Moon Fragrance

触れてほしい人
01



 本社ビルから帰ってきたあとだった。ルーファウスさんを見て顔に熱が登るほどの恥ずかしさが込み上げてきて、部屋へと逃げ帰った。ドアに寄りかかってなんとか熱さを引かせようとする。
 ルーファウスさんから逃げてしまった。すごく失礼なことをした。なんて顔の合わせづらいことをしてしまったんだろう。変に意識して心臓がドキドキしている。
 そして、あのデコルテラインの見える服をルーファウスさんに見てもらいたかったのだとしたら、それもなんて恥ずかしいことをしていたのだろう。逆にプレゼントされたとしてルーファウスさんが? それとも他の人が……? 考えれば考えるほどますますわからない。着てみれば、なにか思い出すだろうか。
 1着1着と手に取って着てみる。5着あるうち、比較的、露出の少ない服から。でも姿見を見てみるもしっくりとこない。やっぱり自分で買うことのない服だからだろうか。最後の1着を手に取って悩む。ワンショルダーなので1番露出が多い。
 私がこれを着るために買うとは到底思えない。数分考えたのち、小さく溜め息をついて着てみることに決めた。今着ている物を脱いで、腕を通す。襟から頭を出して姿見をしげしげと眺めた。
 誰かに見られているわけでもないのに、さらけ出された左肩はただただ恥ずかしい。しかも、こんなことをしているときにドアがノックされるとは。

「リク、少しいいか?」
「はい! へ? あ、ちょっとま……」

 最初に思いきりのいい返事をしてしまったからか、ドアが静かに開いた。ドアを開けた人を見て恥ずかしくて固まる私と、恥ずかしい服を着ている私を見て固まる……ルーファウスさん。
 綺麗な瞳が優しく細められて、口元には微かに笑みが浮かんでいた。その表情は、どういうつもりで私に向けられたものなのだろう。
 私は慌てて近くに一緒に出した仕事着のウィンドブレーカーを羽織る。

「あ、あの……」
「恥ずかしいか?」

 穏やかな声でそう言われて、私は羽織ったウィンドブレーカーの前を手でギュッと閉じた。それを見たルーファウスさんがクスッと笑う。

「似合っている」
 ――似合っている。

 ルーファウスさんの言葉に重なるように、頭の中で同じ言葉がこだました。私は頭を押さえてよろめいた。

「リク!」

 ルーファウスさんが慌てて近寄って、私を抱きしめるように支えた。心配そうな声が、大丈夫かと問いかけた。私はなんとかコクコクと頷く。

「座りなさい」

 ルーファウスさんが私をベッドへと腰掛けさせる。耳鳴りがやまない。ルーファウスさんに横になるかと聞かれたけれど、大丈夫だと答えた。
 私の頭の上に優しく手が置かれる。その手すら懐かしく心地いいと思った。少しずつ、少しずつ、私の中の不思議な気持ちが大きくなっていく気がした。

「私の前では無理をしなくていい」
「ルーファウスさんは、どうして、優しく……」
「私が優しい? そうならいいのだがな」

 ルーファウスさんはククッと自嘲気味に喉で笑った。

「出かけている間になにかあったのか?」
「へ?」
「私から逃げていくのが、少し懐かしく感じたからな」

 懐かしく……? どういうことかわからずに首を傾げると、今はわからなくていいと私の頭の上に置いていた手を滑らせて、髪を梳いた。その仕草にまた心臓が暴れ出して、耳鳴りもいつしかやんでいた。

「調子も戻ったようだ。少し話をしてもいいか?」
「はい」
「明日からも患者のいるロッジへ行くんだろう?」
「そのつもりです」
「送り迎えにタークスの誰かを護衛につける」

 そこまでしなくていいと言おうとすると、私の口に人差し指を当てて言った。

「拒否は受け付けない。危ない目に遭ったばかりだろう」

 いいなと念押されて頷くしかなかった。それを満足そうに見届けると、再び私の髪を優しく梳いて部屋を後にした。彼の指が少し触れた首筋が熱かった。
 試しに着た服を、元来ていた服に着替える。やはりこちらの方が落ち着くと鏡を見て思った。
 下のキッチンへと降りて夕食を作りにいく。みんな仕事の合間を縫って各々に食べて、また仕事に戻る。私も自分の分を頂いて、部屋へと戻った。明日の確認をして眠りについた。
 ルーファウスさんに言われたとおり、患者さんのロッジに行くときや整備、本社から持ってきた機器の修理に行くときは必ずタークスの誰かが護衛についてくれた。数日間は比較的静かに、何事もなく過ごしていた。
 過ごしていたのに、何事もなかったからこそ油断していたのかもしれない。
 患者さんたちの様子を見終わった後だった。今日も誰かが迎えに来てくれるのを待っていると、あれから姿を見せなくなっていたフィルさんが姿を見せた。体が強張る。
 私が今いるロッジの患者さんたちの症状は重く、基本的に寝たきりだ。それをわかっていてここに来たんだろう。と言うことは恐らく、私が送り迎えにタークスの誰かに護衛を付けられていることも知っているはず。
 先生も軽度の患者さんも隣のロッジだ。叫んだところで、助けが来ることはほぼないだろう。あともう少しでタークスの誰かが来てくれる。時間稼ぎができたら、なんて甘い考えだった。
 フィルさんはなにも気にすることなく私の腕を力強く掴み、無理矢理にロッジから連れ出す。掴まれた腕が酷く痛い。足を踏ん張るも、男の人に力では敵わない。

「いたい! は、なして……」
「こいよ。すぐ終わる」
「助けて!」

 抵抗しながら叫ぶも、ずんずんと森の中へと連れ込まれていく。時折、悪い足場につんのめって力が思うように入らず、奥の方まで来てしまった。
 怖い。なにをされるのかは大体察しがついてる。嫌だ。気持ち悪い。

「や、だ! 離してってば!!」
「大人しくしろ」

 木に押し付けられて手をまとめ上げられる。身を捩ってもやっぱり力は敵わず、Tシャツを引っ張られて繊維がミシミシと悲鳴を上げた。

「た、すけて……」
「流石にあの取り巻きの連中も森の中はわかんねーよ。1度だけだって、いいだろ?」

 フィルさんの顔が近づいてきて、服の上から体を触られる。ゾワっとしたものが背中を駆け上がって、鳥肌が立った。頭の中が冷えていく。

「いや、やだ! やめて!」

 暴れるも、離してもらえない。首筋に唇が近づいてつねるような痛みが走った。

「あの男、これ見たらどんな顔すんだろうなぁ」

 フィルさんが下卑た笑みを浮かべた。
 恐怖と気持ちの悪い感触にボロボロと涙がこぼれ始める。その上、ズキズキと頭が痛み出して、抵抗する気力すらなくなってきた。
 頭の中でバチンと弾けるような音が鳴った。一気に断片的な映像が雪崩れ込んできて、吐き気がした。
 雨の日のこと、整備場で助けてもらったこと、彼の家で療養させてもらったこと。いつの間にか、彼に惹かれていたこと。大切にすると言った、透き通った彼の目の色をした青いピアス。ヘリポートで怖がる私を安心させてくれた手、初めて触れられた夜。
 頭に流れた映像はほんの少しだけれど、私が誰に触れてほしいのか、誰に助けてほしいのか、思い出した。
 幼い頃、僅かな短い期間遊んだ綺麗な男の子。大人になっても変わらない、綺麗な人。
 決してこんな乱暴な人じゃない。私は今もまた、どうしようもないほど彼に惹かれている。ここは森の中だ。届くかどうかわからない。それでも渾身の力で叫んだ。

「ルー! 助けて!」
「彼女を放しなさい!」
「悪い人について行っちゃいけません、ってな。ったくよ、まさか送り迎えの隙をつくとはなァ」

 声のした方を向くと険しい顔で銃を構えたイリーナさんと、ニヤリと笑いながらロッドで肩をパシパシと叩いているレノさんが立っていた。
 別に好きでついてきたわけじゃないんだけど、なんて軽口を叩く余裕は全くない。彼らを見ただけで少し安心するのだから、ルーのおかげでどれだけ守られていたのか実感する。

「わりぃな姉ちゃん、社長じゃなくてよ。流石に森ん中には入って来れねえからよ」

 フィルさんが私の手を離して舌打ちした。支えがなくなって、力のない足はその場に崩れ落ちる。目の前でカチンと音がした。

「アンタ、その姉ちゃんに2度と近づくなって言われてなかったか?」
「あんな怪我してる奴に言われてもなぁ。おっと、近づくなよ? 見えてるだろ?」
 
 音の正体は折りたたみのナイフ。それが顔に近づけられている。体が震えて、ひっと声が出た。
 あれ以上抵抗していたら、抵抗していなくてももしかしたらと考えると、背筋を冷たいものが伝った。

「見えてるけどよ、俺の方が速いぞ、と」

 なにが起きたのかわからなかった。レノさんは一瞬でフィルさんとの距離を詰め、気づけば私とフィルさんの間に立っている。
 レノさんの電磁ロッドがバチンと鳴って、フィルさんが跪いた。

「イリーナ、姉ちゃん頼んだぞ、と」
「はい。大丈夫ですか!」

 イリーナさんが走ってきて、私にジャケットを掛けてくれた。コクコクと頷きながら支えられて立ち上がった。
 足が震えていて歩きづらい。

「あの……、ふぃる、さん、は……」
「こんなクズより自分の心配しろよ。社長に言われてるから殺しはしねーよ」

 振り向きながら歩くとイリーナさんに心配しなくていいと言われる。殺さないという言葉にはほんのちょっとだけ、ほっとした。
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