木漏れ日の幸せ
明るい光が瞼の向こう側から感じる。目を開けたくても開けられない。倦怠感がすごい。体が、主に腰から下が痛い。その上、体がくすぐったい。
「ん……」
鼻から声が漏れて体をくねらせるが、くすぐったいのが止まらない。
重たい瞼を開けるとルーの顔が映った。目を覚ました私を見て、愛おしそうに目を細めた。
「おはよう、ございます……」
「ああ、おはよう」
まだ体がくすぐったくて身を捩るけれど引き寄せられて動けなくなる。私の上体を撫で回しているのは他でもないこの人だ。
「あの、ルー、もうやめ……」
「ん? いいだろう」
「だ、め……」
だって、また腰がふわふわして変な気持ちが……。
「オレはまだ足りていない」
口元に弧を描いて言うから、ひっと声が出た。無理、無理。朝までというか、頭も体もぐずぐずにされて記憶が飛ぶまで離してもらえなかったのに、アレで足りないなんて言われたら死んでしまう。
怯えてルーの顔を見ると不満そうに仕方ないなと言われた。
「痛いところは?」
「腰から下が……」
「それもすぐに慣れるな」
言いたいことがわかってしまってガバッと布団を頭まで被った私を見たルーが声をあげて笑った。
彼はするっとベッドを出て布団の上から私の頭を撫でた。少しの衣ずれの音を立てて、シャワーを浴びてくる、昼に出かけようと言って部屋を出て行った。
布団から頭を出して解放された体を仰向けに天井を見る。ぼーっとしているとまた寝てしまいそうだった。眠気に抗えなくて瞼が落ちてくる。うつらうつらしているとベッドがギシリと沈んだ。
柔らかい感触が右の首筋に触れて痛みが走る。
「寝たら襲うぞ」
「!?」
とんでもない脅され方をして目がぱっちりと開いた。そんなに嫌かと笑うこの人が恨めしい。
「スッキリする。シャワーを浴びてこい」
そう言われて体を起こした。ベッドの足元の方や床に落ちてる服をとりに行こうとして気づく。布団から出て服を着ると言うことは、つまり……。
チラッとルーを見ると、自分の足に頬杖をついてこちらを眺めている。早くしろと目が語っていた。
「あっち見ててください!」
布団を思いっきり翻して視線を遮るようにルーに被せた。が、もちろん避けられる。わかったとひとしきり笑って反対を向いてくれたけど、避けられたことでバサリと布団が落ちたから結局見られてしまった。
「もー、もーっ!」
とりあえず言語にできなかった文句をもー! に載せて急いで下着とルームウェアを身につけた。
シャワー浴びてきます! と無駄に大きな声で宣言して逃げるように部屋を出ようとしたら、待てと言われて手を掴まれた。
「なんでしょうか」
社長が私を引き寄せて人差し指で私の唇をなぞった。そしてその指で自分の首をトントンと指した。
言いたいことがわかってしまって知恵熱が出そうだった。
「どこ、に、ですか……」
「なんだ。わかったのか」
ちょっとだけ察しが良くなったな、と言ってここだと指差したところは、首の右側ど真ん中。見えますよと言っても構わないと答えただけだった。
意を決して指定された場所に唇を当てて、頑張って吸い付いた。赤い痕がつく。ルーが満足そうに笑って、行ってこいと離してくれた。
心臓がドキドキしたまま廊下を歩いて脱衣所に着いた。鏡に映った自分を見て気づく。今さっき彼に痕をつけた場所と同じ所に、私がつけたのとは比べ物にならないほどの濃い痕がついていた。
あー! と叫ぶと世話係の女性が飛び込んできた。どうかなさいましたか!? と慌てて言われて震えた声でなんでもないです、ごめんなさいと言えば私を見て気づいたようだ。
困ったものですねと言って少し哀れみの目をして出て行った。
これどうしよう。襟があるとは言え髪の短い私じゃ仕事着からギリギリ見える位置だ。しかもこの濃さは当分消えないと思う。
あれ? 待てよ。いくつか痕をつけられてたのは知ってる。鏡にも映る通り、至るところに赤い痕がついてる。ベッドで溺れてたからここまではまだいいとして、なんで首のここだけ一際色が濃いの!
浴室に入って熱いシャワーをかぶって、消そうとするようにガシガシと体を洗った。汗は流れてスッキリしたけど、当たり前だが痕は消えてくれない。
また着替えてルーの私室に戻ると、なんでこんな所にこんな濃いのをつけたんですか! と胸板を軽くポカポカ叩いた。彼は楽しそうに笑ってはぐらかすだけだった。
仕方がないから絆創膏をそこに貼ってやり過ごすことにしたが、ルーはかなり不満そうにしていた。ちなみにルーの方の痕は、やっぱりワイシャツやジャケットの襟から丸見えで、本人は全く気にしていない様だったが、月曜日にそれを見かけた社員が“社長に特定の相手がいる”と噂を立てたことで、女性社員ほぼ全員がお通夜状態だったのはまた別の話。
朝食とも昼食ともとれない食事をして出かける準備をする。
会社でのいつもの真っ白なスーツとは違う、グレーのスラックスに白のワイシャツ、黒のジャケットを着たルーは本当にモデルのようだった。ネクタイもしていないので、そのラフさがファッション誌から出てきたみたいだった。
「何かおかしいか?」
改めて見ると本当にカッコいい人だとぼんやり眺める。それに気づいたルーが色の薄いサングラスを掛けて私に問いかけてくる姿は直視出来なかった。私、釣り合ってないよね……?
「何か余計なことを考えただろう」
「えっ……」
リク? とじわりじわりと寄ってくる目は早く言えと言っている。
「っ、似合っていたのでつい……隣に立っても大丈夫か不安になっただけです……」
ルーがふむ、と言って私の全身をじっくりと見る。文字通り舐めるように見るので、恥ずかしくなって背を向けたところを肩に手を置かれて姿見を向かされた。私の顔の横に腰を屈めたルーの顔が並ぶ。心臓が跳ねた。
「もう少し自分に自信を持つべきだ。リクはキミが思っているより可愛いし、美しい」
鼓動が早くなって顔を社長とは反対方向に向けた。
社長の手が顔のすぐそばを横切る。シャラっと音が聞こえて、ひんやりとした物が首元に触れた。
「リク。鏡を見ろ」
恐る恐る言われた通りに視線を移した。
胸元には青い石と赤い石が上下にお行儀良く、プラチナシルバーのチェーンから連なっていた。
「無駄にならなくてよかった」
「ルー、これ……」
「私が贈ったものでリクを飾るのは悪くないな」
朝になって一人称が私に戻っていることにちょっとドキッとした。ルーの方を見ると彼は私のこめかみに唇を押し当てる。似合っていると静かに声に出した。
「わたしっ、もらってばかりで……っ」
「リクが何も望まなさすぎるんだ。せめて私から甘やかさせてくれ」
「十分、甘やかしてもらってますよ」
「足りないな。私の隣に立っていいのはリクだけだ。もっと欲張れ」
さらっと言う社長は本当に私の心臓を酷使していく。
本当に十分甘やかしてもらっているのに、この人はどこまで私を溶かそうとするのだろう。
「ありがとう、ございます……」
胸が熱くなってネックレスのトップに触れた。
まだ私の顔の横に並んでいるルーの頬に軽く唇を寄せる。いつもは見上げているからこんなことは頼んで屈んでもらわないとできない。どうしてもこうしたくなってしまった。ちゅっと軽く音を立てて離れるとルーが驚いて目を見開いてる。
ルーの右腕が腰へと回って力任せに引き寄せられた。顎を鷲掴みにされて口を塞がれる。
「んっ、ふ……」
ルーとのキスは気持ちいいから好き。好きだけど妙な時に火をつけてしまった。出かけようとしているのに彼の唇は私の足腰から力を奪っていく。崩れ落ちそうなところでルーが離れた。しまった、という顔をしている。
「このままじゃ出かけられなくなる。さっさと行こう」
私は荒い息でこくっと頷いた。
社長に腰を支えられ、手を引かれて玄関へと向かう。
助手席に座らせてもらって流れる景色を見る。何度か社長の車に乗せてもらったけど、いまだに少し緊張する。初めて乗った雨の日ように居心地の悪さは感じない。それでも真っ直ぐ前を見る目と、ステアリングを握る左手、シフトレバーに置かれた右手はまるで陶器で出来た芸術品みたいで、静寂な博物館にいるようになぜか声を出してはならないと緊張した。
その手は私のそんな気もしらないで、私の手を絡めとる。そうすることで彼は嬉しそうな笑みをたたえた。
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Moon Fragrance