惑うエーテルの開拓


◇FBI主


FBIになってしまったのは、正義感という道徳的な理由ではない。なまえはいつでも命を捨てて良いような人間だった。誰かの為に死ぬのなら万々歳、いつでも生き死に興味がない。そんな彼が赤井秀一と出会い共に行動することが多くなったのは数年前の話である。アカデミーでただ訓練する日々に、赤井の存在は彼のアイデンティティを意識せずとも揺らしたが、なまえはなんとか受け入れ、良い他人として生活をした。彼との関係もそれきりだろう、そう思っていたところへ候補生を終えた後同じ部署へ行くという出来事が。お互いの性格からは考えられないが、俗にいう“友達”に近いようなものになった。しかし、だからといって互いが無闇にプライベートを浪費し合おうとすることはなかった。不慣れだったのかもしれない。

最近はお互いに忙しく、ある組織への潜入に向けて調査三昧。オフィスで書類の情報を虱潰しに照らし合わせ、糸を探す。しかし仕事はそれだけではないので、息をつく暇も無かったのだが……

「赤井。ほら、コーヒー」
「ああ……お前は飲まないのか?」
「え?いや……俺はまだ赤井のように成果も出していないし、あー…」

嘘。赤井と話すためわざとコーヒーを使ったなど口が裂けても言えるわけがないので、なまえは途切れ途切れに言葉を宙へ投げた。無理矢理話す理由を作るなんて青臭い真似が出来るのも今だけなのだろう。
赤井は今日の会議でも素晴らしい推理を見せ、上を唸らせた。それに比べて自分にはなにがある?と、そう考えるなまえは自分のことを惨めだと思っていたし、だからこそ彼が赤井に近づいたところもあったのだろう。赤井はなんでも持っていて、なまえには足りないものが幾つもあったのだ。
なまえが自らの様々な考えを掻き消すように席を立つと、赤井が目だけこちらに向けたのがわかった。なんてことのない仕草が少し嬉しい。
「抜けている紙があったから探してくる」、そう言って赤井と別れた。

散らかった、少し埃っぽい資料室で目当ての物を探していると、足音がひとつ。それはさっき別れた赤井で、なまえはたじろいだ。

「赤井?」
「お前、最近疚しいことでもあるのか」
「……いや」
「……まあいい。あの抜けている資料がどこだったか思い出したんだ。ここにある」

すっと伸びた血色のわるい指。ひとつのファインダーから取り出された紙がなまえの手に渡り、赤井は去っていった。どうすればいいのかわからない。身動きができずなまえは今までどう過ごしてきたのか忘れたようだった。しかし、自分の感情を自覚していた。羨望、崇拝、嫉妬、独占欲。馬鹿な感情とわかるから、たちが悪い。ああ、友達でいたかったのに。ちゃんと距離を保てていたのに。中にあるなにかが崩れてしまいそうで、なまえはそれを恐れた。



なまえは人と関わることが苦手らしい。仕事となるとまた変わってくるが、それでも自発的に1人になろうとする姿を見ると、そう思わざるを得ない。言葉は交わさなくとも全てを察すことのできる彼を赤井は好んでいたが、滲み出る脆さに手を差し出そうとしても難しいことだった。最近、なまえはしきりに何かを隠そうとしている。物理的にではなく、心理的に。赤井はそれを紐解こうとした。でも、できなかった。赤井にはなまえの考えていることがわからなかった。

「お前はどうしてそうも自らの心をひた隠しにする」

曇天の昼下がり。赤井はついになまえへ直接問い掛ける。その、ある意味たちの悪い好奇心を受けなまえは身の細る思いをした。知られたくない想いをこじ開けられると思って、緊張で胃の中がひっくり返るようだった。なのに赤井の眼は綺麗で、ドロドロの感情を有す己とは次元が余りにも違いすぎる。なまえは恐ろしくなって固まり、声が出なかった。

「なまえ」

名を呼ばれ金縛りの解けた感覚を覚える。「俺に、」そう言って、なまえは必死の思いで言葉を続ける。

「俺に関わる必要は、無い」

その言葉を赤井は受け止め、何度も何度も噛み締め考察する。互いに無言の時間が続いて、ついになまえは去っていった。赤井はしまった、と思った。後悔がその心へ波のように押し寄せ知性を壊す。プライベートを浪費しすぎたのだ。やはり不慣れだった。それでも赤井は彼のことを考える。彼の心のうちに秘められた何かを知りたがったのは少なからず好意をもっているからで。彼の自己犠牲気味なところ、察しのいいところ、その脆さ。赤井はなまえに惹かれている、ということを。

「なまえ」

その名を呼ばれ、彼は酷く衝撃を受けた顔をした。それでも赤井はその眼をのぞき込む事を止めない。緑の眼に負けず、なまえの眼は美しい。

「俺はお前に関わりたい」

その眼から、透明の粒が流れ出た。嗚咽もなく自然の摂理に沿って落下するそれは赤井を動揺させるには十分で。それでも負けないように、言い聞かせるように、赤井は言葉を放った。

「悪かった。なまえの心を無理に開けようとした。俺はただお前が何かに苦しんでいるのかと、そう思っただけなんだ。何かあれば言ってほしいと思った」
「俺は、」
「……」
「赤井のそういうところが好きなんだ」

間があって小さく呟かれたものの、耳にしっかりと届いた言葉は、告白とも懺悔とも取れた。あぁ、なんだか、愛おしい。

「俺もなまえが好きだ」

触れるか触れないかわからないくらいのキスをすると、なまえは照れと困惑の二つの顔をした。その涙を隠すように俯き、話す。

「違う……多分、俺のもつ感情と赤井のもつ感情は異なるものだ、俺のそれはもっと汚くて……」
「お前がお前のことをどう思っていようが関係ない。俺の想いのほうが大事だ、そうだろ?」
「……」
「なまえが隠そうとしていた感情は、それか」

なまえは頷いた。どうにもその様子が赤井には愛おしく感じて、彼の体を抱きしめた。

「なにも隠す必要は無い。まだ俺達は人間関係の構築も何もかも下手くそだが、これから慣れていけばいい」

背中を優しくさすると、なまえは赤井を抱き返した。人の温もりを感じたのはいつぶりだったろう。その温もりをいつまでも感じていたいと、互いに思い合う曇日だった。


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