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こはくと成長期
2025/11/04 21:10

「あ、桜河くん。おはよう」
「おはようさん。いつも早ようから、おつかれさまやね」

 ESビルのエレベーター内。朝の早い時間に私たちはかち合った。地下から上がってきた私と1階から乗ってきた桜河くんは、広いエレベーターの中なのに隣に並んでドアが閉まるのを待つ。

「桜河くんも早いね。今日早朝のお仕事あったっけ?」
「いや、仕事自体は9時くらいからやけど、ちょっと事務所で確認したい資料があってな。同室のジュンはんが早朝トレーニングの為に起きたさかい、一緒に起きてもうた」

 なるほど。と私は納得しながら、扉の上にある数字板に上の階のランプが点灯していくのをぼんやり見る。それと一緒に左端の視界に入る桜河くんの一部分をピントが合わないまま見ていたら、はたと気がついた。

「ねぇ桜河くん。もしかして、背伸びた?」

 もう成長期など終わったせいで伸びることのない自分と比べる為に、私は彼の真横に付いた。手を自分の頭に置きそのまま桜河くんにスライドすると、以前より手が当たる位置が下になっている気がした。つまり、桜河くんが伸びたのだ。

「え?え?ほんま?最近測っとらん」
「伸びたよ!話す時、もう少し距離が近かった気がする」

 言われてみれば、と思ったのか、桜河くんが斜め上からじっと私を見た。はからずしも真剣な視線が刺さり、つい緊張してしまう。

「確かに。そう言われるとそうかもしれん。ぬしはんと比べるとわかりやすいねんね」
「あはは。私はもう伸びないからね〜」

 微かに声が躍っている気がするのは、きっと背が伸びたことに気づいて嬉しいのだろう。純粋に成長期の彼が羨ましいなんて思いつつ背比べをし続けていると、真横にぴったりくっついたせいで腕越しに桜河くんの体温が感じられて恥ずかしくて、私はなるべく自然に彼から離れた。そうこうしているとエレベーターの扉が開く。

「今日手が空いた時、測れたら測ろうね。公式のデータ更新出来るよ」
「おん、また事務局戻って来た時測るわ。わしちょっと手洗い行ってくるさかい」
「はーい。いつでもいいからね」

 そう言って事務所の前で別れると、ふと振り返って桜河くんを見た。遠く離れると、余計に背が伸びたのがわかる。すんなり伸びた背筋はより彼を大きく見せて、背中はすっかり逞しく男らしい。
 かっこいいな、抱きついてみたい。なんて無意識に考えて、私は首を振る。相手はアイドルだ。そんな事を考えてしまうのも烏滸がましい。

 私は早朝から抱いてしまった煩悩を消そうと、普段は飲めないブラックコーヒーを買って一口、二口と飲んだ。


「あぶな……」

 洗面台で乱暴に顔を洗ってから、自身の愚行を自身で押し留めたこはくは鏡を見た。今自分がしている表情は、彼女にとって人畜無害だろうか。下心が露呈した顔をしていないだろうかと思案し、また打ち消す為に顔を水で叩く。

 あれは、あの近づいてきてくれたのは背比べをする為であって、自分に好意があるわけではない。自惚れたら、あかん。

 けれど先程彼女と密着した半身は、まだ心臓が這いずり回っているようにドキドキとしている。
 あとどのくらい背が伸びたら、彼女に男として見てもらえるだろうか。そんなことを考えては打ち消して、こはくはまた顔を洗うのだった。



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