足を踏み入れると、静かに眠る美しいお姫様をその目に映した。
王子:『やはりキミだったのだね。夢の中で何度も逢瀬を重ねた美しい人は』
――王子様はゆっくりとベッドに横たわるお姫様の元へと近寄った。
王子:『どうか目を覚まして、その懐かしく愛おしい瞳に私を映してくれ』
――王子様はそっと、お姫様に口づけた。そしてお姫様は目を覚ます。

 優雅に手を伸ばして、王子様役であるルーファウスくんに抱き起こしてもらう予定だった。予定だったのに、舞台上のハプニングとでも言えばいいのか、目を瞑っても眩しさを感じる照明に合図はまだかと考えていると触れたのだ。
 冷たく柔らかい感触が、私の、口に……。しかもかなりしっかりと押し当てられた。優雅さの欠片もなく目を見開いて、彼の顔を見ると意地悪そうにニヤリと口角が上がっていた。お姫様らしからぬ勢いで飛び起きる。もう1度彼を見ると口パクで、続けろと言い放った。こうなったらやるしかない、ステージに立ったからには続けなければ。
 舞台マジックだ。ステージに1歩立ってから緊張なんてもうどこかに行っていた。覚えたセリフも自分の言葉のようにすらすらと出てくる。
 ダンスのシーンもミスなく終えて大きな拍手が鳴り響く中、大団円を迎えた。
 私の中は大団円じゃない!! 終わった後からパニックが襲ってくる。寸止めのキスは見えないように練習したのだ。だからきっと誰も本当にキスしたことなど気づいていない。なんであんなところで本当にキスしちゃったの? まさかルーファウスくんも緊張していて、勢いがついちゃった? でもそんな感じの触れ方じゃなかったと考えたら、あの感触を思い出して頭の中が白くなった。
 舞台の片付けも終えて、私が本番に遅れそうになった理由をルーファウスくんと2人で話すとみんな納得してくれた。間に合ってよかったと労ってくれた。
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