TOP > 更新履歴 > 記事 ジュンの獣人パロ 2025/11/04 20:14 決まりごとが多い街だ。と、私は常日頃から思っている。もちろんそれは秩序を守る為であり、人々の生活を守る為であるのはわかっている。生きる上で必要なものなのも理解はしている。でもここが人間とは違う種族が生きている森に一番近くにある村だからといって、その種族に関することをこちらで決めて相手に押し付けているような人間の姿勢が、私は昔から好きではなかった。 獣人が住む森には近づいてはいけない。彼らはおよそ人とはかけ離れた身体能力を持っているがゆえ、時に人を傷つけ奪うと子どもたちにはお伽噺を語るかのように教え込むというのに、かたやその獣人が住む森の入り口付近にある泉は聖なる泉で、そこの水を修道院に捧げる必要があるなんて、正直ばかばかしい。近寄るなと言いつつ誰かをスケープゴートにして神聖性を保つなんて、おかしな話だ。 修道院から持ち回りでその泉から水を汲んでくるよう今月言い使ったのは私の家だった。借りた水差しを片手でぶらぶら提げながら泉まで行く。街の石畳が徐々に薄くなり、湿った土を踏みながら森の中へと入る。獣人が住んでいるからか、この森は凶暴な野生動物はいない。それはひとえに彼らが秩序を保っている証だと思うけれど、偏屈な人にはとんと通じないのだ。 「……ッ!……!」 「え?」 しかし私は泉の近くで不穏な声と、鉄臭い音を聞いた。ガシャンガシャンと硬く激しい音を立てながら、誰かが叫んでいるような声がする。 「え、なに?なに?」 私は不意に怖くなって、そっと声のする方を木に隠れながら覗く。すると泉のほとりで獣人の男の子が一人、大きな罠に掛かっているのが見えた。どう見ても人間が仕掛けたものだ。見ると周囲は血だろうか、草が赤いもので濡れている。 「大変!」 思わず飛び出して私は彼に近寄る。しかしそれに驚いたのか、男の子は私を見て強く威嚇した。姿勢を低くし、人間には無い鋭い犬歯が不意に牙を剥いて、尾は警戒するように逆立ち膨らんでいる。驚いて尻餅をついた私に、なおも彼は虎バサミが食い込む足を無理やり動かそうとした。 「あ、ま、まって!だめだめ、動かしちゃだめよ!!」 力の入らない足を叱咤して、ハイハイで近づく。男の子が吠えた。暴風みたいな音の圧に私は身をすくませる。怖い。怖いけれど、彼の足にはかなり深く刃が食い込んでいるのが見えた。怖がっている場合ではない。震える喉で、ひっくり返る声で必死に叫んだ。 「大丈夫、大丈夫!私、何もしない!!それ、取ってあげるから!」 なおも吠える。獰猛な視線が近寄るなと警告してくる。しかし暴れたのだろう彼の足は血まみれで、罠に繋がった太い鎖を何度も引っ掻いたのか手の爪も何本か剥がれてしまっていた。痛そうで、辛そうで、私は泣きたくなる。彼だって怖いのだろう。人間に捕まる未来を想像したに違いない。 「痛いの取るだけだから、お願い、お願い〜」 彼が可哀想で、ポロリとこぼれた涙は止められなかった。しまいにワァワァ声を上げて泣くと、驚いたのか男の子が大人しくなった。目を見開いて、別の警戒をしている。私は鼻をすすりながら、今がチャンスだとでも言わんばかりに罠を思い切り開いて解除した。暴れれば暴れるほど刃が食い込むようになっているその罠は、第三者が開けばたとえ女性の腕力でもアッサリ開くようになっている。そもそも群れで動かない獣人専用の罠なのである。 ガパッと閉じていた刃を開くと、彼はすぐ足を外して低い姿勢のまま私と距離を取った。取ったけれど、その表情は釈然としないというか、困惑しているようである。それもそうかもしれない。獣人を助ける人間なんて、彼は知らないのだろう。 「あし、あし、手当てするからこっち来て」 私は尚も顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながらも、再びハイハイで罠から離れて泉に近寄った。傷を洗う必要があるのだ。 「……」 男の子は喋らない。けれど鼻に皺を寄せた事で顔のペイントが少し歪んだ。幸い獣人と人間は同じ言葉を使う。私が言った意味がわからないわけではないはずだ。 「はやく!」 痺れを切らして私はようやく力の入るようになった喉で叫び、包帯がわりにする為に自分のスカートを破こうとグッと力を入れる。が、そうそう簡単に破れるものでもない。どんなに引っ張っても破けなくて、諦めて彼が掛かっていた罠の刃の部分で軽くスカートを引っ掻いて裂いた。縦に上手に裂けたので、その部分を繕えばまた着られる。その間もずっと私の様子を窺っている男の子に、私は声を出せたことで力が入るようになった足で近づいて手を強く引っ張った。 ワゥ!と犬のように一度吠えたその子に向かって「大人しくしなさい!」と強く言うと観念したのか傷が痛いのか大人しくなったので、私は持っていた水差しで泉の水を汲み、彼の足にバシャバシャと掛けた。 神聖なる水差しがなんだと言うのだ。聖なる泉がなんだというのだ。そのくらい高慢な態度ならば、罠に掛かった可哀想な男の子の傷くらい一瞬で治して欲しい。 「痛いね。痛いけどがまんね。バイ菌が入ったら大変なのよ」 傷口を綺麗に洗ってから、スカートを裂いた包帯で傷口を巻いた。爪が剥がれてしまった指も丁寧に洗って、偶然持っていたハンカチで巻く。これが今できる精一杯だ。 「……なんで」 ようやく男の子が口を開いた。鳴き声とは違い、耳に心地いい甘い声をしている。 「私の方があなたに聞きたい。泉に近寄る獣人はいないでしょ?人間は危ないのよ」 さも自分が人間ではないような発言を堂々とすると、男の子が思わず吹き出した。きっととてつもなく痛いだろうに、笑う余裕があるのは彼が獣人であるがゆえなのだろうか。 「ふっ、あんたそれじゃあまるでオレたち側の言い分っすよ」 「べつに、その辺は人も獣人も関係ないじゃない。危ないことはしない方がいいもの」 「それはそうですね……」 小さく呟くと、男の子はちらっと泉を見た。つられて私も見る。よく見ると泉の中央、小さな島になっている部分に生えている木に赤い実がなってるのが見える。 「偶然村の子どもがあの赤い実を持って帰って来たんです。それが美味しかったらしくて、また取りに行くって言うから……」 「その子の代わりにあなたが来たのね」 男の子は小さく頷いたが、私は内心とても驚いていた。獣人は群れで暮らさない、味方同士でも争い合う凶暴な種族って、修道院ではそう教えられているのに。 「とりあえず今日は帰ってちゃんと手当受けてね。その、ごめんなさい」 「なんであんたが謝るんすか」 「だって……」 彼がこれだけ傷ついた罠を仕掛けたのは、間違いなくこちらの村の人間だからだ。私は身をすくませて、どの口で言う、といったような罵倒に備える。 けれど彼は何も言うことはなく、そのまま軽く跳躍するとさっさと木の枝に飛び乗った。高い位置から私を見下ろして、ニカッと笑う。 「オレ、ジュンです」 ありがとうございました。と告げて、彼は去っていった。ぽたりと、彼が零した血が枝のすぐ下に落ちる。まだきっと、傷は塞がっていないだろう。 私は暫く呆然と見えなくなった彼がいるであろう森の先を見つめながら、座ったまま動けずにいた。初めて会った獣人は聞いていた話と違った。それは単に彼が人間と諍いを起こさない為にそうしたのかもしれないし、怪我の治療をした分殺さないでいてくれただけかもしれない。真意は全くわからない。 けれど名前を教えてくれたのが、私はとても嬉しかった。最後の笑顔が偽物じゃないことを信じたくなった。 「あっ、私名前言ってない」 驚きのあまり自分が名乗るのを忘れてしまった。いつかまた会えた時に言えるようにと、その時までに今日の出来事しっかり胸に刻む。 足元には乱暴に扱ったせいで取手が割れた水差しが転がっていた。とりあえず誰かが罠に嵌まったという証拠を隠すために、私は水差しで泉の水を汲んで、血塗れな罠周りを全部水で流した。これで狩人の目も欺けるかもしれない。 「……転んだことにするかぁ……」 ビリビリのスカート、ボロボロの水差し、失くしたハンカチ、そしてぐちゃぐちゃになった聖なる泉のほとり。これらの言い訳を考えながら、私は彼との再会を密かに楽しみにしつつ村までの道のりをえっちらおっちらと歩いたのだった。 [prev][next] [Back] |