Moon Fragrance

木漏れ日の幸せ
02



 車はゆっくりと市街地を抜けて、前にお世話係さんたちと歩いて行ったところとは違うショップ街に着いた。ブランドものの高級ショップが立ち並んでいて目眩がした。
 ここで私に買える服はたぶんない……。

「ルー、あの……」
「遠慮するな。来なさい」

 そう言って有無を言わさずルーが私の手を引いていく。来慣れているように迷いなく店を選んで中へと入った。ショップの床は大理石だ。こんなお店入ったことない。
 一歩踏み入れたら店員さんが並んで、いらっしゃいませルーファウス様と恭しくお辞儀をした。
 彼女の普段着に合うものをいくつか頼む、動きやすいもので、とルーが注文すると店員さんがテキパキと大量にある服の名から、幾つかとは程遠い量の服を選んできた。それらをずらっとハンガーラックに掛けられて、言葉を失った。違う、そうじゃない。私が求めていたものは自分でラックや棚から選んで試着して、ってやつで……。
 立ち尽くしているとルーがその中から選別していってる。どうやらお気に入りは左のラックに、そうじゃないものは今掛かってるラックの隅の方へと寄り分けているようだ。なにも言えずに、どうするんだろうと眺めていると着てこいと言われた。
 戸惑いながらも店員さんに試着室へと追いやられる。
 まず1着目。Vネックのニット。文字通りVの字の切れ込みが胸元に入っていて、その辺りの肌見える。1度鏡で確認するが、そこからいくつかの赤い痕が見えて、試着室の外へ出られなくなった。

「リク?」
「だ、大丈夫です! ちょっと、ま……」

 試着した服を脱ごうとしたところで、シャッと小さくカーテンが開いてルーが覗き込んできた。

「わっ! な、なにして……」
「遅いからだ」

 なぜ脱ごうとしていると聞いて服を整えられた。ルーが私を見て、これくらいならいけそうだな、似合っていると言った。

「つぎ」
「出てってください……」
「なら、早く頼む。まだあるからな」

 そう言って次を渡されカーテンを閉められた。ダメだ、痕を気にして戸惑っていたら次はルーの手で着替えさせられかねない。
 覚悟を決めて2着目を見る。

「わ、ワンショルダー……」

 普段着ってなんだっけ……。でも着ないとまたルーが顔を覗かせるだろう。もー……。
 袖を通して鏡と向き合う。左肩が大きく出ていて際どい胸元のライン。これ、どこで着るの?

「あ、あのー……」

 カーテンを控えめに開けると、着れたか?とルーが顔を覗かせた。

「ふむ。いいな。だがやはり会社向きじゃないか。私の前だけで着てくれ」

 着ることは決定なんだ……。
 つぎ、と言って3着目を渡されカーテンを閉める。渡されたものを見ると今度はオフショルダー。ここまでの傾向を考える限り、ルーはどうやらデコルテラインが見える服が好みらしい。際どくならないように配慮する必要があるとはこのことか。
 カーテンを開けて彼を呼ぶ。私を見たルーの目が細まる。

「悪くはない、がやはり見えすぎるか。肩幅が意外と狭いみたいだな」
「もしかして、こういう襟が開いたのが好みですか?」
「ああ。ここが綺麗だと思ったからな。だが、他の男に見せるのは惜しい」

 そう言ってルーが私の鎖骨をなぞった。

「っ……お店です」
「人払いはしてある」

 ルーの目が熱く揺れて流されそうになるのを律した。

「ダメです」
「なら、襲いたくなる前に次を着てくれ」

 そう言われて試着室に引っ込んだ。そのあと二十着くらい着せられ、着せ替え人形と化した私は終わる頃にはヘトヘトだった。
 それでも出勤に着るものだからと絞りに絞って選ばれたのは5着。ニットやTシャツ、ブラウス。そのどれもが首下がよく見えるものだった。
 たくさん持ってこられたほとんどは見えすぎると却下されたものだ。それでもどうしてもとルーが言ったのが2着目だった。
 満足してくれるならいいと思って財布を出そうとしたら遮られた。レジのトレーに初めて見た色のカードが置かれる。

「や、やめてください! 自分で……」
「いい。財布をしまえ。そもそも一着の値段を知らないだろう」
「……」

 そう言われて思い出した。あまりにも次々と服を渡されるから失念していた。ここ高級ショップ街の中のひとつだ……。

「だめです……お願いします……!」
「引くと思うか?」
「その聞き方、ずるい、です」

 目の前に女性の店員さんがいるのにもかかわらず、私の耳元に唇を寄せて脱がせたいものしか選んでいないなどとのたまうから、みるみるうちに顔が熱くなった。
 ルーは私の腰を引き寄せて支払いを続けてくれと店員さんに告げた。店員さんに仲睦まじくてとても羨ましいですと言われて、顔を隠した。
 店のすぐ外まで見送りされて、商品の入った紙バッグを受け取ろうとしたら横からサッとルーに掻っ攫われた。

「自分で持ちます!」
「いい。今日は甘やかすと決めている」

 天下の神羅カンパニーの社長、ルーファウス神羅に荷物持ちをさせてるなんて……。

「次はどこに行きたい?」

 薄い色のサングラスから覗く目が楽しそうで、なんだか少年のように見えた。そんなことはもちろん口には出せないけれど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ可愛いと思ってしまった。
 思わずふふっと笑った私をどうした? と言って優しい目で見る。暖かい木漏れ日で日向ぼっこしているような心地のいい感情が溢れてきて、なんでもないですとルーの腕に抱きついた。
 きっとはたから見たらただのバカップルだろう。この先に起こることなんて私はまだ知らないのだから、きっと今はこれでいい。私は今、幸せなんだから。

「どこかでお茶にしませんか?」
「ならそこの店がいい」
「じゃあ行きましょう」
「わかった。危ないぞ」

 私はルーの腕を引いて歩いていく。普段は見ない彼の破顔を見れたことが嬉しい。私もニコニコ笑いながら言われたお店に入った。

「うわー、すごーい」

 壁一面の本棚にはぎっしりと本が詰め込まれている。心地の良いコーヒーの香りと本の紙の匂いで肺が満たされた。最近は電子書籍が主流になってきているからこんな光景滅多に見ない。初めて来たブックカフェに自分でも目が輝いているのがわかる。

「さきに席に着こう」
「あ! そうですね」
「楽しそうでなによりだ」
「ここ、とっても素敵ですもん」

 席に案内されてメニューを受け取る。
 ルーも楽しそうですよと言うと今気づいたのか少し恥ずかしげに目を細めた。
 ルーはホットコーヒー、私はアイスコーヒー頼む。私はうっとりと店内を眺めみた。

「読まないのか?」
「今はルーといますから」
「どんな本が好きだ?」
「よく読むのはSFです。うーん。でも最近はずっと機械工学の参考書か論文ばかりでした」
「リクらしい」

 彼は口元に手を当ててクスッと笑った。

「女の子らしくないですね」
「いや、私が好きになったのはそういうリクだ」
「もー……」

 私は赤面して顔を覆って俯く。

「やめるつもりはない。慣れてくれ」
「慣れません……ルーは、どんな本を読むんですか?」
「好みというものは特にないな。何でも読む。会社の資料室にあるものは粗方読んだし、ここにあるものもほぼ読み尽くしている」
「会社の資料室って……かなり量がありましたよね」
「ああ。リクが読んでいたのも知っている」

 私は目をパチパチさせた。見られてたの?

「それは秘密だ」
「ずるいです」

 彼は、ははっと笑って誤魔化した。
 お互い飲み終わったところでルーがまだゆっくりするか? と聞く。
 日差しは夕暮れ時に差し掛かっている。お店を出ることにした。
 ここは断固として支払うと言ってルーに折れてもらった。私のあまりの勢いに負けてわかったと苦笑いしていた。
 夕食の時間だって近いのに2人で1つのアイスを食べたり、綺麗な食器の並ぶショーウィンドウを眺めて話し合ったり、近くにあった公園の噴水の水に触れて笑いあったりして凄く穏やかな時間が流れた。
 もしかしたら私に合わせて付き合ってくれていただけなのかもしれない。でも笑ってくれるルーが嬉しくて、私もずっと笑っていた。
 いつの間にか予約してくれていたというレストランの夕食もとても美味しかった。お洒落なお皿に綺麗に盛り付けられた料理ひとつひとつがキラキラと輝いている。食べたことのないものばかりで戸惑ってしまったけれど、こうしたら食べやすいと教えてもらってなんとか上手に食べることができた。

「もう帰るのか?」

 車の中で流れる夜景を見ていると彼がそう聞いた。静かな声が何を言いたいのかがわかる。でも明日はお互い仕事だ。ルーは忙しい。それに私は多分、昨日の今日だと仕事に遅刻する気しかしない。

「一緒にいたい、です、けど……」
「わかっている」

 ルーが私の手を握って一呼吸置くと重く口を開いて私を呼んだ。

「リク。近々キミを会議室に呼び出す可能性がある」

 思わぬ言葉に彼の方を見た。そんな重たい空気で言われるほどのこと、私何かしたっけか。身構えたのがわかったのか小さく笑って解雇や処分の話じゃないと言われる。

「申し訳ないが、リクには少し酷な話になるかもしれない。機密事項だ、今は詳細は話せない。だが、君がその場で了承してくれると助かる」

 前を見つめる顔は私に向ける眼差しとは違った真剣さで、“仕事の顔”なのだと思った。

「そこでは私は社長だ。統括陣もいる。キミを一社員として扱うことになるが許してくれ」
「そこは大丈夫ですよ。気にしないでください」

 私の手を握るルーの手に力が籠った。これだけでちゃんと思ってくれていることがわかる。この温もりを覚えていられれば大丈夫だ。
 もうすぐ私のアパートに着く。もう少しだけ一緒にいたいなと考えていたら、車が少し通り過ぎて近所のパーキングにとまった。
 あれ? と思っているとちゃんと玄関まで送ると言われた。

「ありがとうございます。ルー、なんだか絵本に出るような王子様みたいですよ?」
「そんなに紳士的ならいいが」
「?」

 2人で並んで玄関の前まで来た。今日はここでお別れかと思い鍵を開けて今日はありがとうございましたと言うと、ルーが額にそっとキスを落としてくれる。

「入ったらすぐに鍵を閉めろ。いいな」
「ふふっ、わかりました」
「また連絡する。次の金曜の夜は空けておいてくれ」
「はい」

 ほらと言われて持ってくれていた紙バッグを受け取る。それをギュッと抱きしめてルーの顔をまっすぐ見上げた。

「ありがとうございました。服もネックレスも、ピアスもちゃんと大事にします」
「ああ。次は外すなよ」
「それでは、また」
「また」

 私はしっかりと頷いて自室に入った。少し名残惜しくゆっくりとドアを閉めると、もう一度鍵をすぐに閉めろと念押されて笑ってしまった。
 私はきっと今日の思い出だけでずっと生きていけそうな気がした。
 意外と早く会議室に呼び出されるのも、世界の動きが早くなるのも、私は知らなかったのだから。
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