蒙古どもが島を覆って幾日たったか。
あれはそう、街道を歩けば蒙古が闊歩し、うち捨てられた死体を啄む烏が気味悪く鳴いている、そんな光景も見慣れてきてしまったころのことだ。
卯麦の谷の、見窄らしい身なりの牢人に質の悪い酒を売りつけたのが運の尽き。
血糊がこびりついたままの刀身を俺の首にひたりと当てながら、奴はにっこり微笑んだのさ。

—え、ええと…何かお気に触ることでもしちまいましたかね?

びしゃり。

返事の無いまま、俺の顔から冷たい汁が滴った。あの瓢箪の中身をそっくりそのままぶちまけられたのだと気づいて俺は慌てたね。

—うわあ、ばっちい!
—なんだ、飲まんで正解だったなあ

けらけら笑い出したその牢人が顎でしゃくって示した向こうの茂みでは、似たような出で立ちの男が這いつくばってそりゃもうさかんに吐いていた。
売った俺が言うのもなんだが、可哀想に。

—だからやめろと言ったんだぜ、おい。小便でも混ざってたんじゃねえか?
—黙れ!ちくしょう、ぶった斬ってやる!!
—お〜こわ、そら逃げろ逃げろ〜

ひいいお助けと逃げ惑う俺を笑い囃し手を叩いて喜ぶ男は、やがて遠目になにかを見出したのか邪悪な笑顔のまま停止した。
ややと思い俺を追い回していた牢人と揃って視線を辿ると、腰に刀をさしたひとりの男がちょうどこちらへ向かって歩いてくるところで。
助かった、ありゃあ境井様だ!

—なんの騒ぎだ。

いつものしぶぅい声でひとこと、それを聞いた俺はこれ幸いと三足跳びに近寄った。いやね、あっしはただ酒を売っただけなのに、こいつらがいちゃもんつけてきましてね。粗悪品を売りつけたことを棚に上げて告げ口してやるつもりだった。瓢箪は中身をぶちまけて地面に転がっているし、ばれやしないさ…

—なまえ。

まず境井様が発したこの名前は、はて、いったい誰のことだろう?
首を傾げるまもなく、囃していた牢人の方が境井様めがけて駆け寄った。

—境井殿!

ついさっきまで汚泥のごとく暗く澱んでいた瞳は輝き頬には紅がさし、まるで無邪気な子犬みたいに境井様にじゃれつく牢人。誰あれ。

—いらしてたのですね!おっしゃってくださればお迎えにあがりましたのに!
—ちょうど近くまで来たのでな。して、なにかあったのか?
—いえいえ!境井殿のお耳に入れるようなことはなんにも!足元にお気をつけくださいませ、酔っ払いめが吐き散らかしておりますので
—はああ?

吐き散らかしてた当の牢人が大層不満げな声をあげたが、見向きもせずになまえと呼ばれた男は境井様にあれやこれやと話しかける。
お召し物が汚れておりますねだの、お食事はお済みでしょうかだの、ご入用であればなんでもお申し付けくださいだの。
殺されかける俺を嘲笑っていたさまなんぞ露ほども感じさせないあの様子は、冥人様冥人様と慕うたかを見ているようだった。

—心遣い痛み入るが不要だ。それに、どうせ堅二が不義を働いたのであろう。
—はい!!
—すまないが、俺に免じて赦してやってくれないか。二度とせぬよう言い聞かせる故。
—はい!!!

ああ二つ返事ってまさしくこういうことを言うのね、なんて元気のよい返事でしょう。
俺はもはや取り繕うように笑うしかなかった。
境井様にはさっそくばれているし、それに、横槍でも入れようものなら今度こそあの刀が首めがけて振り下ろされるに違いないから。




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