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茨と「すきすきすき」
2025/11/04 20:02

『A5ランク和牛に興味はおありで?』

 と、茨くんから連絡が来たので、勿論。と返しておいた。

『それはよかった。それでは待ち合わせ場所ですが…』

 そのアッサリした文言の後には、お店のURLが貼られている。場所を確認するとやはりいい所にあるいいお店のようである。日にちは急だけれど明日の夜だ。サイトを見た感じ完全予約制のお店のようなので、急遽予約が取れたのだろう。
 
 日にちが今日ではなく明日であることに、私はほっと胸をなで下ろす。なぜなら今日は何年も履いているスカートに千円前後のカットソーを着ている。着替えに帰る時間もないから、こんな格好のままそんなお高そうなお店に行くことにならなくて済んだ。忙しい茨くんはたまに当日誘ってくるのだが、今日はそれを免れたようである。

 というのも、これは明確に言うとデート、とはっきり言えるような集まりではない。茨くんが得意先の人との接待に使える店か否かを判断する下見がてら、デートをしているだけなのである。

『了解。じゃあ明日お店の前でね。楽しみにしてる』

 彼にはそうメッセージを送ってスマホを鞄にしまった。前回はお寿司屋、その前はイタリアンと、バラエティ豊かな美味しいご飯を食べさせてくれるのはすごくありがたいし、二人で食事をしていてもお店の下見なのだと話せばアイドルである彼とも自然に外食が出来る。なので彼が下見に私を誘ってくれるのはすごく嬉しかった。楽しい思いも出来て、下見だから経費で食事代も落ちているだろう。まさに万々歳である。

 今回のお店はA5ランク和牛を鉄板焼で食べられるお店のようで、私は明日の昼食は控えめにする事を忘れずにいようと誓ったのだった。


「やぁやぁこんばんは」
「あ、お疲れさま〜」

 お店まで行くところで、茨くんが後ろから話しかけてきた。タクシーにでも乗ってきたのか突然背後に現れたのでびっくりしたが、きちんとスーツを着た姿は本当にかっこいい。私も一張羅のワンピースを新調してよかった。ただでさえ外見で釣り合いが取れないので、なんとか服だけは釣り合いを取らせたかったのだ。

「そのネクタイ初めて見た。似合ってるよ」
「そうですか?ありがとうございます!スタイリストから買い上げたものだから間違いはないかと思いましたが…恐縮であります!」

 そういう話を聞くと彼がアイドルである事を深く再認識させられる。一般人は自分のセンスとお店の人のアドバイスだけで四苦八苦しながら服を買うのに。

「あなたもそのワンピース似合っていますよ。新しいものですか?」
「だってお店、すごい高級店じゃない?一張羅下ろしたよ」
「舌がどんどん肥えてしまいますなぁ。普通の飲食店で満足出来ないとか言い出さないでくださいね。手に負えなくなります」

 そうさせているのは茨くんなのに…と思いながら、横を歩く彼の手を一度見て、目をそらした。接待のお店の下見をする男女は、手なんて繋がない間柄なのである。


 合流してからすぐお店にたどり着くと、雰囲気のいい店内に通された。「七種様。いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀をしたお店の人に礼をして、粛々と食事が始まった。既にコースを頼んでくれていたみたいで、先付けや前菜が見た目も美しく目の前に出された。

「美味しそう。いただきます」

 いつもより丁寧に手を合わせて、料理を口にする。上品な味付けに先ほど彼が言ったように舌が肥えてしまいそうで怖い。

「いやぁ、盛りつけも美しい!味も繊細ですねぇ」
「茨くんが言うと食リポみたいだね」
「芸能人が食事の感想を言うと全部食リポになってしまうんですよ」

 うっかり思ったことを言うと、ちょっとムッとしたような返事が返ってきた。あくまで下見とはいえ今はプライベート、とでも言いたいのだろう。
 そんな中身のない会話をしていたら、あっという間にメインの和牛がやってきた。レアで焼かれた牛肉のサシが、見たこと無いくらいに細かい。

「やばい…やばいねこれ…美味しいよ…」
「ふむ、そこまで感動して頂けると連れてきてよかった、という気になりますね。そんなに牛肉好きなんですか?」
「え?すきすきすき。超すきだよ美味しいじゃん」
「そうですか…」

 その日のディナーは大層満足のまま終えて、茨くんはお店の詳細が書いてあるショップカードをもらっていた。

「ごちそうさまでした」

 タクシーに乗ってからきちんと礼をすると、茨くんはいつもの笑顔で「満足頂けてなによりです」と呟いた。

「いや〜ほんと美味しかった!雰囲気もいいし、あそこなら接待に使うのも問題ないんじゃない?」

 そう言うと、茨くんがびっくりした顔をした。私は「え?」と思わず声を漏らす。

「まさかとは思いますが…今日あなたずっと、自分が接待の下見にあなたを誘ったと思ってたんですか?」
「えっちがうの?」

 なんならいつも外食する時はそうだと思っていた。と言うと、今度はアイドルにあるまじき放心した顔をした。まずい。

「ご、ごめん、ごめん茨くん。デートだったんだ…。純粋なデートだったんだね…」
「……」
「美味しかったよ幸せだったよ!お肉も好きだけど!茨くんもすきだから!本当に!」

 私の為に予約してくれてありがとう。というと、茨くんは深くため息を吐いてタクシーのシートの上に乗せた手を繋いでくれた。恐らく許してくれたのだ。
 外で手は繋げないけれど、タクシーの中ならこっそり手を繋げるのだ。本当は私は、それだけでもう十分なのである。



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