「失礼します。…ナマエ警部?」

スーツが。
いいことあるかもなんてアホみたいにうきうきしながらおろした挙句、一度しか袖を通したことのない新品のスーツが。
ああ、よく見ると父に買ってもらったネクタイにも飛沫がかかっているじゃないか。
誕生日に貰った紺色のストライプ。これもお気に入りだったのに。

「すみません。少しよろしいですか、警部?」

最悪だ。厄日だ。もうやる気失せた。コーヒーの香りなんか二度と嗅ぎたくない。
コーヒーメーカーなんぞのある休憩室も、あんなクソみてえな同僚としょっちゅう顔を突き合わせないといけない職場環境も、近場にクリーニング屋が無い立地も全部嫌いだ。

「コーヒーの汚れは水溶性ですから、応急処置ではありますが水洗いや洗面所のハンドソープでも染み抜きができますよ」
「それを早く言えよ!」


「いや〜、ありがとう。なんとか目立たない程度に落ちたよ」

トイレにあった石鹸でも大体の汚れは落とせたようだ。あとはクリーニングに出せばすっかり元どおりになるだろう。
ロッカーから引っ張り出してきたカットソー一枚では些か寒いが、まあスーツが完全にお釈迦にならなかっただけよしとしよう。

「いえ、私のせいですみません。もちろんクリーニング代はこちらで負担しますので」
「悪いなあ、助かるけど…というか、おたくだれ?」

親切にも染み抜きの方法を伝授してくれた恩人は、しかし全くもって見覚えが無い。
男は首をひねる俺の前で背筋を正すと、慣れた手つきでネクタイを締め直して形の良い唇を開いた。

「申し遅れました。私はコナー。サイバーライフから派遣されたアンドロイドです」
「へー、よろしくねアンドロイドくん。これお近づきの印ね。染み抜き教えてくれてありがとう!」


助手席にお行儀よく座る男が、およそ見た目に似つかわしくないポップに彩られたそれを持て余すように眺めている。

「コナー、そりゃなんだ?」
「ナマエ警部からいただきました」

コナーの手の中でくるくる回る鮮やかな物体は、ロリポップキャンディブルーベリーチーズケーキ味。
現在進行形で禁煙中であるナマエが煙草の代わりによく口にしている棒付きキャンディーだ。

「嫌いな味だからやると言われました」
「貰うなそんなもん…」

そもそもアンドロイドに飴をくれてやる感性がわからん。必要無いだろ馬鹿なのか。

「いやこれさぁ、俺いっつも箱買いしてんだけど、嫌がらせみたいに絶対入ってるやつなのね。クソみたいな味して食えたもんじゃないからあげるよ」
「あいつの声で喋るな」
「興味深い方です」
「どこがだよ…」

なにせ奴は、テレビだろうがタブレット端末だろうがアンドロイドだろうが叩けば治ると言って憚らず、一度パトロール中のアンドロイド警官にエラーが起きた際には銃床で殴って頭部を凹ませた男だ。

一見まともそうに見えるというのが余計タチが悪く、しかしすぐにでも確実に頭のネジがぶっ飛んでいることを知る。

飽きもせず飴を見つめるコナーに半ばげんなりしつつ、ナマエがこいつに変なことを吹き込まなければいいが、と俺はひとり憂慮した。



戻る

トップ