Moon Fragrance

10月31日 My Kitty.
My Kitty.



 当日の朝、やっぱりイリーナさんからこの衣装はどうですか? と渡されそうになったのを、なんとか断った。夕方ごろになって、こうなるだろうとは思っていたと言った顔をしながら寝室に上がっていくルーを追いかける。ルーはなにを渡されたんだろう。

「あれ? それだけ?」
「なにを期待していた?」

 ルーがジャケットを脱いでからバサっと広げて羽織ったのは、理系の人が着るような普通の白衣だった。ワイシャツの上に白衣。お医者さんか、科学者のよう。

「みんなから渡されていたから、もっと凄いものかと」
「レノが別のものを寄越してこようとしたが、受け取らなかった。勝手にしろとは言ったが、オレを頭数に入れろとは言っていないからな」

 頭数に入れられるのは分かってるはずなのに、と私はクスクスと笑った。そうしていると、寝室のドアの前に突っ立っている私のほうにルーが寄ってくる。まるで追い詰められたように、私はドアを背にして目の前にルーが立った。顔の横、ドアに軽く片手をついた彼が、もう片方の手で私の頬を撫でた。青い瞳に貫かれて、ただ白衣を羽織っただけなのに、様になっているから余計に身動きが取れなくなる。

「似合ってる、よ。かっこいい」
「ありがとう。だがそうじゃない。リクも断っていただろう? キミのは?」
「あの、その……さ、先に下に行っててくれないかな」

 ルーのことだからそう来るよねと、もごもごする。なんとか言いきったあとで、ルーが自分の頬を人差し指でとんとんとしたから、私は彼の頬にキスをするだけでその場は解放してもらった。まあいいと、寝室から出て行く彼を見送って私は着替え始めた。
 久しぶりに、しかも黒いタイツを穿いてショートパンツを穿く。ルームウェアも着て、フードも被った。靴も黒く、ほとんど履くことのない編み上げのショートブーツを。ルーがよく使う姿見で自分を確認した。目の前には黒猫、の服を着た私だけど。

「これで、いいよね?」

 誰に聞くわけでもなく、私は鏡の中の自分相手に頷いた。寝室を出て、トントンと階段を下りてリビングへと向かう。準備が整っていたそこは、オレンジの光で照らされていた。
 先ほどまでイリーナさんと一緒に作っていたパスタやパンプキンパイ、フライドチキンやサラダなどのアラカルト。買ってきたケーキやクッキーなどのお菓子がダイニングテーブルとキッチンカウンターにたくさん並んでいた。

「わぁ!」

 リビングに入ってきた私を見て、イリーナさんが大きな声を上げた。その奥でへぇーと聞こえてきたレノさんの声の意味はなんなんだろう。

「リクさんの黒猫かわいい!」
「あ、ありがとうございます」

 イリーナさんは丈の短いメイド服を、レノさんはピエロでルードさんは……サメに食べられているみたいな着ぐるみを着ていた。ツォンさんはルーと似たような感じで、黒いマントを羽織っているだけだ。一体なんなのだろうか。ドラキュラ? あ、ツォンさんが目を逸らした。
 そのパーティーは、もともとお菓子を用意されているから、乾杯の言葉が……。

「「トリックオアトリート!」」
「なんかおかしくねぇか、と」
「お菓子はご自由にということです」
「するようなイタズラがあるのか……」

 だからイタズラをされないように……と、イリーナさん、レノさん、ルードさんが言い合いをしている。それを笑いながら眺めていると、ルーがすっと私に近づいてきた。

「似合っている」
「へへ、ありがとう。ルームウェアだし、いいなって」
「ああ、かわいいよ」

 みんながいるのに、聞こえるような声で言うから恥ずかしくて顔を押さえながらムーっと変な声を出す。それからなにかをつまむにも、ルーは無言でついてきた。まるで見張りをしているように。カウンターに近づくと、ルーとカウンターに挟まれるように腕に閉じ込められる。クッキーに手を伸ばしたら、ルーがあーっと口を小さく開けた。

「そっちにあるよ」
「それがいい」

 私が取ったものを指差す彼に、もーっと言いながら口元にクッキーを向けると、ルーはまた軽く口を開いてクッキーを咥えた。それを遠巻きに見られているから、私はそっちと逆方向に顔を逸らした。
 みんなの酔いが回ってきて、静かになり始めたころにお開きとなる。イリーナさんがダイニングテーブルで潰れてしまったからお風呂の支度をしたあとに1人で片付けを始めようとすると、ルードさんがお皿を洗ってくれていた。

「ありがとうございます」
「迷惑をかけた」
「大丈夫ですよ。というか、脱いだんですね、サメ」
「邪魔だった」

 ぶっきらぼうに答えるルードさんは彼らしいけれど、そんな彼がサメに食べられているような着ぐるみを着ていたことがなにより驚きだった。あまりの物言いに吹き出してしまったけれど、手伝いはいいと言ってくれたからお皿洗いはルードさんに任せることにした。
 先にルーにお風呂に入ってもらって、私もお風呂から上がるころには、テーブルで潰れていたイリーナさんは回収されたあとだった。オレンジ色の灯りも、たくさんの食べ物がなくなったテーブルとカウンターも、なんだかシーンとした感じに嵐のようだったと思った。
 ルーが着ていた白衣は乱雑にソファーの背もたれへと掛けられいる。そういえばルーのお屋敷でお世話になっていたときも、彼はジャケットとスラックスを雑に椅子の背もたれに掛けていたなと思い出した。今後このどうするかわからない白衣を一応畳んで、ダイニングテーブル上に置いておいた。
 私はというと、お風呂から上がったあともまだ黒猫のルームウェアを着たままだ。流石にタイツとブーツは脱いだけれど、気に入っているしモコモコしているのが気持ちよくてもうちょっと着ていたかった。
 ミネラルウォーターを飲んで、寝室へと上がる。ドアを開けて寝室に入った私を見て、ルーが一瞬目を見開いたあとにこやかに笑った。

「本当に気に入ってるんだな」
「うん! モコモコで気持ちいいの」
「おいで」

 そう言ってルーが腰掛けていたベッドの上で腕を広げた。私はそれに甘えてルーの膝の上に横向きに座った。腕を彼の首に回して、ぎゅっと抱きつく。

「時折り猫のようだと思っていたが、本当に猫になった」
「へ? 猫? 私気まぐれかな?」
「気まぐれ、と言えば気まぐれか」

 ルーが人差し指で、猫にするように私の喉をくすぐった。それに身を捩る私を見る目はとても優しい。

「普段はそうでもないのに、スイッチが入れば甘えるように欲しがる」
「あ、そ、れは……!」

 もしかして色々やらかしてるんじゃないかと恥ずかしいのと、まだくすぐられる喉に言葉が続かない。もしかして、今までに何度かされてきたこの喉をくすぐるのって、猫みたいだと思われてたのかな。

「タイツを穿いてくれたのは正解だった。これは、見せたくない」
「わっ」

 彼がパーティー中とは違って、今度は見えている私の太腿を手のひらで撫でた。私は可愛くない声をあげる。

「さて、どうしようか」

 クスッと笑いながらルーが問いかけた。私はそれに首を傾げる。

「どうって?」
「ハロウィンだろう?」

 さも当たり前のように言う単語に面食らった。え? と思いつつも、とりあえず口に出す。

「と、とりっく、おあ、とりーと……?」
「イタズラがいいと言ったら?」
「なにも考えてない、です……」
「だが、菓子は持ち合わせていない」

 それなのになんで聞いたの。でもなにかを期待されているのは確かで、どうするのが正解なんだろうと考えた。

「し、しゃー……! ひっ、かい……ちゃうぞ…………?」

 うーんと考えてから、私はまるで爪を立てようとしているように両手を顔の横でポージングする。だけど思った以上に羞恥心が募って言葉は消えていった。それに対して、ルーは大笑いを始めた。これでもかと笑い、落ち着けばまだクククと喉で笑っている。やるんじゃなかったと思っていると、一度、下におりていた手が再び喉に近づいて、またもくすぐりながら親指が私の唇を掠めた。

「……もうしない」
「可愛かった」

 それでも笑い続ける彼からプイッと顔を背けると、喉に触れている手にそっと向き合わされる。今度は困ったような顔になって、笑って悪かったと重ねられた唇は柔らかくて甘い。ゆったりと離れたそれに、ほぉっと息を吐いた。

「今日はこのまま」
「へ、このまま?」
「ああ、こう」

 思わぬ言葉に驚いて反芻したけれど、どうやら違うらしい。まさかと勘違いしたのも恥ずかしいけれど、ルーがぎゅっと抱きしめてくれた。

「この猫は抱きしめても抵抗しないな」
「抵抗してほしい?」
「いや。暖かくていい」

 そのままごろんと2人でベッドに寝転がった。最近、陽が落ちると肌寒くなってきたもんね。あったかいと私が擦り寄ると、やはり猫だとルーが笑う。格好だけだもんと思いながら、フードの上から撫でられる頭に程なく瞼が落ちてきた。意識の遠くで低くて心地いい、甘い声が聞こえる。

「るー、おやすみ」
「おやすみ、オレの可愛い人」
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