西洋薄雪草

019
 彼は稀代の暴君だろう。
 小さな世界の主人。
 身の丈に合った世界に満足し、胡坐をかく暴君。
「主任、やめてください。彼は手遅れです」
 救わなければならない。
 彼らにも夢を与えなければならない。
 部下の制止も聞かず、私は彼に告げた。
「君にぴったりの子がいるんだ」
 誰にも愛されなかった哀れな子。
 暴れ、壊すことでしか自分を表現できない子。
 まだ、やり直せるはずだ。
 ゆっくりでいい。少しずつでいい。
 願わくは、彼らと共に成長していってほしい。






 どんな顔をしていたのか、不安になる。ポケモンセンターへ駆け込み、指定された部屋まで来た。普段通りに閉めたはずの扉が、ダンッと太い音を立てる。自分の感情も制御できないままここまで来たのであれば、大層ひどい表情を浮かべていたことだろう。
『マス、マスッター!』
 腕の中の風音が暴れた。そういえば抱きかかえっぱなしだった。ぷはっと、大きく息を吸い込んだ風音。強く抱きしめすぎたのか……。嫌、抱きかかえていたことすら頭になかった。解放した風音は床に降り立ち、うんと体をほぐしている。
「ごめん、風音。苦しかったよね……」
 ずるずると腰を下ろし、謝罪する。どうも顔向けができなくて、自分の膝に顔をつけて隠す。鞄を足場に風音が肩へ飛び乗ってきた。かなり狭いはずだが、体幹がいいポケモンは簡単に乗っかる。ぐるぐると右へ左へと往復する風音。無防備に晒された項に風音の体毛が触れ、くすぐったい。理解してやっているのか、風音は顔を上げるまでそれを続けた。
 顔を上げると、風音は肩から降り膝の上から腹部へと滑り込んでくる。膝の上で転がり此方を見上げた風音は視線があうと嬉しそうに咲った。何処へ行けばいいのかわからない手に飛びつき、頭を寄せる。
『だいじょーぶですよぉ。私、マスターの怒ってる理由、わかってるので』
 風音になだめて貰ってどうする。自分だけでなんとかしなきゃいけないのに、何とかできていたハズなのに、どうも弱くなった。
「風音はさ、どっちがいいと思う?」
『……?』
 無理矢理連れてきた。あの場所に居させてはいけないと思って。体力も回復しているし、大丈夫だろうと高をくくって無理矢理連れてきた。
「炎李は帰りたいのかなぁ」
『……? どうしてそんなこと言うんですか?』
 不思議そうに鳴いている風音。嫌、悩むよりも当人に聞くのがいいだろう。
『……何があった』
 一瞬身構えた炎李だったが、場所を見てすぐに戦闘態勢を解く。ジトリと不満そうに此方を向いた。
「昼間のトレーナー、知ってるよね」
『……そうだな』
 一瞬考える素振りを見せたが、隠す必要がないとでも思ったのか頷く。
「炎李は戻りたいと思ってる?」
『俺はお前に捕獲された。お前のポケモンだ』
 上下にも左右にも首を振らない。これは質問に答えてはいないな。
「無理矢理連れてきたのは僕だ。何らかのトラブルで離れ離れになったのであれば、僕は……っ」
   あのトレーナーに君を返したって良い。
 頬が痛い。手加減はしてくれただろうが、ぶたれた。炎が勢いよく燃える尻尾で、ぶたれた。途端に風音は炎李に突進し、首元に絡みついてバランスを崩そうとする。倒れまいと炎李が風音を両腕で支えるが、風音の反抗は続く。
 叩かれた頬に触れると、じんわり痛い。叩かれたということは、僕は叱られたということだろうか。多分、そうだ。そんなことを言うなと、叱られたに違いない。
「……っは」
 口元が緩む。怒られているのに、笑ってしまうのはよくないことだ。
 でも、でも、これは期待していいのだろう。どれだけあのトレーナーと炎李が一緒にいたかはわからない。けれど、選んでくれたのだ。
「ねえ、炎李。炎李はさ、僕でいいの……?」
『………』
 ベシッと、今度は頭が叩かれる。
『炎李さんっ!!』
 あ、噛みついた。炎李は痛そうにしながらも、本気で抵抗していないように見える。甘んじて受け入れているのか。また、笑みが零れる。
「(炎李は、示してくれた……)」
 それなら、応えなければいけない。
「炎李」
 名を呼べば、声だけが返ってくる。
「明日、この町を出るよ」
 炎李が此方を見ることはない。俯きながら、首から下げている古い袋を握っていた。





ドンドンドンと、扉が力強く叩かれた。切羽詰まった太い音。中に罪人でもいるのか、それとも外に危ない害獣でもいるのか。寝静まった頃にやってきた招かれざる客。扉の先にいる人物に心当たりはあった。
 人の迷惑を考えない利己的な人。見たのも言葉を交わしたのも五分も満たない。僕もかなり歪んだ視点を持っている。偏見でしかない。全く知らない赤の他人の可能性もあるのに、それ以上にあり得そうな彼に全ての責任を押し付ける。
『……フゥッ!』
 風音が毛を逆立てて扉を威嚇している。鍵は閉めた。チェーンロックもかけてある。公共施設である扉を壊してまで入ってくる考えは流石に無いだろう。風音を宥め、布団の中へ滑り込ませる。サイドライトをつけ、しーぃと口元に手を当てた。
「夜分にすみません、実は……」
 ルームサービスの間違った使い方だ。手短に状況を伝え、助けて貰えるよう訴える。状況が状況な為、警察を呼ぶからもう少し待ってほしいと返答が返ってきた。了承し、電話を切る。
 絶えず扉が叩かれる。ガタガタと揺れた。下手に明かりをつければ起きているのに反応しないと相手が逆上するかもしれない。
「音が止んだ……?」
 諦めたのか……? 嫌、違う!
「炎李……っ!」
 微かな明かりでも今は欲しい。カーテンを開け、僅かでも月光が入ってくることを願う。雲がかかっているのか、期待値には満たなかったが、あるだけましだ。
『そこか』
 ギギッと、金属がこすれるような高い音が聞こえた。炎李が何かを掴んでいるようにも見える。両手で逃さぬよう掴み、此方へそっと差し出す。手の中にいたのは、ズバットだった。
「ズバット……?」
 炎李が捕まえた。暴れてはいるが、技を使う素振りを見せれば炎李が制圧できる。警戒すべきは、部屋にズバットがいたということ。間違いなく、野生の個体ではない。ズバットは人里離れた薄暗い洞窟を好む。何処から入った……? まさか……!
 ガチャガチャとドアノブが動く。ダンダンッと、扉が叩かれたかと思えば途端に静かになる。嫌な予感がした。ガラス戸の鍵を開け、ベランダへの退路を作る。冷たい風が部屋の中に入ってきた。
  オニドリル、ドリルくちばし」
 部屋の扉に穴が開いた。穴は次第に大きくなり、不可に耐え切れなくなった扉が壊れた。
「っはっは……。話が通じない訳だ」
 道をトレーナーに譲るように一歩引いたオニドリル。壊れた扉の向こう側には見覚えのある男が立っていた。
「よぉ、誘拐犯。俺が取り返しに来たぜ」
「炎李、ここから一番近いバトルフィールドへ!」
 室内で戦ってみろ、此方も厳重注意では済まない。抵抗するにしても場所を選ばなくては。
 持っていたズバッドを投げ、炎李は火災報知器めがけて火を噴く。あぶられた火災報知器はけたたましい音を立てながら、鎮火の為に水を出す。相手が踏み出すのを躊躇した隙に部屋から脱出した。

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