門出

003
   受け入れろ。お前の罪を、受け入れろ。
 祖父が狂い、父が狂い、死したナニカ
 代々受け継ぐ呪いを、誰しもが狂人と嘲笑う。
 誰にも聞こえない声。死ねば楽になるが、まだ耐えられる。
 どうして、こんな地獄を選んだのだろう。
 否、ボクは幸運だ。幸福だ。とても幸せだから、耐えるのだ。






 味わうように飲み込んだ食事を終える。時刻は午前八時。集合時間は九時だが、きっと集合時間前に集まることだろう。
「ご馳走様。片付け、手伝うよ。母さん」
「あら、いいのよ? 津波。私がやっておくから、貴方は貴方の支度をしなさい」
「……なら、お言葉に甘えてそうしようかな」
 支度という支度は昨晩のうちに終わらせている。後は荷物を持って外に飛び出すだけだ。
「食べ終わった? サトシ」
「ん」
 食べ終わった食器をシンクへもってきてくれる。まだ背丈の関係で中に入れることはできないため、受け取る。テーブルを軽く拭けば終了だ。歯を磨きに行こうと、洗面所に向かう。後ろにぴっとりと引っ付いてくるサトシが可愛い。歩きにくいことなど、二の次だ。
「ねぇさん」
「ん……?」
 何を思ったのか、見下ろしたサトシは不安げだった。か細い声で「かえって、くるよね……?」と、問われた時、言葉を返せなかった。
「(父さんと僕を、重ねてる……?)」
   そんなことはない。と、反論すべき所だ。しかし、反論できなかった。そうなるかもしれないと、自分でも思っていたからだ。父はどこかに消えた。ポケモントレーナーを目指して旅立っていったという。昔は確かに帰ってきていた。もう、5年ほど前の話になるが……。どれだけ成績が悪くとも、帰ってきてはいたのだ。
 父の帰りを信じて待ち続けるけなげな母。帰ってきてほしいと、表では言わずとも、陰で泣いていることを知っていた。連絡や仕送りの一つもなく、ただ、結婚していたという事実だけが縛る関係。おぼろげな後ろ姿から感じる父の姿。あれは、逃げていた。怯えていた、何かを。だから、嫌いだ。逃げることでしか、自分を保てなかった愚かで、弱い父が。
 今日という日に、何故こんなにも嫌なことばかり思い出すのだろう。嫌なことを考え、そして自己嫌悪に陥る。
「(嗚呼、嫌だ嫌だ)」
 嫌なぐらいに、写真の中の父と自分は似ている。似ているからこそ、ああなりたくないと思うのだ。
 才能なんてなかった。バトルの才能も、母の方があったと聞く。それぐらい弱い人だった。才能が無い癖に、夢を追い求めた愚かな人。世間から見た父親は、きっとそんなものだろう。
 写真写りが悪い父親は、写真の中ではいつも仏頂面だ。顔もかなりの確率でぶれていたり、目をつむっていたりする。交じりっ気のない黒い髪。帽子に隠れて見えないが、きっと瞳も同じような色なのだろう。
   父はなぜ帰ってこないのだろう。と、何度も考えたことがあった。母は、父に名声など求めていない。夢を叶えられなかった自分を恥じているのか、それとも、もう、どこかの山で野垂のたれ死んでしまったのだろうか。
「帰るさ、僕は……」
   父さんとは、違うんだから……。そう、言い聞かせることしかできない。誰にも誓えなかったけれど、言い聞かせる。どれだけ似ていようが、別人だと。帰ってこられる、帰ってくる。そう、誓わねば歩けないような気がした。
 写真の中のその人はひどく不器用だったようで、いびつな笑みを浮かべていた。





 ポケモン協会から届いた荷物。トレーナーとしての基本装備。ハガキに、自分の身分を示す〈身分証明書〉トレーナーズカード。忘れ物はないが、見送りを待ち望んだ影がない。
「母さん、サトシは?」
「ソファーで寝ちゃってるわ。疲れたのね」
「そっか……」
「残念?」
「ちょっと、ね」
 本音を言えば、見送ってほしかった。贅沢者だ。最初から最後まで一緒にいてほしいだなんて。
「そう。でも、帰ってくるんでしょう?」
「…………!」
 生唾を飲み込み、大きく頷く。
「うん、帰るよ。帰って、くるよ……」
 ふと、思い出すことがある。もしも、その人を「父」と呼べるのならば、「父」と呼ぶ資格が与えられているのならば。
「いってらっしゃい、津波」
 玄関の扉に手をかける。いつも開けている扉が、未知のものに思えてきた。開かれた景色は、何も変わっていない。
 母は「立派なトレーナーになれ」とは言わなかった。きっと、サトシに対してならば、そう言うだろう。自分が消えた父に似ていたから、言わなかったのかもしれないし、もしかしたら、期待していないのかもしれない。
 あの日、自分の半分を与えてくれた人は、何も言わずに出て行った。そう、たぶん、あれがきっと、あの人の答えだったのだ。
「いってきます」
 柄にもなく、思い切って外へ飛び出す。まだ見ぬ未知の世界を求め、仲間と共に駆け抜ける。
門出

 あの日、父の背は異様に大きく見えた。
 あの日、父は■に何かを伝えようとした。
「■■■■■■」
 最後に触れた父の手はゴツゴツとしていて、硬かった。
 父は困ったように笑う。
 そして、■にまた何かを言うのだ。
「■■■■■■■■■■■■」
 父が出て行く時、母はいつものように声をかけていた。
「いってらっしゃい、パパ」
 愛おしそうに父を見、笑いかける母。
 けれど、父はそれには応えない。
 ■の頭を一度撫でて、出て行った。
 あの日、父が■になんと声をかけたのか。■は覚えていない。


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