TOP > 更新履歴 > 記事 零と契約結婚・2 2025/06/08 00:01 「我輩、早く帰りたい」 零はその日、楽屋でポツリと呟いた。その日の撮影は至極順調で、予定よりも少し早く解散出来そうな流れなので正直その台詞はわがままの域である。これが押しに押したスケジュールだというのなら隣でそれを聞いていた薫もまぁまぁもう少し頑張ろうよと大きな子どもをあやす所だが、いかんせんその言葉は適していないようだったので、ただ「え〜、」と不満のような相槌を漏らした。 「そうは言うけどさぁ、撮影すごく順調だよ。何かこの後用事でもあるの?」 なんだかんだUNDEADの仕事が大好きな零が仕事中にも関わらずこんな事を言うのだ。恐らく弟である凛月と食事に行くとか、そんな所だろう。薫はそう予想を立てて一応、といった風に聞いてみる。すると零は芸術品のような横顔のまま、だらしなくテーブルに頬杖をついて言う。 「早く奥さんの所に帰りたいだけじゃ」 「え、」 薫はつい言葉に詰まる。零がつい最近、リズリンの社員と結婚したというのは聞いていた。聞いていたしなんならUNDEAD内で本当に軽いお祝いのようなものもした。けれどそれはほぼ合法な仮面夫婦のようなもので、零は社内ゴシップを避ける為、彼女はストーカーから逃れる為だと聞いていたのだが、違うのだろうか。 「えっと〜仲良くやってるんだね。よかった」 「仲良しじゃよ。夫婦じゃもの」 「ちょっとちょっと、夫婦って単語でにやつかないでよ。気色悪いなぁ」 博物館の芸術品みたいな零の顔が一瞬、蚤の市のガラクタのようにデレッと崩れた。薫は驚いて目を見開く。しかし零はすぐ額縁に飾れそうな雰囲気に戻り、ポツリポツリととんでもない事を言い出す。 「だって今日は我輩の方が帰るの遅いから奥さんのお帰りが聞けるんじゃ。そんなん楽しみすぎる」 「そ、そうなんだ。だから早く帰りたいんだね」 仮面夫婦だと思っていたのに、突然の愛妻家ぶりに戸惑うばかりの薫である。聞いていた話と全然違うではないか。 「うむ。お帰りのちゅーは奥さんからって決まっておるから、もう毎日家に帰るのが楽しみすぎてのう。やっぱ夜担当を向こうにしてもらって正解じゃった。ご褒美があるってだけでこんなに仕事頑張れるし早く帰りたい」 「えっと〜、お帰りのちゅーはまず聞かなかった事にするとして、夜担当とかご褒美とか……やっぱいいや。それも特に聞きたくない」 薫はこれ以上聞くのが怖くなったので、そっと話題をシャットアウトしようとした。けれどそういう部分の空気がとんと読めないのが我らがUNDEADのリーダー、朔間零なのである。 「キスをな、朝と夜一回ずつ絶対しようって決めたんじゃよ。突然結婚しちゃったからテコ入れせん限りずっと同居してる同僚になりそうで我輩が悲しすぎるから」 「ふーん」 「あと一緒に寝てるんじゃけどもう、寝顔が……っ、可愛くて……っ!!まさかベッドも一緒にしようって提案まで飲んでくれるとは思わなくて、本当は奥さんも我輩の事ずっと好きだったのかな?とか勘違いしちゃうそうなんじゃ」 「……したらいいんじゃない?もう夫婦なんだし」 途中から面倒になった薫は考える事をやめた。家庭の様子がどうであれ、ちゃんと仕事をしてくれればそれでいいという気分にならざるを得なかったのである。 結局スムーズに仕事を終えた零は、途中にメッセージで「今から帰る」と妻に送り、出来る限り早く帰路についた。今日はこの後特に仕事はなく、薫は何かを察したのかそそくさと帰って行ったので零も何も気にせず家に帰ることが出来たのだ。玄関の鍵を開ける前に一旦深呼吸をする。浮かれに浮かれた姿を見せたら折角格好つけて契約結婚みたいな風に持って行ったのに、ただひたすらに大好きな奥さんからのお帰りのキスをねだるダメ夫に成り果ててしまう。 「ただいま」 「あれっ思ったより早い。お帰りなさい」 妻は湯気の立つ浴室から出てきた。事務所で見るよりも少し素朴な顔になっているのは、メイクを落として眉毛が薄くなったせいだろう。そういう隙のある姿がたまらなくて、つい思いっきり抱きしめそうになるのをぐっと堪える。 「風呂に入っておったのか」 「うん、今日寒いし。零くんも先に入る?」 今なら浴室あったかいよ。と言われるが、零にはそれよりも味わいたいものがあるので考えるふりをする。今風呂に入ってしまったら、彼女は先に寝てしまうかもしれない。 「いや、先に食事にしてもよいか?我輩自分で準備するし」 先ほどメッセージに「夕飯あるよ」と来ていたので、ほのかに期待していた。彼女の料理は誠実な味がするので大好きである。 「準備、私やるよ?」 「なんの。早く濡れてる髪を乾かしておいで。風邪を引いてしまうからのう」 本心7割、格好つけ3割といった所である。肩をぽんと叩くと、叩かれた彼女はお礼を言ってまた浴室へ引っ込んでいった。一方零は手洗いうがいを済ませてキッチンに行き、鍋を開ける。今日の夕飯は豚汁だと聞いていたのですっかり豚汁を食べたい口になりながら、器によそってレンジに入れた。冷蔵庫から妻が作ってくれたおかずを出しているとドライヤーを終えたらしき彼女が近寄ってきた。足元は過保護な零が買い与えたモフモフとしたルームシューズを履いている。 「おぉ、大丈夫じゃよ。準備くらい自分で……」 やるぞい、と言おうと体ごと振り返る。その瞬間思い切り抱きしめられて、零は思わず「ひゅっ、」と息を吸った。 「お帰りなさい。今日もお疲れ様でした」 彼女が背伸びをして、つられて零も屈んだ。すると妻はちょっと悪戯っぽく、パクッと食べるようなキスをしてきた。反射的に目を閉じたはずだけれど、バクバクと鳴る心臓のせいで目を閉じたかどうか忘れてしまった。 彼女が唇を離して両手を伸ばしてきた。絶対に赤くなっているであろう頬を両手で包んでくれる。 「寒かったし、ほっぺ赤い。零くん肌白いからすぐ赤くなっちゃうね」 ふふふ。と笑いながら、モフモフという音を立てて彼女がキッチンから出ていった。電子レンジが豚汁を温め終えたのか、ピーピーとけたたましく鳴いている。 当の本人はときめきゆえに抜けそうな腰を、キッチンに寄りかかる事で必死に耐えていたのであった。 訳あって、結婚した。 「我輩、条件的にはかなりいい方だと思うぞい。自分で言うのも変だけど」 「それはまぁ、確かに」 こう言えば彼女が納得するであろう自信はあった。 「おぬしなら我輩も信頼しておるし、パートナーとしてピッタリじゃ。恋愛結婚とかに憧れてるなら無理はしないでいいんじゃけど」 「いいえ、もういいです。懲りましたその辺」 前の彼氏で散々な目に遭っている事は知っていたからこの答えも予想通りではあった。けれど少し歯痒くて寂しい。これではもう自分とは恋愛してくれないように聞こえた。だから寂しいと素直に言ったけれど、流されてしまった。別にいい。これからの関係構築に力を入れた方が建設的である。 こうして零はずっと好きだった件の女性と結婚に至った。いわゆる交際0日婚であるし、彼女は契約結婚だと思っているだろう。けれど零は違った。一世一代の告白に、一世一代のプロポーズであったのだ。 自分がゴシップに辟易していたのも紛れもなく事実だし、彼女を助けたいのも事実だ。嘘偽りは無い。けれどそれ以上に零は彼女を手に入れた事が嬉しくて、それからしばらく有頂天の日々を送るのである。 [prev][next] [Back] |