Moon Fragrance

4月30日 思いやりの種
思いやりの種



「朝早くに失礼します」

 私たちが目を覚ましたのは、寝室のドアをノックされる音とルードさんの申し訳なさそうな声が聞こえたからだった。

「なんだ」

 ルーの仕事関係の話だろうと、私は彼から体を離そうとするのを引き寄せられた。目が腫れているせいか、眠く感じる。それを感じ取ってか、ルーの人差し指の背が私の頬を撫でるのに甘えて、擦り寄って目を閉じた。

「それが、鉢植えを持った子供と、その父親が店主であるリクさんに話があると」

 そう聞いて、私は目をゆっくりと開けた。ルーからは小さな溜め息が聞こえた。

「分かった。少し待たせておけ」

 ルーがそう言うと、ルードさんの返事と去っていく気配がした。私はぼんやりとしながら体を起こす。乱れていたパジャマが肩から滑り落ちた。ルーも体を起こして、私の頬を包むように触れた。

「リク。オレが話そう」
「大丈夫だよ。自分で、話してみる」
「……ならば、せめて隣にいる」
「でも……、わかった」

 じっと見つめられて、私は頷くしかなかった。
 いつもは、着替えているところを見られるのはなんだか恥ずかしくて、ルーの支度が終わってから着替えるようにしているのに、今日はもう、そんなことは考えられなかった。ずり落ちているままにパジャマを脱いで、ベッドを下りてクローゼットを開けにいく。緩慢な動きで仕事着ではなく、せめて小綺麗に見えるように着替えた。
 ルーもゆったりとした動きで支度を始める。顔を洗ってくると伝えると、その前にキツく抱きしめられた。私はそのままルーの腰に腕を回して抱きつく。暖かさに少しだけほっとした。
 少し名残惜しく感じるけれど、私は離れて部屋を出る。歯を磨いて、顔を洗って、ルーを待って彼と一緒に店へと下りていった。店の玄関にはルードさんと、彼が言った通り植木鉢を持った男の子と、そのお父さんらしき男性が待っていた。
 男性は私たちを見るなりハッと顔を上げて、そのあとすぐに男の子にも謝らせるように頭に手を乗せて腰を折った。

「申し訳ございません!」

 発せられたそれが凄い勢いだったものだから、ポカンとしてしまう。店内半ばで立ち止まった私の腰に、ルーが手を当てて玄関へと導いた。合図を送られたらしいルードさんはただ頷いて、家の中へと戻っていった。
 頭を下げさせられている男の子は、震える手で植木鉢を抱きしめていた。そこに植っている花は、確かに私が昨日の朝に見た花で、植木鉢も私が買ったものだ。私が様子を見ているあいだも、男性はずっと頭を下げていた。
 こういう状況に慣れていない私は、どうすればいいのか分からず隣にいるルーを見上げてしまう。でもルーは、感情の読めない、それでも少し険しげな顔をやめ、大丈夫だと言うようにゆっくりと一度、私に瞬きをしただけだった。自分で話すって、言ったんだもんね。

「あ、の……、顔をあげてください。なにがあったのかを……」

 私がなんとか声を出すと、男性はおずおずと顔を上げた。そして鎮痛な面持ちで話し始めた。

「仕事を終えて家に帰ると、見たことのないその鉢植えがあったのです。息子にどうしたのかと尋ねれば、お小遣いで買ったのだと……」

 男の子は話を聞きながら俯いている。

「ですが、未だに花は高価なものです。子供に与えているお小遣いを集めたとしても、到底買えるものではありません。ましてや、そんなふうに丁寧に鉢植えに植えられ、見たことのない珍しそうな花など……。ですから問い詰めたのです。そうしたら、こちらの店先から盗ってきたものだと」
「ごめんなさい……」

 声を上ずらせながら初めて自分の口から謝る男の子に、私は膝を折って目線を合わせた。男の子は固く目を瞑っていた。どうして、持って行こうって思ったんだろう。嘘をついたってことは、それなりに理由があると思う。

「お父さんに、たくさん怒られた?」

 そう聞くと、男の子は小さく頷いた。

「お父さんに嘘ついちゃったの、ダメだって分かってたからだよね」

 男の子はまた頷いた。

「そのお花、綺麗で、丸くて可愛いよね。誰かに、見てほしくなるよね」

 ただ頷きを続けるだけの男の子に、私は続けた。

「一緒だね。私もね、見てほしかったんだ。1番大好きな人に」

 私がルーを見上げると、ルーは珍しく居心地の悪そうな顔をした。でもそこで、やっと男の子は弾けるように顔を上げてくれた。

「ごめっ……い。ぼく、ぼく……」
「誰に、見てほしかったの?」

 泣きだしてしまった男の子は、やっとの思いで声を出した。

「おか、さん……」
「見てもらえた?」

 男の子は首を横に振った。えぐえぐと泣いて、それ以上話せなくなってしまったようだ。でも察してしまった。一晩お家に置いてて見てもらえなかったってことは……。私はお父さんを見上げた。

「妻は去年、病気で……」
「おかあさん、ずっと、お花見てみたいって……」

 去年、ということは星痕ではないのだろうけれど、なんだか自分の子供のころを少し思い出してしまった。どうにもならないって分かっていても、どうにかしたくなっちゃうし、せめてって思っちゃうのも凄く分かる。でも、黙って持って行ってしまうのは、どんな理由があってもダメ。
 分かるからもっと怒れない。怒れないけれど、自分が頑張ったものを簡単にあげてしまうのは、違う。それに盗んだ物を、綺麗でしょってお母さんに見せるのも、たぶんお母さんは素直に綺麗だねって思えないよね。そこで私は、まだ種があったなと思い出した。

「それはあげられないけど、別のいいものをあげる。ねえ、いい?」
「リクにあげた物だ。キミの好きなように」

 私は立ち上がってルーに問いかけると、どうしたいのか分かってくれたらしい。そう返事を貰った私は、男の子にちょっと待っててと言い残して階段を駆け上がった。2階の作業部屋にまだ残っている種を置いてある。私はそれを紙に包んで、また店先へと下りて行った。

「はい、どうぞ」

 私は植木鉢を受け取って、代わりに種を包んだ紙を渡した。

「このお花の種を包んだよ。勝手に持って行っちゃうのは泥棒さんだけど、これは私が君にあげる物だから、泥棒さんじゃないよ。頑張って育ててあげて。そっちのほうが、お母さん喜ぶと思うな」
「ありがとう。盗んじゃってごめんなさい」
「いいんですか……?」

 男性が驚いた声で私に聞いた。確かに花はこの辺りではまだ高価だし、実際に私もこの花は初めて見たけれど。綺麗だな、誰かに見てほしいなって同じこと思ってくれたなら、それでいいんじゃないかなって思う。

「ちゃんと謝りに来てくれたもんね。自分でお礼も言えるし、いいですよ」
「ありがとうございます。本当に申し訳ございませんでした」
「ちゃんと育ててね。約束」
「うん!」

 男の子は包みを握りしめて、男性は何度もお礼を言いながら2人で手を繋いで帰って行った。それを見送って、私は返ってきた植木鉢の花をしゃがんで眺める。なにかを包み込むように、まあるく咲く花。それをちょんとつついて、ルーに笑いかけた。

「綺麗だね」
「ああ、本当に」

 よかった。ルーに見てもらうことができて。

―――※―――※―――

 お風呂から出て寝室へ向かうとルーがベッドに腰掛け、ヘッドボードにもたれながら本を読んでいた。

「ルー、ありがとう」

 本から顔を上げたルーに、私はヘッドボード近くのベッドの縁に座ってそう言った。なにもしていないと笑いながら言ったルーは、読んでいた本を置いた。そんな彼に近づいて、ルーの胸の辺りにそっと手を当てて顔を寄せる。

「なにも言わないでいてくれた」
「リクが自分で話すと言ったからな。それに、本当にオレでは思いつかないことをする」
「へへっ。ありがと」

 私はルーの頬に唇をそっと触れさせて、自分からは未だに恥ずかしいキスに、座り直してすぐにふいっと顔を逸らせてしまった。まだ、昨日の夜に慰めてくれたことにもお礼を言わないと。

「昨日も、その……、慰めてくれたの、ありがとう」
「ああ」
「でも、あげちゃったけど本当によかったのかな、あの種。私も見たことない花だった」
「同じ花は咲くが、色が安定しなくてな。品種改良中でまだ出回ってはいないが、宣伝になりそうだし、いいだろう」

 滅多に聞くことのない言葉に耳を疑う。品種改良中って、あれ、まさか、ルーが?
 私は不思議に思ってルーの顔をまじまじと見る。

「取引している会社が作った物だ。出資しているだけでオレはなにもしていない。種を貰ったのはいいが、オレには育てられそうもないからな。あとは先日行ったヒーリンの花も、その会社との取引の結果だ」
「もう、教えてよ……」

 私がぼやくと、出資しているだけなのだから教えるようなことじゃないとルーは笑った。
 私が自分のことで怒らないなら、ルーは自分のいいところを隠す人だ。ビジネスがメインで褒められたくてやってるわけじゃないのは分かっているけど、ちょっとぐらい周りの人がいいことで驚くくらいのことはあってもいいと思うのに。
 
「ルーって本当は恥ずかしがり屋?」
「なんのことだ?」
「だって、自分のこと言わないもん」
「面白くないだろう」
「そういうことにしといてあげる」

 だから違うと言いかけたルーの頬に、また唇を触れさせると彼は黙り込んだ。それが少し面白くてちょっと笑いながらもう一度キスをすると、ルーが珍しくムッとした顔をした。そしてすぐに呆れ顔になる彼に、今度は唇をそっと重ねる。
 体重をかけないようにルーの上に跨って、また胸の辺りに手を置いた。昨日、ルーがそうしてくれたように、今度は首筋へと唇を押し当てた。自分でしておいて恥ずかしくなったけど、私も肌を吸うようにチュッと音を立てる。顔が熱くなってくるのを堪えて、私はルーのワイシャツをはだけさせるようにボタンを外していった。そして胸元にも同じようにキスを繰り返す。今日は、ここでやめるわけにはいかなかった。だって……。

「リク、そろそろ……」
「うん?」

 どれだけ繰り返したのか、やめさせるように頬に触れられた手に、私は顔を上げた。見上げたルーの顔は、これ以上は我慢できなくなると言いたげに熱い瞳が私を映している。それにルーのが、反応を示しているのも知っていた。あわよくばと考えていたけれど、やっぱりずるいよね。昨日、欲しいって言えずに寝ちゃったから…… 。

「その、つもり、だったんだけど……」
「明日は休みじゃないぞ?」
「うん。だから、ちょっと……だけ……」

 それを聞いたルーの顔は、驚いたようだったけれど、すぐに顔が穏やかになった。そして頭を引き寄せられて、改めて唇が重なる。
 昨日のルーも、本当は我慢していたらしい。性急に絡めとられた舌に力が抜けて、ルーの上に座り込んでしまう。歯列の裏をなぞられるくすぐったさに体が逃げようとした。それを腰から抱き込まれて、いつものように逃げられない。
 ルーのもう片方の手が、私の胸の辺りをまさぐりだす。それにもただ息だけが漏れるばかりで、上手く呼吸ができない。やっと解放してもらえた唇に、たくさんの酸素を吸うように顔を上げると、彼が息を飲んだ音が聞こえた。キスする合間にルーがそろりと外していたパジャマのボタン。その合わせから、淡いピンクの下着が覗く。それは、ホワイトデーにルーが買ってくれたもの。お礼、になるかは分からないけれど、ずっと着ないわけにもいかないし、意を決して着てみた。それを見たルーの口の端が上がった。

「わっ」
「ちょっと、で終わればいいが……」

 そう囁かれたときには、ルーの顔ごしに天井が見えていた。
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