Moon Fragrance

3月10日 見えない真意
見えない真意



「なあ、リク。近々、定休日ではなく、昼に時間を空けられそうな日はないか?」

 そう聞かれたのは寝る直前のベッドの中だった。私の髪を撫でるように梳いて、その手が気持ちよくて少しずつ呼吸がゆったりになってきている頃。なぜ昼か、というと、たぶん夜には仕事の予定が詰まっているんだろう。

「……うーん。3時過ぎてもいい? 電子レンジを取りに来るお客さんがいるの」
「ああ、それくらいなら」
「じゃあ、明後日なら大丈夫だよ」
「分かった」

 そのまま瞼が落ちてくる。どこに行くのと夢うつつに聞いた質問に、秘密だと返された言葉と額への口づけは眠りに溶けてしまった。
 当日になって、例のお客さんも修理品を取りに来てくれたし、よしと一息ついて出かける準備をする。と言っても作業着のツナギを脱いで、ジーンズとニットのセーターを着直すだけ、なんだけど。最近はお昼は暖かい、けど夕方になると寒いよね。今はまだ大丈夫だけど、帰るころは大丈夫かな。コートを羽織ったほうがいいかな。

「ねえ、ルー。夕方は寒いかな」

 私は3階の寝室を出て、階段の上から2階のリビングのソファーに腰掛けているルーに声をかける。私はそのまま下りていくけれど、振り返ったルーが仕方なさげに笑いながら、大きめの声を上げた。

「かもしれんな。帰りは私のジャケットを貸そう」
「でも」
「問題ない。仕事に出るときはそのまま行くわけじゃない」
「なら、寒くなったらお願いしようかな」

 じゃあ準備できたよと伝えると、ルーがソファーから立ち上がって、行こうかと私の方へと手を差し出した。私はそれに手を重ねて一緒に階段を下りていく。家を出れば指を絡めるように繋ぎ直して歩きだした。

「ねぇ、どこに行くの?」
「秘密だと言っただろう?」
「だって、気になるよ」
「ホワイトデーには少し早いが、な」

 そっか、ホワイトデーが近いんだと思い出して、嬉しくなって私は空いている手でルーの腕に抱きついた。それを見下ろすルーが、笑っている。
 そのまま話しながら歩いていると、なんだか見覚えのある場所へと向かっていることに気づいた。嫌な予感がする。それは的中して、ルーが立ち止まった。

「ここだ」
「こ、こ……」
 
 そこは、先月イリーナさんと来たランジェリーショップだった。私は勢いよくルーから体を離すも、手を離したルーがそのまま私の腰を抱き寄せてもっと近くなってしまった。

「逃げるな」
「だ、だって……」

 私はキョロキョロと辺りを見渡す。分からない所にいるとは言え、タークスの誰かが護衛としてついてきてるんだよ? もちろんこれも見られているはずで……。

「ルーも、入るの?」
「ああ。男連れで来ている連中もいるだろう」
「恥ずかしく、ないの?」
「リクが着ていなければ、ただの布だ」

 ルーがチラリと私を見てから、私の腰を抱いたまま店のドアを開けて中へと足を踏み入れた。もちろん私は逃げられずに、体重を後ろにかけながらも足が渋々と動く。お店のドアベルが可愛く鳴って、なんだか視線が集まった気がした。私はやっぱりどこに視線をやればいいのか分からずに、目が泳いでしまう。
 いらっしゃいませと聞こえた奥から、私に対してらしい驚いたような声がお客さま! と声を上げた。

「本日はお連れ様と一緒に来られたんですね」

 そう言いながら近づいてくるのは、先日の店員さんだった。どうやら私のことを覚えていたらしい。私はもう口をパクパクさせて、言葉が出なかった。
 ルーが店内を見回している。よければオススメをと言った店員さんに、私が選ぶからいいと断りを入れて、相変わらず私の腰を寄せながらラックのほうへと向かって行った。
 ルーの好みを知りたいようで知りたくないと、複雑な気持ちになる。この前買ったのより、もっと際どかったらどうしよう。俯き加減でただついていく。ルーが1着を手に取った気配がしたから、ちらりと目線だけを上げると、先日のものみたいにレースが垂れ下がっていた。ただブラジャーではホックの部分が、リボンになっていた。ショーツはまだ、普通だ。淡いピンクの、胸はこの前のように透けてはいるけれど、可愛いとは思う。それを私に手渡した、ということはこれに決めたのだろう。
 流石にずっと手で持っているのは恥ずかしくて、私は近くにあったカゴを慌てて手を伸ばして取った。それを見て笑いながら、ルーが再び私の腰を寄せて歩く。お店にうちのお客さんがいたりしたらどうしよう。

「わ、私、こっちがいいなー……」

 まだ選ぶ気らしい彼に、際どいのを選ばれたら堪らないと、棒読みになりながらも私は先月手に取ろうとしたシンプルなブラジャーを差して誘導しようとする。

「ならば、それもいれるといい」

 ルーは口の端を上げただけで、なにも気に留めていないようだ。ていうか、“も”って言った!? やっぱり他にも買う気らしい言葉にパニックになる。

「なんだ、いらないのか?」

 ただただルーを見上げて固まるだけの私に、彼はニヤリと笑っている。そしてその上の高いラックにかかっていた、ワインレッドのものを選んだ。レースは長く、それこそ透けていなければ、ただのワンピースに見える。でも背中は大きく開いている上に、それ以上はだけないように紐が布を引っ張るように通っている。これって被るわけでも、足から着るわけでもなくて、どうやって着るんだろうと思っていると、それが伝わったのかルーが私の腰を解放してやって見せた。

「ここだ」
「……ま」

 それは前ホックで、やっぱり着たことないよ。

「ルーってこういうのが、好き?」
「リクが着ているなら、な」
「じゃあ、ルーが本当に好きなのは?」
「考えたことがない」
「え?」
「言っただろう。リクが着ていなければただの布だと。それに、これぐらいなら着てくれそうだと思うものを選んでいる」

 ということは、もしかして着てくれなそうだと思うような候補もあるってこと? 疑問に思っていると、それもバレたらしい。気になるか? と言いながら、手に持っていたランジェリーもカゴに入れて、次へと手を伸ばした。それに目を疑ってしまった。

「そっ……!」
「1着くらいは、いいかもしれないな」

 彼が手に取ったのは白の小花柄。可愛い。刺繍は。ただ全体を見ると、女の私でも顔を覆いたくなってしまった。
 だって、ショーツが、キャミソールから繋がっているし、紐のてぃ……ティーバック……。しかも布は少なく、ショーツの意味を成していない気がする。それ以外の露出が高いわけではないけれど、どうしてこんなに恥ずかしい気持ちになるんだろう。頭から湯気が出そうなほどに顔が熱い。

「楽しみにしてもいいのか?」

 私はそれに結局、顔を手で覆って、頭が取れそうなほどに首を横に振った。名目はホワイトデーだったよね、と頭の中で確認しつつも、もうどうすればいいのか分からない。ルーが顔を上げられなくなった私からカゴを取ったけれど、手に持っていたものを入れられた気配がした、気がする。

「どれを着てくれるかは、任せる」

 耳元でそう言ったルーは再び私の腰を抱き寄せて、レジへと向かった。頭がクラクラしそうなほどに熱を持っていて、ルーが支払いを済ませて外に出たあとも暑かった。少し気温が落ちているけれど、肌寒さなんて感じないほどに熱っている。

「冷えてきたが、上着はどうする?」
「いらないです……」

 思わず敬語が戻ってくるほど恥ずかしくて、私は家に着くまで顔を隠すようにして歩いて行った。
 私を家まで送ったあと、ルーは仕事の会食へと出かけて行く。下着は本気と揶揄いが半分ずつだったのか、逃げ込んだ作業部屋の机の上にリボンが結ばれた小さな紙袋が置かれていた。
 中身はハンドクリームと、なにかの植物の種だった。最近は少しずつ増えてきた花や木。それでも珍しいそれは、一体どんな芽吹きを見せ、どんな姿に成長するのだろう。土と鉢を買わないと。次の休みは、ルーに荷物持ちしてもらおう。愛している。いつもありがとうと書かれたメッセージカードを見ながら、顔が綻びつつも、そう思った。
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