水をまく

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   ……多分、きっと、これが最後のチャンス。
 これを逃せば、ボクはきっと永遠に搾取される側に回る。
 世間が変わることを祈るか、弱かった自分を恨むか。
 半年も満たずに輝かしい栄光を手に入れたこの人なら……。
 ボクを、変えてくれるかもしれないと、すがることしかできなかった。


▼ △ ▼ △ ▼

 光葉と期間限定の旅をすることとなり、それにあたっていくつかのルールを設けた。
 食事の支度、ポケモンのお世話など。1人だったら自己判断で済んだものだが2人であれば話は別だ。ディランさんと旅をしたことがこんな所で役に立つとは思わなかった。
「(そう思うと、僕は押しかけられるのか……?)」
 ディランさんも、光葉も僕が望んで一緒に旅をしようと言った訳ではない。とても、とても失礼だとは思うが事実なので心の中でははっきり言っておく。

 1つ、人の食事は割り勘。
 買った物のレシートはきちんと取って、ポケモンセンターに付くたびに決算する。とても細かくて面倒くさいのだが、こうしないとディランさんの場合だと全面的に奢られた。レシートを出さない場合もあるかもしれないが、そこら辺の塩梅は上手くやろう。買い物の仕方一つで弄れる部分だ。

 2つ、ポケモンの食事は各々で準備。
 好き嫌いがあったり、食事をするタイミングがバラバラだったり。長旅ならともかく、光葉とは2か月程度の付き合いの予定だ。大事なポケモンを任せるのは忍びないし、自分のポケモンに集中してほしい。

 この他にもいくつかあるが、どうせ必要になれば随時増えていくものだから初めのうちは緩めにする。
「食事の支度はどうしますか……?」
「手分けしあって行おう。きっちり決めたほうが安心する?」
 彼から持ち掛けてきた話だ。僕の機嫌をうかがうことはあれど、損なうようなことはしないだろう。そんな打算もある。分かりやすく目を反らした光葉は言葉の代わりに短く息を吐き、申し訳なさそうに僕に言う。
「決めて下さい。……其方のほうが、ボクを見切る理由になります」
「……!」
 意外。それに尽きる。
 決めろというのならば、遠慮なく決めよう。
「光葉、寝起きはいい? 悪い?」
「悪くないほうだと思っています」
「偉いね。じゃあ、朝は任せていいかな」
「わかりました」
 交渉らしい交渉のない即決。その素直さは、光葉の美点だろう。
 元より、どんな提案でも受ける気だったのかもしれない。考えるような間は無かった。
「昼間は僕がやろうと思う。夜は、半々。まあやってみてから決めよう」
「はい」

▼ △ ▼ △ ▼

 僕の目的は観光である為、光葉にはジョウトの観光名所を僕と回る義務が発生する。……なんていうのは嘘だけど、僕が見て回っている際に待ちは必要になる。キキョウシティの有名なお寺である≪マダツボミの塔≫を見に行きたいと言う僕に対し、光葉の答えは「ごめんなさい」。
 ガイド役として意気込んでいるのだと装っていたが、実際は違うだろう。
「(なんというか、早く出ていきたそうだ)」
 故郷はコガネシティというけれど、この町と光葉になんの関係があるのか。嫌、聞く必要はない。誤魔化されて、気になっただけだ。

 少し冷たい風が頬を撫でる。ゾクリと身震いすると、肩に乗っていた風音が不安そうに頬すりをした。
「ありがと」
 町並みは、左程変わらない。カントーと地続きということもあるだろう。
 まあ、観光地として栄えているかわからないし、適当に町中を歩いていればそれで……。
「イーブイだ!」
『!』
 大きな声に反応して、風音が上へと逃げる。ちょっぴり重くなった頭と、帽子によって狭まる視界。逃げたい風音には悪いが、僕も状況を把握したい。抱き上げる際にちょっぴり抵抗が入る。
「(珍しい) ……風音」
『うっ、うぅ〜……』
 声をかけても、反応が悪い。これはしばらく、好きにさせるべきだろう。ただ、僕の視界が悪いのはいただけない。せめてこれだけは直さなければ。
「帽子がズレて前が見にくいんだ、ちょっと調整させて」
 それさえできれば、好きにしていいよと付け加えると風音の抵抗が止む。帽子の位置を整えて、声のした方向を再度見る。キラキラと目を輝かせた光葉と同じような背丈の子がそこにいた。
「イーブイだ! イーブイだよね! お兄ちゃん」
「そうだよ。イーブイを見るのは初めて?」
 風音が怖がっているので、距離をとるべく立ちっぱなしで言葉を返す。なんというか新鮮な反応だなぁと、しみじみ思う。サトシも似たようなことを言っていたし、あの年ならそれぐらいの反応が普通なのだろう。
「うん! はじめて!」
「どこから来たの?」
「ポケモン塾!」
「……ポケモン、塾」
 塾というからには先生もいて、教室もあるのだろう。周りを見る。それらしき建物は無い。
「(しょうがないなあ)」
 少しかがんで、手を差し出せば不思議そうに見返す。「帰らないと先生に怒られるよ?」と、言えば駄々をこねる。キラキラした視線を風音に向けるが、風音は応えようとはしない。弟だと紹介したサトシですらダメだったのだ。この子もきっとダメだろう。
「怒られた時に、一緒に怒られてあげるから」
 怒られた話を一緒に聞くだけだけど、彼はそれならいいと僕の手を取った。怒られることは変わっていないのだが、いいのか……。

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