妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
ほんたうに久方ぶりに、おにいさまがうたを教えてくださいました。教本を手に、おにいさまは楽しそうに文字を目で追っていらっしゃいます。昔は、こうして兄妹ふたりで頭をつき合わせて万葉集など読み耽ったものでした。おにいさまは、特に藤の花を詠んだうたがお好きで御座いました。
わたくしも、幾たびも巡る春に咲き誇る藤を、眺めていたいものです。おにいさまと、何度でも。
庭師として花に触れることも失くなったおにいさまからは、けれどもどういうわけか匂い立つような藤の香がするのです。噎せかえるほど薫るのです。
わたくしは子供の頃、実はおにいさまは藤の妖精ではないかしらんと、愚かにも本気で信じていたことがあるのですが、ああ、同じ過ちを、煉獄さまも犯していらっしゃいました。奴にも炎柱としての矜持があるのだから他の連中には内緒だよ、と耳打ちしたおにいさまは、吃々と意地悪そうに笑っておられます。
傍らで控えていらした煉獄さまはというと、ほんたうにさう見えたのだから仕方なかろう!と堂堂と胸を張って仰るものですから、わたくしもつられて笑いました。頬の筋肉が自然と動いてくれたのでほっといたしました。
こんな風に穏やかで愉しい日の夜、ひとりぼっちになることが恐ろしくてたまりません。
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