祖父が狂い、父が狂い、死した
代々受け継ぐ呪いを、誰しもが狂人と嘲笑う。
誰にも聞こえない声。死ねば楽になるが、まだ耐えられる。
どうして、こんな地獄を選んだのだろう。
否、ボクは幸運だ。幸福だ。とても幸せだから、耐えるのだ。
◇
◇
味わうように飲み込んだ食事を終える。時刻は午前八時。集合時間は九時だが、きっと集合時間前に集まることだろう。
「ご馳走様。片付け、手伝うよ。母さん」
「あら、いいのよ? 津波。私がやっておくから、貴方は貴方の支度をしなさい」
「……なら、お言葉に甘えてそうしようかな」
支度という支度は昨晩のうちに終わらせている。後は荷物を持って外に飛び出すだけだ。
「食べ終わった? サトシ」
「ん」
食べ終わった食器をシンクへもってきてくれる。まだ背丈の関係で中に入れることはできないため、受け取る。テーブルを軽く拭けば終了だ。歯を磨きに行こうと、洗面所に向かう。後ろにぴっとりと引っ付いてくるサトシが可愛い。歩きにくいことなど、二の次だ。
「ねぇさん」
「ん……?」
何を思ったのか、見下ろしたサトシは不安げだった。か細い声で「かえって、くるよね……?」と、問われた時、言葉を返せなかった。
「(父さんと僕を、重ねてる……?)」
父の帰りを信じて待ち続けるけなげな母。帰ってきてほしいと、表では言わずとも、陰で泣いていることを知っていた。連絡や仕送りの一つもなく、ただ、結婚していたという事実だけが縛る関係。おぼろげな後ろ姿から感じる父の姿。あれは、逃げていた。怯えていた、何かを。だから、嫌いだ。逃げることでしか、自分を保てなかった愚かで、弱い父が。
今日という日に、何故こんなにも嫌なことばかり思い出すのだろう。嫌なことを考え、そして自己嫌悪に陥る。
「(嗚呼、嫌だ嫌だ)」
嫌なぐらいに、写真の中の父と自分は似ている。似ているからこそ、ああなりたくないと思うのだ。
才能なんてなかった。バトルの才能も、母の方があったと聞く。それぐらい弱い人だった。才能が無い癖に、夢を追い求めた愚かな人。世間から見た父親は、きっとそんなものだろう。
写真写りが悪い父親は、写真の中ではいつも仏頂面だ。顔もかなりの確率でぶれていたり、目をつむっていたりする。交じりっ気のない黒い髪。帽子に隠れて見えないが、きっと瞳も同じような色なのだろう。
「帰るさ、僕は……」
写真の中のその人はひどく不器用だったようで、いびつな笑みを浮かべていた。
◇
◇
ポケモン協会から届いた荷物。トレーナーとしての基本装備。ハガキに、自分の身分を示す
「母さん、サトシは?」
「ソファーで寝ちゃってるわ。疲れたのね」
「そっか……」
「残念?」
「ちょっと、ね」
本音を言えば、見送ってほしかった。贅沢者だ。最初から最後まで一緒にいてほしいだなんて。
「そう。でも、帰ってくるんでしょう?」
「…………!」
生唾を飲み込み、大きく頷く。
「うん、帰るよ。帰って、くるよ……」
ふと、思い出すことがある。もしも、その人を「父」と呼べるのならば、「父」と呼ぶ資格が与えられているのならば。
「いってらっしゃい、津波」
玄関の扉に手をかける。いつも開けている扉が、未知のものに思えてきた。開かれた景色は、何も変わっていない。
母は「立派なトレーナーになれ」とは言わなかった。きっと、サトシに対してならば、そう言うだろう。自分が消えた父に似ていたから、言わなかったのかもしれないし、もしかしたら、期待していないのかもしれない。
あの日、自分の半分を与えてくれた人は、何も言わずに出て行った。そう、たぶん、あれがきっと、あの人の答えだったのだ。
「いってきます」
柄にもなく、思い切って外へ飛び出す。まだ見ぬ未知の世界を求め、仲間と共に駆け抜ける。
あの日、父は■に何かを伝えようとした。
最後に触れた父の手はゴツゴツとしていて、硬かった。
父は困ったように笑う。
そして、■にまた何かを言うのだ。
父が出て行く時、母はいつものように声をかけていた。
愛おしそうに父を見、笑いかける母。
けれど、父はそれには応えない。
■の頭を一度撫でて、出て行った。
あの日、父が■になんと声をかけたのか。■は覚えていない。
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