-…すみません。若いひとには、つまらない話でしたね。

ぽつりと呟いた名前さんの、伏せられた瞳から感情は窺えない。

「いえ、その…俺が悪いんです。ぼーっとしてて」

取るものも取り敢えず、散らばった種子を拾い集める。
名前さんの右手のそばに歪な形のアーモンドがひとかけら転がっていた。
彼はそれをじっと見つめて…それから、取り上げて、噛み砕いた。

-単純な話だ。スワンプマンは、複数体作られようがその全てが男自身であると知覚する。
己を己とみなす。
同一だ…同一でなければならない、どこが違う…?

一際声色が低く、冷たいものに変わった。

-物理主義だのなんだのと理屈を捏ねくり回したところで、男さえいなければ、スワンプマンが本物だ。本物だろう…?

豹変した彼は、呪詛を吐き出すように滔々と言葉を紡いでいく。なんだ、これは。
半ば呆気に取られ、そして現状を理解できない俺に代わり反応したのは身体の方だった。

北海道の冬は容赦が無い。
網走にいた頃は骨の髄まで凍てつく寒さと粗末な煎餅布団のおかげで随分辛酸を舐めたものだ。
だから、例え地下の暖房の効くバーにいようが多少の寒さからはどうしても逃れられない。
北海道は寒い、当たり前のことだ。
それなのにどういうわけだろう。

これまでに感じたことのない不自然な悪寒が全身をじっとりと覆う。
異質で気味の悪い寒さ。この場に留まってはいけないと本能が訴えるような寒さ。

目の前の男は…つい先程まで、穏やかな微笑を浮かべていた名前さんは、本当に人間なのだろうか。

愚かな考えだ。
けして自分の直感を疑うわけではないが、突拍子もない上に確実性も無い。
ただある種の異様さを伴う男だからというそれだけの些末な理由。

-おや。馬場くん、顔色が悪いようですが…

不意に声をかけられて気がつくと、目の前の男はいつもの名前さんに戻っていた。
嫌な寒さもすっかり消え、店内の有線も客の密やかな話し声も、やがて耳に入るようになる。

「あ、あの……い、今の…」

-どうか、しましたか。

いつもと同じだ。何も変わらない。
どこか仄暗いけれど物腰が柔らかくて優しげな名前さん。
今さっきのただならぬ様子を聞いてしまおうか、何も見なかったことにするべきか。
戸惑いながら逡巡している内に、彼の形のよい眉がひそめられた。

-申し訳ありません。私の我儘に付き合わせたばかりに…このお話しは、もうやめにしましょう。
すみません、お勘定を。

駄目だ。
気持ちが、わるい。
今見たものこそが、ばかな俺の脳から投射された幻影であればいいのに。




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