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泉とAM1:00
2024/02/20 20:50

 タクシーは、泉が住んでいるマンションの近くに到着した。
 
 外に出ると冷たい風がマスク越しに喉の奥をひんやりと冷やしていく。それに一度眉をひそめてから不意に腕時計を見れば既に日を跨ぎ、深夜の一時を回っている。流石に少し、疲れた。

「ただいま……」

 呟くように言ってから、泉は玄関で靴を脱いだ。きっと一緒に住んでいる彼女はもう眠っているだろうと思ったが、リビングはまだ電気がついていた。そっとリビングへ向かいポツンと座る彼女の名前を呼んでみる。

「うわっ!びっくりした!お帰り!!」

 彼女はビクッと肩を揺らしながら泉の方を振り向いた。泉が帰ってきたことに気が付かなかったようである。

「……ただいま。あんた、まだ起きてんの?もう一時だけど」

 微かに泉の脳裏によぎったのは、彼女はもしや自分の帰りを健気に待っていてくれたのではという期待である。しかし彼女はへらっと笑って手に持っている物を持ち上げた。

「あのね、買った本面白くてさ〜」
「あ、そ」

 期待して損した。と内心ため息を吐きながら、泉はキッチンに向かった。この時間に食事をするのはいただけないが、夕飯を仕事で食べ損ねているから空腹なのである。何か体が温まるものでも作ろうかとした所で彼女がひょっこり顔を出した。

「お腹すいたの?」

 彼女からはふわりとラベンダーのような香りがした。最近気に入っているらしきボディクリームが微かに、しかし心地よい程度に香っている。

「夕飯食べられなかったんだよねぇ」
「えぇっ、かわいそうに」

 ならこれ食べたら?と彼女がコンロの上の鍋の蓋を開けた。中にはお手製のスープが入っているようだ。

「へぇ、美味しそうだねぇ」
「でしょ?生姜スープ。肉団子嫌なら避けて」

 メニューを聞いた瞬間に泉のお腹が小さく鳴った。それを誤魔化すように、鍋をかき混ぜる。

「ありがと」

 スープをレンジで温めるとじわじわと期待感が膨らみ、空腹感は更に加速していく。電子レンジの回転板の上でくるくる回るスープを二人で見つめていたら、彼女が口を開いた。

「明日はまた仕事早いの?」
「ううん。夕方から」
「よかった。沢山眠れるね」

 うん。と泉が頷いた所で、静かなキッチンにお腹の音が響いた。泉は顔を上げる。目の前には気まずそうに目を逸らす彼女がいる。

「今のお腹の音……あんた、だよね」
「聞こえた……?」
「聞こえたに決まってるでしょ。なぁに、あんたもお腹空いたの?」

 自分の分を温め終えてから、泉はもう一つのお椀に少しスープをよそってまたレンジに入れた。彼女の分である。

「だ、だって、夕飯早めに食べちゃったの。本の続き読みたかったし……ほら、頭使うとカロリーが消費されるっていうか……」

 いつも間食で泉に怒られることが多い彼女は、食に関してはつい言い訳してしまう癖が付いてしまっているようである。けれど慌てて必死に言い訳をしたりするのが可愛く見えるのは、恐らく彼女だからだろうと泉は思っている。

「はいはい今日は特別。俺一人で食べるのもなんか気が引けるしねぇ」

 二つのお椀を持ってローテーブルに座る。彼女が持ってきた箸を受け取ると、二人揃って丁寧に手を合わせた。
 まずはスープの中の春雨をつるつるとすすった。生姜がしっかり効いたスープが絡んで美味しい。

「うん、美味しい。生姜が効いてるねぇ」
「生姜安かったからいっぱい入れたの。最近寒いから」

 確かに先ほどまで寒い外にいた泉からしたら、ありがたい味がする。

「ねぇ。今日の仕事、夕飯食べられないくらい忙しかったの?」

 スープの肉団子をかじった彼女が何気なく聞いてきた。泉は一度頷くと、今日の忙しさを思い出すように上をぼんやり見つめる。

「雑誌の撮影だったんだけど、衣装の取り違えが起きちゃったんだよねぇ」
「そうなんだ。大変だったねぇ」
「俺は別に。スタッフさんは大変そうだったねぇ。衣装が用意出来たのが夜になってからでさ」
「だからご飯食べる暇なかったんだ」
「そう。まぁ一食抜くくらいどうって事ないはずなんだけど……」

 彼女もうんうんと頷きながら器に口を付けてスープを飲んでいる。いつも美味しそうに食べる姿が、泉は大好きだった。

「我慢は体によくないよね〜わかるわかる」
「あんたは大概我慢が出来ないけどねぇ」

 こつんと彼女の頭をこづいてやれば、彼女がへらっと笑った。よく見れば寝る前だからかパジャマ姿の彼女の胸元が、いつもより奥まで見えている。更によく見れば、パジャマのボタンがだらしなく開いていることがわかった。彼女のことだから、ボタンホールが緩んでいてボタンが外れてしまった事に気が付いていないのだろう。

「……」

 我慢は良くない。それはそうだ。『何事も』我慢はよくないものだ。しかし今日は、疲労で頑張れる気がしないはずなのに、泉の身体は妙な元気を発揮しようとしている。 

「どしたの?急に黙って」
「……あんた、」

 今日はだめだ。絶対に寝た方がいい。わかっている。わかっている。
 泉はゆっくり彼女の胸元に手を伸ばした。そのまま、
 
 そのまま、彼女のパジャマのボタンをしめた。

「ボタン、外れてるよ。だらしない」
「あっ、ごめんね」

 ありがとう。という軽い声。彼女は何も期待してない。自分も期待してはいけない。

「なんかお腹温まったら眠くなってきたなぁ。先に寝てていい?」
「……好きにしたら?」

 本当は食べてすぐ寝るなとかい色々言いたかった。言いたいけれど、ここは寝てもらった方がいい。

「……俺も、シャワー浴びる」
「食器は明日洗おうね。おやすみ〜」
「おやすみ」

 深い深いため息を吐いて、いろんな感情を濾過した泉の、深夜一時。



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