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燐音の民族新婚パロ
2025/11/04 20:41

 この季節に採れる野菜は基本根のものばかりだから、よく煮込まないと固くて食べられない。娘は鍋を二度三度とかき混ぜてから、すぐそばに置いていた小瓶から匙を取り出し中の香辛料を軽い手つきで入れた。そこからまたくつくつと音を立てる鍋を見つめ、少しした所で味見の匙を入れる。小皿に取って舐めてみると、ピリッと強い香辛料で目が覚めるような味がした。

「入れすぎちゃった……」

 おかしいな。と、香辛料の瓶を見て、娘はアッと声を上げる。本来はすり潰して粉状にしたものを入れるはずが、間違えて粗く割ったものを入れてしまったのだ。香辛料の比率がグッと高くなってしまい、あっという間に随分と辛いスープが出来上がった。

「どうしよう」

 このままでも飲めなくはないし、水で埋めれば多少は良いかもしれない。けれど水を入れるとその分他の調味料が薄まりバランスを取るのが難しくなる。まだまだ新米妻の娘にとって、ここであれこれと調味料や水を足したせいで鍋ごと大惨事な料理を作ることだけは避けたかった。例え結婚する前から料理をやっていたとしても、所詮は母の手伝い程度だ。一から自分一人で味付けまで作り上げ、更には人に食べてもらう料理に仕上げるのはまた別の難しさが存在した。

 結局娘は諦めて、スープは少し辛いまま鍋の蓋を閉じた。そこさえなければスープの肉はほろほろと柔らかく、芋も煮溶けることなく作れたのだ。調理の具合としては上々で、最後の最後で蹴躓いたのである。

 とりあえず鍋はそのままに、釜戸の中を除く。先日熟成を終えた鹿肉がいい具合に焼けてきたので、それに関しては一人拳を握った。岩塩を擦り付けて焼いたそれは、釜戸の中でぷつぷつと脂を溢しながら良い色味になってきている。


「お〜、帰ったぜェ」

 不意に玄関先から夫の声がして、ガタガタと物音がした。娘は弾かれたように台所を出て彼を出迎える。土間で外套を脱ぎ、雪を払っている長駆の男を見上げて、娘は満面の笑みを投げた。

「燐音さま!おかえりなさい!」

 そこで彼女は気がついて、慌てて床に手をついて丁寧に頭を下げた。彼はこの集落の君主で、最も尊ばれるべき存在の人間だ。しかし燐音はそんな彼女の頭をぽんぽんと叩くと頭を上げるよう伝えてくる。ゆっくり娘が顔を上げると、そのまま燐音の冷たい手で両頬を支えられて、冷え切った唇がちょんと己の唇に触れた。

「こっちの方がいいな。あったけェし」
「……へへ、」

 わざわざしゃがみ込んでくれていた燐音が立ち上がり、家の中へと入って行く背中を見ながら娘は締まりのない笑顔で照れ隠しをした。燐音とは恋愛結婚ではなく家同士が主決めた結婚ではあるけれど、娘は幸せだった。なにせ、君主の家の息子たちは揃いも揃って美しく強い。
 
 更に燐音は小さな頃から面倒を見てもらっていた、言わば「大好きなお兄ちゃん」のような憧れの人だったのだ。まさか自分が嫁ぐことになろうとは思いもしなかったし、どちらかというと娘と年齢が合うのは次男の一彩の方である。

 けれど娘の思い出でより色濃いのは、山で迷子になった娘を探しにきてくれたり、木登りして降りられなくなった娘を助けてくれた燐音の方なのだ。

 ゆえに、幸福だった。結婚した当初は彼の事を夫ではなく兄のような存在としてしかいまいち認識出来なかったが、時間がそれを変えていく。娘はすっかり、燐音の隣には妻としての自分がいないと嫌だと思うようになったのだ。


「お夕飯持ってきますね」
「おう」

 着替えて囲炉裏の前に来た燐音にひとまず酒を一献勧めてから、娘は料理を取りに台所へ向かった。とりあえず綺麗に焼けた鹿肉と、豆を潰して練り上げたものを器に入れて持っていく。酒のつまみにもなるそれを並べると、燐音が「お、」と声を上げた。

「綺麗に焼けてるじゃねェか。上手くなったな」
「ありがとうございます」

 燐音は雑な性格を演じる事はあるものの、根の部分はとても細やかな男だった。娘の努力をきちんと理解し、褒めてくれる。燐音が小さなナイフでザクザクと肉を切り分けると、娘は期待に溢れた顔で彼の動作を覗き込んだ。箸で肉をつまみ、口に運ぶ燐音をじっと見る。やがてそれを飲み込んだ燐音の濃い空色の瞳が優しく細まったのを見て、娘は胸がくすぐったくなったように思わずジタバタしたくなった。

「美味い。熟成具合もちょうどいいな」
「今年は鹿が沢山採れたでしょ?冬が楽しみ」
「食えるモンが少なくなるけどな。でもこれなら冬支度は大丈夫っしょ」
「はい!」

 この集落の冬は厳しい。葉物の野菜は育たず、野の生き物は冬眠ゆえ、姿を現さなくなる。だからこうして保存食を作りながら冬支度を整えるのだ。酒も食べ物も今年は豊富で、そこまで深い心配はいらなそうである。

 燐音に褒められて嬉しい娘は足取り軽く台所に戻り、例の鍋を持って戻った。燐音が手酌しているのに気がつき慌てて酌をしようと近寄ったが、逆に燐音が空の猪口を娘に渡して酌をしてくれた。酒の味が美味しいとはまだ思えないけれど、身体を温めるのには必要なものでもある。くいっと猪口を傾けると酒独特の香りが鼻から抜けていった。身体も一気に温まる。

「おめェは相変わらず酒弱いよなァ……あんま外で飲むなよ」
「弱くないです!まだ酔ってないもん」
「いや、顔に出すぎてンよ。真っ赤じゃねェか」

 燐音の指が娘の頬を摘んでふにふにと揉んできた。それを首を振ることによって避けると、頭を動かしたせいで余計に酒がくらりと回る。うっかりふらついて、燐音に寄りかかった。

「ほらな。おまえは外で飲むなよ。危ない」
「別に、集落にいれば危ないことなんてないです」
「あンだよ。特に他の男どもがいる所で飲むな。面倒な事になるぞ」
「ならな〜い」

 燐音が小さな声で「わかってねェんだよなァ……」と呟いて、また一人酒を呷った。娘は先ほどより少し覚束ない手つきで鍋のスープをよそうと、燐音に差し出す。

「でも燐音さまが嫌なら飲みません。旦那さまを悲しませるような妻じゃないもの。私」

 はいどうぞ。とスープを差し出した娘の手を、燐音はわざと包むようにして器を受け取った。互いの指先は既に熱くて、外で降り始めた雪に辟易とする隙間は無い。

「な、今日はしてもいいよな?」

 スープの器を置いた燐音が不意に、娘の耳元に顔を寄せて囁いた。明日は大雪になる空模様だったので、皆が皆仕事を休んで家で過ごす日になったのだ。だから早起きをする必要もない。

「……」
「な?」

 左耳にはわざと低い声を出して囁いて、右耳はそっと熱い指で触れてくる。一度身をひいて、身体を離してから燐音の顔を見ると、あれだけ色気の強い声を出していた本人の顔は声に反して甘えるような視線をしていた。年上なのに、娘はついつい可愛いと思ってしまう。

「……このスープ、美味しいって言ってくれたらいいですよ」

 器からスープを掬って、燐音の口元に持っていく。妻からの「あーん」に一瞬照れるような表情を見せた燐音は、なんとか年上の余裕を見せたいのかニヤリと笑うと、なんの躊躇もなく匙を口に入れた。

「ッ!うわ!辛ェ!!」
「や、やっぱり?」

 ごめんなさい〜!とおどけて言えば、燐音は匙を器に入れて、今度は娘の口に入れる。煮込まれて味が滲み出た香辛料は更に濃い辛味を鍋に溶かしており、味見した時よりも何倍も辛くなっている。

「か、から〜い!」
「よくこれを美味いって言ったら、なんて言ったなァ?!」

 これは仕置きをしなきゃな。と蕩けた笑みで言う夫を前に、娘は恐怖より先に甘い期待を見せた事をこっそり胸の中にしまう。燐音は床に入ると、なんだかんだと妻を極限まで甘やかしまう人なのだ。

 外に降る雪が強くなってきた。身体が熱いうちに、布団に潜るのもいいかもしれない。



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