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真緒が風邪を引く
2025/11/04 20:38

『少し風邪気味だけど治ってきたかな?今日も元気にお仕事頑張りますっ☆』

「まじですか……」

 真緒は力無くスマホを枕元に置くと、いいタイミングで鳴った体温計を腋の下から取り出した。結果は堂々たる数字が浮かび上がっていて、この喉の痛みと怠さと頭痛は間違いなく風邪であると確信した。否、既に病院に行ってそう診断されたではないか。ついでにインフルエンザかどうかも調べてもらい、それは陰性であると医師から言われたばかりではないか。

 しかしなんとか家に帰ってきて、横になる前に見てしまったSNSで完全に心が折れた。真緒が見たのは現在ドラマで共演中の新人女優の呟きである。

 風邪気味?もしや昨日の撮影の時も同様に?キスシーンの時、何も言ってこなかったくせに?むしろ向こうが恥ずかしいとかふざけた事言いながらNG連発しまくったせいでしたくもないキスを何度もする羽目になったのに?風邪?いや事前に言ってリスケさせろよ。もしくは一回でOKもらう根性見せてくれ。

 撮影中だからと普段は特に気にしないようにしている愚痴が、真緒の熱い呼気の隙間から漏れ出る。そりゃあ風邪も引くわ。という話なのである。そもそもやけに真緒に馴れ馴れしいのが少し煩わしかったので、そういう事だろう。また面倒事かとため息吐いてる時はまだ序の口だったのかもしれない。

 とりあえず真緒はこれ以上具合が悪化しないようにSNSを閉じ、代わりにメッセージアプリを開いた。心身共に、今の状態で一人でいない方がいいような気がしたし、無性に彼女に会いたくなったのである。


「なるほど。つまり私は他の女とキスしてもらってきた風邪の看病を任されたわけだね?」
「それは、そう、なんだけど……」
「他の女からマウストゥマウスで移された風邪でしんでる真緒くんを、看病するんだね?」
「う、」

 真緒がメッセージアプリで助けを求めたのは彼女だった。在宅で仕事をしている彼女なら真緒の家で仕事が出来る事を踏まえて甘えてみたが、変な所で正直なのが真緒である。女優に移されたと話すと察しの良すぎる彼女はサッサと現状を理解して、真緒の前で腕を組んだのだ。やべ、と思うのも遅すぎる程に、彼の思考能力は低下している。

「まぁいいけど。看病するからサッサとそんな菌殺してね。とりあえずこれ貼って」

 彼女が物騒な事を言いながら、買ってきた冷却シートを貼ってくれた。ひんやりとしたシートの感触と、彼女がシートに髪が付かないようにと額を撫でてくれるのが心地よい。ざらついた声でなんとか「ごめんな」と伝えると、彼女が冷却シートの上から額にキスをしてくれた。温かい気配に思考が蕩けそうになったけど、頭が割れそうな程の痛みで我に返り真緒は布団を被った。

「私リビングにいるね。とりあえずおやすみ。何かあったらスマホに着信して。すぐ行く」
「……ん、」

 よしよし、と甘やかしてくれるような声音で布団を優しく叩いて、彼女が出て行った。結局の所優しい彼女に真緒は熱で鈍くなっている思考のまま、やっぱり好きだという想いを再確認したところでプッツリ意識が落ちたのである。


 次に目が覚めて、のそのそとスマホで時刻を確認すると昼が近かった。ホールハンズにはTrick Starの面々から生存確認のようなメッセージが来ていたので返信しようとアプリを開いたが、真から最後に「返信はいらないよ!」と書かれていたので、スタンプを一つ押すだけに留めた。真らしい、ありがたい気遣いである。

 トイレに向かおうとゆっくり立ち上がり、のぼせ切ったような頭で部屋の扉を開ける。フラフラな足取りでトイレから出ると、ちょうど彼女がリビングからこちらを見ていた。

「どした?大丈夫?」

 いつもより優しい声が、なんとなく真緒の心を幼い子どもに戻していく。ぼんやりする頭を抱えてトイレ、とだけ呟くと、彼女が手でおいでおいでをした。

「お昼だからお粥作ったよ。食べる?」
「たべる……」
「卵粥だよ〜」

 リビングに入ると、暖房が効いていて部屋が暖まっていた。仕事してる時は眠くならないように暖房をあまり入れないんだと以前彼女が言っていたのをふと思い出す。つまりこの室温は真緒の事を思って調整してくれたのだと思うとなるべく彼女に近づかない方がいいのに思い切り抱きしめたくなってしまう。 

「食べきれなかったら残してね」
「サンキュ……」

 お椀に入った卵粥は、ふわふわとした湯気が美味しそうな匂いを真緒に運んでくる。そっとスプーンを口に運ぶと熱のせいで舌がおかしいのか若干味がわからないけれど、なんとなく優しい味がした。

「うまい」
「本当?味わかる?」
「わかる」
「よかったねぇ」

 頬杖をついてこちらを見る彼女が、いつにも増して優しい。真緒は茶碗の中のお粥が無くなると、つい彼女の方をチラと見た。その視線に気づいたのか立ち上がり、お粥のお代わりを持ってきてくれる。いつもならその立場は真緒の方で、どちらかというとやってあげたい思いが強い自分がイキイキしてしまうシーンだというのに。しょうがないな〜なんて言いながらお代わりをよそって彼女が美味しそうに食べるを見たりするのが楽しいけれど、たまには逆の立場を悪くないかもしれない。

「看病に来てくれて、ありがとな。おまえがいてくれてよかった」

 ついポロリとそんな事を言うと、彼女は一度びっくりしたように目を丸くしてから、優しい顔で微笑んだ。

「私だって好きな人に何かしてあげたいって気持ちあるもん」

 そうまっすぐに言われると、ついつい熱が上がりそうである。しかしにこにことかわいい顔をこちらに向けたまま、悪戯っぽく彼女は追撃した。

「例えそれが他の女とのキスでもらってきた風だとしてもね」
「ごめんって」
「真緒くんは悪くないよ。悪いのは相手のこと考えなかったその女優。よしよし、可哀想に」

 優しく撫でられる頭に思わず目を細める。「もっと」と呟きそうになった唇は、熱で浮かされた身体をなんとかコントロールして、引き結んだ。

「風邪終わったら、キスしたい」
「えっ、い、いいよ」
「あの女優とした回数よりもしたい」
「何回したか知らないけど……いいよ。早く治してね」
「うん」

 甘える欲には勝てた真緒だけれど、甘い欲には到底敵うはずもなかった。



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