Moon Fragrance

触れてほしい人
02



 震えながらイリーナさんに支えられて歩く。ロッジの前に来ると、玄関の前にルーが立っていた。心配そうな顔で私を見つけると、近づいてきて手を伸ばそうとしてやめた。私が怖がると思っている。
 やめなくて、いい。震えの止まらない体が、訴えている。抱きしめてほしい。
 衝動的に走り出して足がもつれさせながら彼の胸に飛び込む。受け止めてくれたけれどルーが少しよろけて、しまったと思ったのに我慢できなかった。

「ルー!」
「リク……?」

 名前を呼びながらルーのジャケットに縋り付くと、驚いたようだけどすぐに彼の腕が抱きしめてくれた。苦しく痛いほどに強く、強く。噛みしめるように。
 体の震えが治まっていく。気持ち悪い感触も、恐怖も溶けていく。
 この人が好き。記憶がなくても、何度でも好きになる。心の底からこの人だけを求めてる。ルーの腕の中はなによりも安心した。
 落ち着いたせいか体に力が入らなくなって、腰が抜けた。

「リクさん!」
「リク」

 がくりと膝をつきそうになった私をルーが引き上げてくれる。

「イリーナ、助かった」

 ルーがイリーナさんにジャケットを返すと、私を横に抱き上げる。驚いて固まってしまう。それにルーだってまだ、怪我が……。

「おろ、してください。怪我……」
「リクくらいなら問題ない」
「下にいるのでなにかあったら呼んでください」
「わかった」

 イリーナさんと短く言葉を交わして、ルーがロッジへ入ると2階へと上がっていく。私を抱きかかえているのに、本当になんでもなさそうに階段を上がって驚いた。
 私の部屋のドアを開けて中へと入る。私をベッドへと腰掛けさせて自分も座ると私を力一杯に抱きしめてくれた。

「ありがとうございます。ルー、体は……」
「問題ないと言っただろう。私よりも自分の心配を……!?」

 ルーの背に腕を回し、ギュッと力を入れる。もぞもぞと顔を上げて彼の形のいい唇に、自分の唇を強く押し当てた。彼が少し驚いたけれど、口元が綻ぶのを感じてすぐ、何度も何度も確かめるように角度を変えて合わさった。

「ふっ、ん……」

 大きな手が私の頭の後ろに回って、下唇に吸い付き食むその仕草に食べられてしまいそうだと思った。息苦しかったけれど、幸せだった。
 長い時間、確かめ合うように唇を重ねて自然と離れたときには、興奮したように湿った息を吐いていた。

「思い出したんだな」
「全部じゃ、ないですけど……。でも、大好きな人がいるということは、ちゃんと」

 ルーが嬉しそうに優しく微笑んだあと、ある場所を見つめて綺麗な顔を忌々しそうに歪めた。
 彼の指の背が、なぞるように私の頬に触れて下へと滑る。そのまま首筋を辿り、さっきフィルさんに嫌な感触を残された場所辺りに触れた。血の気が引いて、体が硬直した。
 ルーの顔が首元に近づいてくる。

「ひぁ、いっ……」

 痕を塗り替えるように強く吸い付き、自分が付けたとでも言うようにチロリと舌先でくすぐった。そして彼の独占欲は、その周りに噛み痕まで残した。

「他になにをされた?」

 まさか噛まれると思っていなかったから、目をパチパチとさせているとルーが唸るように低く聞いた。私はそれに慌てて首を振る。

「些細なことでもいい。やつに触られた場所はどこだ」
「右腕と、両手首……、腰、です」

 出しづらくて掠れてしまった声で伝えると、ルーが私をそっとベッドへ押し倒した。私の好きな、綺麗な青い瞳が私を見下ろしている。
 不安げに聞こえた低い声が、怖いかと問いかけた。私はそれに首を振る。怖いはずがない。今の私には彼を、恋人であるルーを拒む理由はなかった。むしろ、触れてほしい。
 私は、あなたが好き。ルーだけに触れてほしい。
 ルーの手が私の手首に触れて口付けながら言った。

「ロッジから出すんじゃなかった。あの男に、弟などいない」

 ルーにしては珍しく後悔したように呟いた言葉に耳を疑った。

「目的は最初からリクだ」
「え……」
「キミを油断させて襲うために嘘をついていた。リクが思った以上に靡かないから強硬手段に出たようだ。怖い思いをさせてすまない」

 もう片方の手首にも同じように口付ける。右腕にも滑らせるように唇が触れた。その場所が、とても熱く感じる。

「すまないなんて、私……。ずっとルーに守られてましたよ」
「触らせたくなかった」

 Tシャツの中に手が滑り込み、軽くたくし上げられると腰にもリップ音を鳴らして触れる。壊れ物を扱うような優しいそれらは、肌に残った気持ち悪さをすべて拭い去った。
 それでも苦しげに顔を歪めるルーの頬を私は包み込む。

「今、ルーにこうしてもらえてるだけで、私はもう大丈夫です」
「リク……、愛している」

 そう言ったルーの声がすんなりと私の中に入り込んできて、私はまじまじとルーを見た。宝石のように透き通った瞳と目が合う。私の口が、自然と綻んだのが自分でわかった。
 ああ。この低くて、甘くて、優しい、どこか寂しげな声は、夢の中でずっと聞いていた声だ。そうか、ルーだったんだ。
 ルーの頬を両手で包んで見上げるだけの私に、ルーの動きが止まった。

「リク?」
「夢の中でずっと聞こえていたんです」

 私の声は独り言を呟くような、ポツリポツリとしたものだった。

「甘くて、優しくて、寂しそうで。でも、それを聞いてる私はどこか幸せを感じてて」

 ルーが目を細めてじっと私の話を聞いている。

「夢だから、誰に言ってるのかなって。それを向けられている人はいいな、私にもくれないかなって。それなら、もっと幸せだって思えるのにって。ずっと思ってました」
「夢じゃない。ずっとキミに、リクにだけ言っていた」
「ルーだったんですね。聞こえてましたよ。思い出したのはまだ、全部じゃないですけど、これだけは確かです。ルー、愛してます」

 声が震え、目の前が滲んだ。そしてつーっとこぼれ落ちた涙をルーがそっと親指で拭って、嬉しそうに微笑んだ。

「私、また……っ」
「ん?」
「ルーのこと、好きになってました」
「知っていた」

 今更なにをと彼が笑う。しっとりと口づけられて、余韻を残すようにゆったりと離れる。

「何度でも振り向かせる自信がある」
「言われた通りになりました」
「これは思い出したのか」

 頷くとまた、愛おしく唇を重ねられた。何度も何度も角度を変えて、もう離れないとでも言うように。自分のものだと言うように。
 頭の中がぼーっとしてきた。少しずつルーの手が私の肌を滑っていく。くすぐったいと体をくねらせると、その動きが大きくなる。このままだと確実に、そういう流れに……。
 あれ? ルーはまだ、本調子じゃないよね、と考えて手を掴んで止めさせた。怪我だって完治はしていない。ルーがなぜ止めるのだと不服そうに顔を上げた。

「ルー、怪我……まだ、ちゃんと治ってませんよね?」
「だからなんだ?」
「せめて怪我が治るまでダメです」
「どれだけリクに触れ……」
「ダメです」

 きっぱりと言うと、ルーが大きく息を吐いて私の横に寝転がる。私を背中からぎゅっと抱きしめてうなじにチュッと音を立てて吸いついた。

「心配してるんですよ?」
「ああ」

 こんなところでお預けを食らうとは思わなかったとルーがボヤいた。
 私の怪我のときは私を心配して手を出さなかったのに、自分のときはお構いなしなようだ。私の体を撫で回すルーの手が、不満だと物語っている。

「だめ、ですよ……?」

 ルーは監禁や療養生活のせいで体力が落ちている。その上、星痕を発症しているので“調子がいい”という日であって、体力を戻すために少しずつリハビリをしているけれど、万全な日というのはなかった。
 他の患者さんにも聞いたけれど、どんなに調子が良くても突然痛みだし、頭にノイズが走るような感覚がするのだという。そんないつ体調を崩すかわからないときに、いいですよなんて言ってあげられない。

「わかっている」

 ルーは至極不満そうに、子供が駄々を捏ねるようにそう言ったので笑ってしまった。
 その日からルーは、毎晩寝る時は私の部屋へ来て一緒に寝るようになった。シングルの狭いベッドで、私を抱き枕のように抱きしめて。時々、もぞもぞと私のパジャマの中に手を入れてきたりしながら、2人で窮屈に寝た。それだけで幸せだった。
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