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零とPM2:00
2024/02/20 20:52

「零さん、そろそろ起きてください」

 ふと横から聞こえてきた声に反応するように目を開ければ、自分よりも幾分も背の小さい女性がタブレットを机に乗せ、キーボードを叩きながら黙々と仕事をしていた。彼女はリズリンの事務員で、最近零個人の仕事があまりにも忙しいからと期間限定のマネージメント契約をしたのである。

「今、何時かのう?」
「14時です。あと15分で撮影始まりますよ」
「んんん……」

 寝ぼけ眼で返事をすると、零は組んでいた脚を崩して、更に組んでいた腕を解いて大きく全身で伸びした。まだ日が高い分本調子ではないものの、最近はそうも言っていられない。

「待機時間が長いのもしんどいのう……」
「その間は出来る限り休憩に回してくださいね。夜はまた会食があります」
「わかっておる」

 そもそも零に期間限定のマネージャーを付けてはどうかと提案したのは薫だった。アイドル業務の他、お偉方との会食やらで忙しくなった零を心から心配してくれたのだろう。そんな好意をありがたく受け取るのも甘えなのだと蓮巳までもが言うのでありがたく人員配置をお願いしたのだが、マネージャーとして付いてくれた女性は非常に心地よかった。

 必要以上に話さないし、距離感も一定なのがありがたかった。少なくとも、仕事にかこつけて零という光に群がる蛾のような女性ではないということだ。その辺は蓮巳の采配があったのかもしれない。とにかく、ありがたかった。

 それに気が付いてからは、零はとことん彼女に甘えていた。昼間の待機時間は丸ごと寝る時間にあてたり、スケジュールはほとんど彼女任せになった。
 彼女はまじめな人なので、当初は零の事を「朔間さん」と呼んでいたが、他事務所に弟がいることを理由に名前で呼んでもらうようにしたら少し恥ずかしそうに名前で呼んでくれるようになった。なぜか無性に嬉しくて顔が緩みそうになるのは、今の所零だけの秘密である。

「メイク直しお願いしますか?」
「んん、崩れちゃったかのう」

 何気なくそう言うと、斜め下から彼女がじっと覗いてきた。まん丸な瞳を目が合って、ガラにもなく緊張する。ふい、とあくまで自然に目線を逸らせば、彼女は一つ頷いた。

「大丈夫そうですね。撮影前に軽く見てもらう感じで」

 ご自身でも確認してくださいね。と言われ、零は渋々楽屋の鏡で一応ザッと確認した。そもそもほとんどメイクなんてしていないので、確認する必要など実はあまりない。

「まだ頭がぼんやりする……」

 早朝に仕事が入るよりましだが、完全に覚醒するにはまだ早い。慣れない仕事も増えた分知らない内に疲労が溜まっているのだろう。零は鏡の前から離れると、またマネージャーの隣の椅子に座った。彼女が少し心配げな瞳で見つめてくる。少しドギマギしながら彼女が何か話しそうな雰囲気を読みとり、余裕な表情を顔に貼り付けておいた。

「……零さん」
「なんじゃ?」
「最近会食でお酒を勧められることがあると思いますが、その辺は大丈夫ですか?」
「ふむ、大丈夫。一応自分の中の許容範囲はわかっているつもりじゃ」

 書類の年齢上、二十歳になった零は会食の席で酒を勧められるようになった。流石に強い酒を勧めてきたりする人はいないが、会食だとビールが出てくることがほとんどである。まだそこまで美味いとは思えないものの、大体は自分が冷静でいられる飲酒量を把握し始めていた。
 しかしマネージャーはぽかんとした顔で、零の言葉に驚いたような表情を見せていた。

「えっなんじゃその顔。安心せい。酔っぱらって週刊誌にすっぱ抜かれるようなことはせんぞい」
「そっちじゃないです。いえ、それも大事なんですが……。まだお酒飲み始めたばっかりなのに、もう自分の許容範囲わかってるなんてすごい、と思って……」
「とするとおぬしは意識なくしたりしてすっぱ抜かれちゃうクチかのう」

 少しからかってそう言うと、彼女の頬が火でも灯ったかのように赤くなった。

「そ、そこまでひどくありません!吐いてご迷惑掛けることもないし!ただちょっと…」
「ちょっと?」
「家に着くとコンビニで買った記憶のないお菓子を買ってきていることがあるだけで」
「十分じゃろ。それ」

 呆れたようにそう言えば、零より少しだけ年上の彼女は悔しそうに呻いた。これは思いがけずいい情報を手に入れた。

「今度一緒に飲もうぞ。飲んだ後我輩がお菓子買ってあげればいいじゃろ」
「い、いやです」
「なんじゃ。せっかく口説いたのに」

 半分以上の本音と微かな冗談を混ぜてそう言えば、彼女はぶんぶんと首を横に振って何かを拒否した。何を拒否しているのかは、零には今のところわからない。

「ひ、昼間からお酒の話なんてやめましょう。それにしても呼ばれませんね。私ちょっと現場確認してきます」

 彼女は早々に立ち上がると、ヒールの音を立てて楽屋から出て行ってしまった。

「ちぇ、」

 少し名残惜しそうに彼女が閉めていった楽屋の扉を見つめながら、零は脚を組み替えた。夜の会食が正直憂鬱で仕方なかったが、彼女の意外な一面を見られたので少しばかりモチベーションが上がった気がする。
 期間限定のマネージャー契約。期間限定なのは、マネージャーとしての彼女なのだとしたら。それはきっと零にとって最高の契約満了だ。

「零さん、セットの搬入が遅れているので1時間撮影延期になりました。その間にこの後に予定していた新曲CDのコメント撮り挟んでいいですか?スタッフさんがここまで来てくれるそうです」
「了解じゃよ」

 先ほどのやりとりでアドレナリンが活性化したなんて言ったら、彼女は怒るだろうか。照れてくれるだろうか。もし彼女が「体調戻りましたね」と零の変化に気が付いたなら、言ってみよう。




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