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零が彼女の家に急ぐ
2025/11/04 20:32

 先ほどまでの接待の席で、何を飲まされたか反芻しているうちに面倒になる程度には、飲まされた。

 零は肌寒いはずの冬風を涼しいと感じるくらいにはアルコールで火照った身体を冷ましながら、コートのポケットからスマホを取り出す。メッセージアプリの履歴の一番上にある彼女とのメッセージ欄をタップし、渇いた指先でスマホをなぞった。

『いまからいってもいい?』

 すると、ものの数秒で既読のマークが付き、零はそっと息を吐いた。まだ彼女が寝る時間ではないことくらいわかっているが、すぐに自分のメッセージを見てくれた事がなんとなく嬉しい。

 そこから少しして、新着メッセージが届いた。『どうぞ〜』という緩い短いメッセージのわりには掛かった時間に少しだけ疑問を持ちながら、零はまた小さな靴音と共に歩き出す。きっとすぐに返事をくれる上にその返事は肯定的なものだろうと踏んで、彼女の家より少しだけ手前でタクシーを停めてもらったけど正解だったようである。冷たい風で酔いを少し醒ましながらゆっくりとした歩幅で彼女の家を目指した。びゅう、と吹く風は零からゆっくりとアルコールを抜いていく。

『コンビニで何かいる?』

 一応聞いてみた。目の前には煌々と蛍光灯の灯るコンビニが悪目立ちしながら佇んでいる。少し立ち止まって彼女の返事を待てば、ぽこんとスタンプが押された後、『シュークリームかエクレア!』という返事がきた。

「こんな時間に食べる気か?」

 こっそりと独り言を呟いて、零は一人笑った。時刻は刻一刻と日付を跨ごうとしているのに、彼女はクリームが恋しいのだろうか。零は巻いていたマフラーに深く顔を埋めながらコンビニでシュークリームとエクレアどちらも買い、自動扉を出る。余った方を自分が食べればいいのだ。彼女が喜ぶ顔が見られるなら、どちらでもいい。

 ガサガサと風がコンビニの袋を揺らす音と微かな靴音だけが、表通りから一本入った道に響いた。寒いからかランニングをする人もおらず、車さえ通らない道をまるで影と一体化したかのように歩を進める。やがて見えてきた彼女のマンションに、まだ外は寒いというのに温まった部屋にでも入ったかのようにホッとしてしまった。

 久しぶりに会えるのだ。明日はオフで、彼女も休みだったはずだ。もし彼女に予定があると言うのなら、家を出る時間ギリギリまで一緒に居させてもらおう。それだけで充分である。
 彼女の匂いがする部屋で、彼女のぬくもりと一緒に眠る事が出来るのだ。それだけで零は満たされるくらいには飢えていた。

『ついた』

 簡潔なメッセージ。エントランスの扉が開くのを、今か今かと待ち焦がれる。やがて開いたオートロックは無機質に零を招待した。エレベーターホールは時間も相まってシンと静まっている。

『はやくあいたい』

 冷えてきた指先が甘えるように、もう一つメッセージを送った。しかしそれは先ほどよりかなり遅いタイミングで既読になる。それをじっと見つめているとエレベーターが零の目の前に降りてきた。重たい扉が開く。

「あ、」
「おかえり」

 エレベーターの中には部屋着の上にダウンを羽織った彼女が、小さくひらひらと手を振っていた。零は引き寄せられるようにエレベーターに乗り込む。二人っきりのエレベーターがゆっくりと上昇し始めると共に、零の気分も明らかに高揚していった。

「迎えに来てくれたのかのう?」
「そうだよ。シュークリーム買ってきてくれたかなって」

悪戯が成功したかのような彼女の笑顔に、冷えていた指先が一気に温まるような心地になった。思わず空いている手で彼女の肩を抱き寄せようと手を伸ばすと、それより早く彼女が零の懐に飛び込んできた。ぎゅ、とコートをつかむ手はどこか楽しそうである。

「嘘だよ。実は連絡来るの待ってたから嬉しい」

 そのまま手に持ったシュークリームの事も、場所がエレベーターという公共の場である事も忘れて思い切り抱き締めようとしたが、生憎と彼女が住む部屋はそこまで高層ではない。零の行動を邪魔するように、チーンという音を立ててエレベーターが開いた。

「寒いから早く部屋入ろ。コーヒー飲もうよ」

 そんなものよりもっと温まる方法がある。なんて言葉を口にしようと思ったが、捻りもないし口説き文句にしてはベタで下心も満載である。アルコールのせいにすべきか、はたまた零自身のボキャブラリーの少なさを嘆くべきかわからなくなりながら、とりあえず彼女の手を強く握った。

 玄関の扉が閉まったらすぐにでも、抱きしめたい。



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