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茨と鍋を食べる
2025/11/04 20:36

 帰りがけ、肉は何がいいかと聞いたら即座に「とり!」と返信が来たので、特に希望が無かった茨もそれでいいやとデパートの精肉店に寄った。売り場のケースをぼんやり見ていると国産の地鶏が目に入って、普段はスーパーの安い鶏肉を食べているであろう彼女に一泡吹かせてやりたいなんて悪戯心が湧き、鍋用の高級鶏もも肉を二人分より少し多めに買ってから、茨はデパート前でタクシーを捕まえた。

 彼女の住むマンションより少し手前のコンビニを指定し、車は発信する。その間に肉の調達が完了した旨を彼女に連絡すると、なんとも言えないブサイクな犬のスタンプがひとつ押されてきた。思わず茨は独り言をもらす。

「なんだこれ……」

 その言葉の意味は、まさしくブサイクな犬のスタンプを使う彼女のセンスに対するもので間違いない。けれどほんの少しだけ、そのスタンプに書かれた言葉が「大好き!」だった事による動揺も入っているのだけれど、それには無視をするように車の窓から外に目をやった。すっかり暗くなりつつある街並みは、次第に車のライトやビルの照明が瞬き、時折目を細めたくなる。

 明日から二日、久しぶりの休みが取れた自分にわざわざ合わせて有給を取ってくれた彼女に何をしたいか聞いたら、彼女らしい返答が返ってきたのも記憶に新しい。

「鍋食べよ!鍋!私の家で!」

 ホテルでディナーでもなく、旅行でもなく、連休でなくとも出来ることを提案してきた彼女になんでだよ。とツッコミたくなったが、茨もここ最近の食事は仕事にかまけてロケ弁や外食ばかりだったし、正直少しばかり疲れが溜まっていた。彼女の家でのんびりと食事をするのも悪くないだろうと思い、隣の座席に置いたデパートの袋を見る。

 彼女から指定された鶏肉以外にも、ついつい喜ぶだろうかと思ってスイーツだの酒だの明日の朝食用のパンだのを買い込んでしまい、すっかり荷物が大きくなってしまった。幸いにも人が多い時間帯のデパートは、人々は自分達の買い物で手一杯な為茨に気づくこともない。

 後は彼女に会った時、久しぶりに会う気恥ずかしさを隠す事に注力しなければならない。と、茨は車の中で一人、部下から来た報告連絡に一件だけ返信をした。なるべく俯いてスマホをいじったのは、頬と口元が緩んでいる自覚があったからである。


「いらっしゃい」
「お邪魔します」

 容赦のない風が服の隙間を縫ってくる外から、暖房が効いた暖かい彼女の家に来ると落差で肩の力が抜ける。ついでに勢いで彼女を思い切り抱きしめそうになったのをぐっと堪えて、茨は手に持った袋を彼女に向かって見せる。

「肉、買ってきました」
「ありがとう!うそ、デパートのお肉!」
「あっはっは!普段あなたが買えないグレードのものを買ってきましたからねぇ、ありがたくいただいてください」
「高いお肉!さすが社長!」

 そう言って、彼女が茨に抱きついて来た。不意な事に思わず手に待ったもの全てを取り落として腕を彼女に回そうとして、なんとか理性と気合いで押し留める。

「おだてても何も出ませんが」
「社長すきすき!」

 あまり彼女を野放しにしていると鍋どころではなくなってしまう。茨はキリのいいところで彼女をそっと自分から剥がすと、キッチンまで足を運んで冷蔵庫に買ったものを入れた。ふと見ると簡単なつまみや下拵えした食材がラップをかけて入っており、彼女も楽しみにしていてくれたのかと思うとまた頬が緩む。けれど彼女の足音がぱたぱたとこちらに近づいてくるのがわかって、一人慌てて引き締めた。

「茨くん、先にお風呂入っちゃって。私準備しとくから」
「ありがとうございます」
「部屋着置いといたよ」

 にこにこと機嫌のよさそうな彼女が妙に蕩けて見えて、ふと気がつけば彼女の頬に手を添えて、唇を食んでいた。びっくりしたのか目を閉じない彼女に内心苦笑しつつも、一向に慣れない様子がかわいいと思う程度には溺れている事を無視しつつ、茨は風呂場に向かった。いつも以上に丁寧に洗ったのは、期待も隠れている。流石にそこに関しては気づかないふりはできなかった。

 リビングに戻ると既に鍋の準備が終わっており、彼女はローテーブルに膝立ちになりながら鍋に具材を入れていた。

「うまそうですね」
「美味しそうな鶏鍋のつゆ見つけたんだよ。ていうかお肉大きくて美味しそう!ありがとうね」
「自分も食べたかったのでお構いなく」

 髪を雑に乾かして一つに結ぶと、随分と視界がクリアになった。明日は休みなのだから髪に結び跡が付いても気にしない。ぺたぺたと足音を鳴らしながら彼女の向かいにどっかり座り込む。鍋には白菜やネギなんかの定番具材の横に、茨が張り切って買ってきた鶏肉がぎっしり詰まっている。

「お肉すごいいっぱい買ってきてくれたんだね。ありがとう」
「余ったら冷凍して食べたらいいですよ」

 元よりそのつもりだったが、今思いついた風に言うと彼女も「いいの?」なんていいつつもそれを期待していた顔をしている。調子のいいやつ。と内心で呟いてから、膝立ちのまま料理する彼女の腰をつんと突いた。

「ひっ!くすぐったいからやめて!」
「知ってます」

 あはは!と思わず笑い声がこぼれ落ちた。デパートにいる時点で自覚していたが、この日を何より楽しみにしていた自分がくすぐったい。

「デザートね、エクレアにしました。好きでしょう?」
「うそ〜嬉しい!ありがとう!」
「そうそう、もっと褒めてくださいね」
「茨くんだ〜いすき!!」

 ふわりと香る鍋の湯気をぼんやりと見ながら、今日は酒を飲みすぎないように、また彼女に飲ませすぎないように気をつけようと茨は心に誓っていた。鍋を薦めて酒はやや遠ざける。プランは完璧だ。

 正直な話鍋よりもエクレアよりも、茨は彼女が食べたいのだ。そんなこと本人には、絶対に言わないけれど。



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