Moon Fragrance

10月3日 遠い記憶
遠い記憶



「ぱぱー!」
「っ!?」

 だんだんと昼の長さが短くなってきて、肌寒いと感じることが増えてきた。そんな夕暮れ前のルーと散歩の帰り道。子供の大きな声が後ろから聞こえて振り返ると、その瞬間に彼がよろめいた。ルーの足には小さな男の子がしがみついている。

「なんだ?」
「パパって?」
「おかしな誤解をしないでくれよ?」
「あはは、分かってるよ」

 彼の顔を見上げた私を見下ろして、珍しい慌て様に私は可笑しくて笑ってしまう。だけどルーの足に抱きついている男の子は、私と彼を交互に見上げて今にも泣き出しそうな顔になった。

「この子、見たことないなぁ。どこから来たの?」

 私が膝を折って目線を合わせると、男の子の目が潤み出した。あ、まずいと反射的に思ってルーに相談もしていないのに口走ってしまった。

「パパ、一緒に探そう?」

 だけど言い終わらないうちにルーのスラックスを握りしめて、わんわんと大きな声で泣き始めてしまった。思った以上の大きな声に面食らって、私までルーを見上げてしまう。溜め息をつきながら苦笑したルーが、まず最初に私の頭をガシガシと撫でた。

「リクまで泣きそうな顔をしないでくれ。ったく、お前も泣くな。私も探してやる」

 意外にもルーはそう言って、男の子を抱き上げた。そして、ほらとまだしゃがんだままの私へ手を差し出した。私はそれに甘えて手を掴んで立ち上がった。

「ありがとう。ごめんね、勝手に」
「……リクがいるからな」

 ルーが珍しくバツが悪そうに視線を逸らせた。ほんのりと頬が赤らんでいる気がする。私も意外だと思った行動は、ルー自身も落ち着かないらしい。男の子はというと、抱き上げられていきなり高くなった視線に泣き止み、目をキラキラとさせている。ルーは背が高いもんね。

「その子楽しそうだよ?」
「……まったく」

 ルーは呆れ顔で大きな溜め息をついた。それに笑ってしまうと、目を細めて口角が上がった。あ、まずいかも……。

「ね、ねえ、僕の名前は?」

 私はルーから男の子へと視線と話題をずらす。

「トム」
「トムくんはパパと来たんだよね? どこのお店か分かる?」

 聞くとトムくんは来た方向へと指をさして、ただお洋服屋さんと答えた。

「お洋服屋さん……」
「あっちのほうはたくさんあるぞ」
「誰の服を買いに来たの?」
「トムとパパの」

 私たちは顔を見合わせて無言になってしまう。ルーは頭が痛いとでも言うように、片手で額を押さえた。
 トムくんの服だけなら子供服のお店に絞れるし、パパの服だけなら紳士服や男性向けのお店などに絞れたんだけど……。これじゃあ、どちらに限らず、アパレルショップをかなり探すしかない。

「どんな店か覚えているか?」
「うーんと、お洋服がいっぱいあったよ」

 子供らしいのかもしれないけれど、どうにもしようがない返答に吹き出してしまう。

「そうだね。お洋服屋さんだから、いっぱいお洋服置いてるもんね」
「早く探そう。陽が暮れる」

 このままじゃ埒があかないとルーが私の手を引いて、男の子が指差したほうへ歩き出した。空が少し赤みを帯びてきている。

「トムくん。この近くに来たことある?」
「うーん」

 どうやら土地勘もないらしい。きっとこの通りの付近には住んでないんだろう。探そうとは言ったものの、私も少し不安になった。
 少し歩いた先、まず1番近くにあった洋服店のウィンドウを覗き込んだ。ここは? とトムくんに確認してみるけど違うと首を振った。一応店員さんにも聞いてみたけど、トムくんやそれらしきパパは見かけなかったと言われた。
 2軒目、3軒目と子供服店や紳士服、それに限らず複合店も見てみたけれど、どうやらトムくんはピンと来ないらしい。

「店を飛び出して来たのか?」
「パパがいなくなっちゃったから……」

 パパが服を選んでいるあいだに暇になって遊んでいたら見失っちゃったのかな。いないと思って店を出たら迷子になったのかもしれない。街並みは栄えてきていても、外観は確かに似通っているかも。自信のなくなってきたトムくんは次第にしょんぼりとし始めた。1軒、2軒と増えるごとに目に涙が溜まり始める。そして、とうとう泣き出してしまった。

「あぁ、泣くんじゃない」

 珍しい困り顔でトムくんをあやすルー。助けを求める表情に、私はトムくんと手を繋いで笑いかける。

「大丈夫だよ。絶対に見つけるから。ね?」

 トムくんはまだぐずりながらも、涙は止まったようだ。だけど、またきっかけがあればすぐにでも泣き出しそうな状態だった。
 まだ小さいもんね。パパとママはいないし、こんな知らない人がいっぱいいる場所じゃ余計に不安になっちゃうか。
 何度も大丈夫だからねと励ますけれど、トムくんは沈んだままだ。見兼ねたルーが今度はトムくんを肩車してあげた。もっと高くなった視界に、トムくんに少し笑顔が戻った。よかったと思いつつ、ちょっと歩いた先でトムくんが投げかけた質問にルーが苦い顔をした。

「おじさんは泣かないの?」
「…………いや、泣かないな」

 おじさん……。子供から見ると、ルーってそんな歳? 体は今でも鍛えているし、表情は前よりも柔らかくなったけど、変わらないように見える。毎日一緒にいるからかな。

「トムはいっぱいなくよ」
「今のうちにたくさん泣いておけ。気がついたら泣けなくなっている。リクはなにか余計なことを考えていないか?」
「へ!?」

 唐突なフリに私は声が裏返った。慌てて首を横に振るけれど、ルーはジトっと私を見ていた。

「と、トムくんは何歳?」

 ごめんねと思いつつ、私はトムくんに話題を振る。ルーがふっと鼻で笑った。

「よんさい」
「好きな食べ物は?」

 ルーがトムくんを肩車して、ニコニコと質問に応じてくれるトムくん。トムくんにとっては大変なことなのに、ルーがパパになったらこんな感じなのかなとか、誰かから見ると私たちって家族に見えてたりするのかなとか、考えてしまった。

「ぐるぐるキャンディー!」
「私ね、食べたことないんだ。美味しい?」
「うん! いっぱい色がぐるぐるしてて、おっきいの」

 カラフルだもんね。あれって何味なんだろうと考えていると、トムくんが思い出したように大きな声を上げた。

「なにか思い出した?」
「パパにぐるぐるキャンディー買ってもらうの」
「それって今日?」
「うん!」

 私とルーは顔を見合わせた。どうやら意見が一致したみたいだ。私たちは一本隣の細い通りへと向かった。そこにお菓子屋さんがあったはず。

「トムくんもしかして、お菓子屋さん探してた?」
「うん! お菓子屋さん見てくるねってパパに言ったよ」
「父親を置いてきたらダメだろう」
「つまんなかったの」
「それで迷子になっては元も子もない」

 ちょっと拗ねるトムくんにまぁまぁとルーを宥める。そうしているうちにお菓子屋さんへと辿り着いた。ウィンドウを覗き込むと、男性がなにやら焦ったように店員さんと話していた。

「あ! パパだ!」
「よかった」

 私たちがお菓子屋さんのドアを開けると、小さなドアベルの音に男性が振り返った。

「トム! お前、今までどこに!」
「パパを探してたんだよ」

 やっとパパを見つけたトムくんは、会ったときとは打って変わってケロッとしている。肩車から降ろしてもらうと私たちを見上げてニッと笑った。

「このおじさんとお姉ちゃんに探してもらったんだ」
「こら! どう見てもお兄さんだろ」
「……リク」

 そろーっと、聞こえてなかったと誤魔化すように店内を流し見るけど、頭の上から低い声が降ってきた。まずいなぁ。

「大変申し訳ございませんでした。見つけてくださってありがとうございます」

 トムくんのパパはしっかりと頭を下げた。どうやらパパの服を選んでいる最中につまらなくなったトムくんが、繋いでいた手を振り解いてお店を出ていってしまったらしい。すぐに追いかけたけれど、人を縫って走っていくトムくんに追いつけなくなって見失ったのだと話してくれた。お菓子屋さんに行くと言っていたのを思い出して、このお菓子屋さんを起点に方々探し回っていたら3回目に戻ってきた今、私たちと会うことができたのだと言う。
 トムくんは怒られながらも目的のぐるぐるキャンディーは買ってもらえたようだ。ルーからもしっかりと勝手にどこかへ行くなとお灸を据えられていた。

「……似ているか?」

 よければ貰ってくださいとお礼にクッキー缶を渡され、何度も謝罪しながら帰っていった親子の後ろ姿を眺める。それにルーが口を開いた。

「うーん。髪の毛と服の色?」

 ジャケットはブラウン、スラックスは白。髪の色も白金だし、背格好を除けば子供なら同じだと勘違いするかもしれない。

「あ、ねえ、ルーが最後に泣いたのいつ?」

 そう聞くと、ルーが黙り込んだ。そして、ただふっと笑う。

「さあな」
「最近?」
「もう覚えてない」
「うそ」

 教えてよ、と食い下がると、ルーの人差し指が唇に当てられた。

「おじさんだと思われているらしいからな。歳のせいか忘れっぽいようだ」
「思ってない! 私は思ってない!!」

 あ、あぁ……。思いっきりかぶりを振って否定するけれど、ニヤリと笑うルーに背筋が凍る。

「帰ろ! ほんとに暗くなってきちゃったから!」

 私は今日何度目の誤魔化しか、誤魔化しきれてもいないのにルーの手を引いて家のほうへと歩き出す。だけど暮れなずむ街。先ほどの親子のことがあったからか、微かな朱色を残して沈み切りそうな夕陽を見ながらなんだか懐かしく、少し羨ましくも寂しくなったのかもしれない。

「いいなぁ」

 ポツリと呟くと、ルーが急に立ち止まって私を見下ろしていた。それに腕が引っ張られてどうしたの? と首を傾げると、彼は静かに首を横に振っただけだった。頭を抱き寄せられて、ルーの胸板に押し付けられる。髪を何度か漉くように撫でたあと、優しい声が鼓膜をくすぐった。

「帰ろうか」

 私はルーのジャケットを少し握りしめて返事した。

「うん。かえろ」
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