たった1人の普通の俊典さん

「へっ...?」

俊典さんからの想定外な提案に私は彼の顔を見ながら首をかしげた。俊典さんは私の目を真っ直ぐ見ている。


「今回の件、正直相当こたえたよ。生きた心地がしなかった。君を失うかと思うと。自我を失うかと思う程だ。なまえを守るだなんて豪語しておきながらこれだ。女々しいかもしれないが、もうあんな思い、したくないんだ」


この人は強い。だが弱くもある。そして私に弱みを見せてくれる。それが嬉しかった。俊典さんが辛そうな顔で最後の一文を声に出すので、私まで泣きそうな気分になってしまう。彼は一人で平和の象徴として戦い続け、独りで枯れゆく己の体に対峙し続けている。私は涙を堪え俊典さんの大きな両手に手を添えた。傷だらけのゴツゴツした大きな手。私の掌なんかじゃ覆いきれない。



「ご迷惑じゃなければ。よろしくお願いします」



彼の両手を口元まで運びキスを落とした。




「君は時々恥ずかしい事さらっとやるよね。おじさんドキドキしちゃう」


目を泳がせながら耳を赤くする俊典さん。一回り以上歳上なのに、たまにこういう可愛さが垣間見えるからずるい。こちらまで恥ずかしくなってくる。空調の効いた病室で私達の温度だけが上昇していた。





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あれから数週間がたった。なまえは一人暮らしをしていた賃貸住宅を引き払い、荷物も全て私のマンションに移した。化粧品が大好きななまえの為に好きそうなアンティークの鏡台をプレゼントすると、きゃー!凄い!何で私の好きなツボがわかるんですか!?と、驚く程に喜んだ。



「ねえねえ、いい入浴剤貰ったんです。半身浴にいいみたいですよ?使います?」

なまえが鏡台の引き出しから出してきたのはお湯に入れると薔薇の花が浮かび上がる入浴剤。発汗作用もありアロマの香りで癒されながら半身浴に最適と説明文が書いてあった。


「でも、流石に私も半身浴はしないよ」
「いいじゃないですか、身体のためにも!」
「なまえも一緒なら」
「う」

濁点が付きそうな声で目を丸くしてる彼女を見ると、もっとからかいたくなったが、半身浴とは汗をかく為の入浴だ。初めてのお風呂が2人で汗をかきながら入浴とは少し色気がない。
そうは言ってもなまえが自分の為を思ってさしだしてきたのだ。それがとても嬉しかった。


「冗談だよ。ありがとう。今夜使ってみよう。」
「ぜひ。感想聞かせて下さい。」


私にしては珍しく余裕のある1日だった。ヒーローとしての要請もなく、彼女といつものように食事を済ませ、たわいも無いおしゃべりをし、好きな映画についてああだこうだ語り合い、オススメされた入浴剤を使い身体がスッキリした心地で気分よくベッドに入った。



「なんだか、普通の人になったみたいだ。」
「ふふ。あなたは普通の人でしょう。私にとってはそう。」



なまえはたまに底抜けの母性を発揮する。一回り以上歳下なのに、私は彼女の優しさに包まれ癒される。目の前で優しく微笑む彼女は綺麗な瞳でこちらを見つめる。この人は、いつ命を落とすかもしれない私を来る日も来る日も待ち続けてくれるのであろう。連絡がなくとも、怪我を負って帰ってきても。
悪いと思いつつも、なまえは私がなまえの母性に甘える事を望んでくれる。安らぎの空間にどっぷりと浸かり、私は眠気を覚えた。





「あなたは私にとってたった1人の普通の俊典さん。」



私の腕にすっぽりと収まっているなまえがゆっくりと瞼を閉じる。2人の距離は更に縮まり鼻がぶつかる。彼女は小さな声で呟いた。

「そうでしょう?」


気づけば2人は溶け合っていた。
お互いの体温の上昇を確認しながら、間接照明の中、本能に従い彼女と悦に溺れた。もはやいつ眠りについたのかさえ覚えてはいない。久しぶりに何も考えずに睡眠をとれた気がした。
そして目が覚めた時には、何も纏わぬ姿でベットに転がっている自分達に驚き、恥ずかしさを覚えた。


(なんて穏やかな日常なのだろう)


昨日と同じように、コーヒーを2人でソファに並び飲み始めた。







「なんだって?!」




しかしながら穏やかな朝は1本のフォンコールにより破られた。合宿中にヴィランによる襲撃を受け生徒が拉致されたのだ。私は思わず左手に持っていたコーヒーの入っているマグカップを、ダン!と音を立てテーブルに乱暴に置く。びくっとなまえは肩を上げ驚いていた。



「すまない。私もうでるね。」




少し怯えた表情のなまえに申し訳ない気持ちになりつつも、私は己の不甲斐なさへの苛立ちが抑えられなかった。



「また連絡する」
「待ってます」



彼女の言葉に甘え私は自宅を飛び出した。